黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【4】



 2年か、それなりに長かったか、とセイネリアは思う。
 シェリザ卿の力比べの代理人として首都にやってきて勝ってから、この2年はあの貴族とは専属契約を結び、表向きはずっとその下で働いてきた。それは単純にいろいろ都合が良かったからに他ならない。
 黙っていても強い相手と戦う事になったし、鍛える為ならどんな事もさせてくれた。その為の金、衣食住は全て持ってくれるというのだから利用しない手はない。首都に知り合いなぞいる訳もなく、金も地位も何の名声もない若造からすれば都合の良すぎる好待遇だと言えるだろう。

 ただそろそろ潮時だ、と思う時期にも来ている。

 今のセイネリアはそれなりに名も通ったし、ここでフリーの冒険者になっても仕事に困る事はないだろう。実際、シェリザ卿から離れて、個人的に仕事を受けてみないかという話はいくつかきていた。
 それになにより、これ以上シェリザ卿のもとにいてももうメリットがない、とセイネリアは思っていた。貴族の賭け試合に出てくるような連中は所詮脳みそがない元ごろつきばかりで、こちらが全力で戦わなければならない程面白い相手はまずいない。最初はそれでもこちらの経験が浅過ぎて参考にはなったが、今では戦って勝つ事も作業以上の意味がなくなっていた。
 だからといって、セイネリアはそれが自分が強くなった所為だと悦に入る事は出来ない。本当に強い者はまだまだいくらでもいる。ただそういう奴らは貴族では扱い切れないからこんな馬鹿な賭け試合などには出てこないし、自分の力を誇示して回ろうともしない。この手のバカ騒ぎに出てくる者など、所詮見世物小屋の見世物に等しい。いつまでもそのレベルに付き合っていられるかという苛立ちは、日に日にセイネリアの中で大きくなってきていた。
 だから今の問題は、この雇われ生活を終わらせる機会と、どれだけ後にリスクを残さず終わらせるかというその方法である。飼い犬として得られる利点を享受してきたのであるから、それを辞めるのが厄介だという事はセイネリアもわかっていた。こちらにフリーになられたりしたらいつ敵に回るかもしれないと、それくらいなら始末したほうがマシだと、そう雇い主が思っている事は容易に想像できる。
 だからこそ、セイネリアはこのところシェリザ卿との交渉材料として、彼の弱みになり得そうなものを調べて回っているのだ。

「旦那、セイネリアの旦那」

 よく知っている気配を感じてセイネリアは振りかえっった。大人のくせに背が10そこらの子供程度しかない男は、身長差がありすぎて話がしにくい。見下ろしているこちらがこれだけ話し難いのだから見上げている向こうはもっときついだろうと思うのだが、この男は妙にセイネリアに慣れ慣れしくよく話してこようとする。

「なんだ、シェリザ卿が呼んでるのか?」
「その通りでございます」
「分かった、すぐ行くと伝えておけ」
「はい、ではまた後ほど」

 そう言って、にやにやと何が楽しいのか笑っている小男はすぐに視界から消えて見えなくなる。
 小さいだけあってすばしこさだけは大したものだとはセイネリアがいつも思う事だったが、あのすばしこさと臆病さ故の注意力の高さから、こうして極秘の伝令紛いの事をするのが彼の仕事になっている。どうやら彼は、あの異常な背の低さから冒険者としても馬鹿にされて仕事も貰えなかったのをシェリザ卿に雇われた、という恩があるらしい。
 あの男が知らせに来たなら、非合法の賭試合か、もしくはどこかの用心棒を動けなくさせてこいというおもしろくもない仕事だろう。

「本当に、そろそろ終わらせるべきだろうな」

 呟いたセイネリアは、軽く自嘲しつつも、今の主である貴族の元へと向かった。






 自由の国、と呼ばれるだけあって、冒険者として一般市民でもそれなりの地位や金を手に入れる事ができる国――クリュースでは、他国に比べれば貴族達も、貴族に生まれたからというだけで悠々と生活していけるという訳ではなかった。

 人と物が集まれば、自動的に金も集まり国は富を得る。しかも魔法と、冒険者という潜在的戦力に恐れをなした周辺各国はここ何年も公に戦を仕掛けてくることはなく、結果クリュースでは近年大きな戦が起こる事もなかった。こんな平和な時世では、手柄を立てて名声と富を得る機会もある筈がなく、本来国の騎士である貴族達も騎士を辞めるものが後をたたなかった。
 とはいえ、自分の領地を持っている貴族なら余程の馬鹿な収め方をしなければどうにかなるものの、領地を持たぬ貴族は自力で稼ぐしか富を得る手段がない。一応、貴族法という貴族を優遇するための法があるのだが、それでも働いた事もないような無能は浪費は出来ても稼ぐ事は出来ず、結果、没落して終いには貴族の称号さえも売ってしまう事になる。

 そんな貴族達の中で、首都を拠点として宮廷に出入りする宮廷貴族と呼ばれる連中がいた。

 彼らは基本的には首都で国政やら宮廷行事に関する仕事をしている者達の事をいうのだが、その仕事は名誉職である事はもちろん、領地も商売の才能もない貴族共にとっては『宮廷貴族である』ということが生き残る手段でもあった。
 とはいえ、彼らの一員になる為の競争は厳しく、またなったからといって一安心というものでもない。宮廷内はいくつかの勢力争いをしている大貴族を中心とした派閥があり、まず宮廷貴族と呼ばれるだけの役職を得るためにはその大貴族の誰かに気に入られないとならなかった。さらに言えば、当然その派閥の中心の大貴族の勢力が強ければ強い程その下につくものには地位の高く割りのいい仕事が回ってくる訳であるから、彼らは自分の派閥の地位向上の為に日々努力している訳である。……そう、本来の役人としての業務などオマケともいえる程、彼らにとっては自分の利権を守る勢力争いこそが重要な仕事なのだった。
 そういう訳であるから、自分の派閥の力を引き上げる為、政敵を追い落とす為なら、彼らはあらゆる手段を用意した。暗殺者などはお約束として、間者を用意する事は勿論、貴族同士でのちょっとしたゲームでの争いの為に、それ専用の有能な代理人を雇うのは当然の事だった。
 ちなみに、一言でゲームといっても貴族間のそれはただの遊びではない。
 勝敗がつくゲームには大抵何かしらの賭けが存在し、時にはそれは互いの利権を巡る重要な勝負である事も少なくなかった。
 だからそのゲームの為、優秀な人材を囲っておく事は重要で、しかもそれは暗殺などという非合法の手段で相手をけ落とす事よりも公の正々堂々の勝負の分の名声もつくわけである。

 2年前、力勝負の代理人としてシェリザ卿に雇われたセイネリアはそこで見事勝利を収め、以後今日までその手の勝負では負けた事がなかった。おまけに代理戦闘でも使えるようにと、シェリザ卿は彼に様々な戦闘技術の師をあてがってくれて、セイネリアが強くなる事に協力を惜しまなかった。
 おかげで今では、セイネリアはその強さで首都ではちょっとした有名人になっていた。
 それでもセイネリアには、今の自分の強さが所詮、素人家業の内である事も知っていた。本当に強い人間はこんな表舞台の馬鹿騒ぎには出ないという事を分かっていた。どんなにもてはやされていてもまだ自分は井の中の蛙であるという自覚があった。――それが飼い犬の限界である、とセイネリアは最近考えている事があった。




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