黒 の 主 〜首都と出会いの章〜 【26】 殆ど朝靄の晴れた中、朝らしい明るい光の中に、かつては勇者とさえ呼ばれた老騎士はいた。最初に見た時と同じく上半身の肌を晒してただ無心に剣を振っている。乱れのない剣捌きは自分も剣を使うようになった今では更にその凄さが分る。その正確さと無駄のなさにセイネリアでさえ感嘆の息が漏れた。 「お前にしては遅かったじゃないか」 言うと同時にナスロウ卿は剣を止め、腕で軽く汗を拭った。覚悟をした老騎士の顔には迷いはなく、清々しい朝の光の中、曇りない笑みをセイネリアに向けた。 「あぁ、少し寄り道をして来たんだ」 「そうか、寝坊した訳ではないんだな」 「わざわざ今日だけ寝坊するほど間抜けじゃない」 「そうだな、もう早起きだけは慣れたようだしな」 「……まったく、森を出てからはもう早起きなぞしなくていいと思っていたんだけどな」 「早起きはいいぞ、気が引きしまる」 「老人らしい台詞だな」 「ぬかせ、結局お前のその偉そうな態度は直る事はなかったか」 『結局』か――今日が最後だと自分で言っているのと同じではないかとセイネリアは笑う。こちらを見るナスロウ卿の顔にも笑みがある。二人で軽口を言い合いながらも間にある空気には緊張感があった。二人共に体を解して、軽く剣を振って集中を上げていく。 「そろそろやるか」 ナスロウ卿がそう言ったからセイネリアは剣を下した。それから無言で老騎士から距離を取る為歩き出す。向うも自然と距離を取って、互いに向き合い、目を合せて改めて剣を持ち上げる。 そうして一歩、足を前に出して。 腰を落すと合図もなく同時に走り出した。 正面からぶつかっていこうとするのはセイネリア。こちらの優位性が力と体力であるのは得物が違っても変わらないから、接近して出来るだけまともに打ち合う方向に持って行こうとする。対して、ナスロウ卿の優位性は巧さと経験の豊富さである。上手く相手の力を逸らして利用する、それを狙ってくるのは明らかだ。 だから突進するまま、セイネリアが真っ直ぐ伸ばした剣はナスロウ卿によって避けて絡めとられる。だが、絡めとって向うが上のポジションを取ろうとするのを強引に腕力で押し込めば、相手はすぐにマズイと分って剣を解く。それから後ろへ退いて距離を取った。 「まったく、呆れた馬鹿力め」 「なに、ジイサンはさすがに判断が早い」 ただの手合せだったらセイネリアも絡めとられた段階で一度剣を解いていた。だが今日は命のやり取りをするつもりなのだ、リスクを背負ってでも相手の意表を突かなくてはならない。 二人で目を合わせた後、今度は珍しくナスロウ卿の方から動いた。 無駄のない速い剣がこちらの頭を狙ってくる。それを躱したものの、それに合わせて踏み込もうとしたセイネリアは前に出した膝を蹴り払われて一度よろめく。その隙を狙ってやってきた剣はかろうじて受けたが、完全に向うが上から押し込んでくる不利な体勢となって、セイネリアも歯を噛みしめた。 「これでも押しきれんか」 崩した態勢のままだから、下半身に十分に力が入らない。この体勢では受けるだけでも向うの倍以上の力が要る。それでもセイネリアは腕に無理矢理力を入れる。吼えて、相手を押し返す。 だがそれこそがまた相手の策略だったらしく、力で押しきろうとしたセイネリアは急激に向うからの力が抜けて手ごたえがなくなったのに気付いた。とはいえ、気付いたといってもすぐに対応出来る訳がない。押し返して腕を上げた状態のまま、まぬけにも腹を晒して立ち上がるという体勢になってしまった。 そこに一度剣を引いてしゃがんでいたナスロウ卿の剣が近づく。セイネリアはそれを避けようと無理矢理体を引いて、その勢いで背から地面へと倒れた。だが、そこで倒れた体勢のまま相手から離れようとするのではなく、セイネリアはそのまま相手に向かって足を伸ばす。そうしてこちらに追撃を掛けようとしていたナスロウ卿の足をひっかけた。 「うおっ」 ナスロウ卿もそれは予想していなかったらしく、彼もまた地面に倒れる。その間にセイネリアが起き上がれば、老騎士もまた起き上がっていた。自然、互いに剣を掴むと、一度距離とって構えなおした。 「どうやら、でかい体が役に立ったな、足癖の悪さは相変わらずか」 「そうだな、だがあんたの足癖も相当に悪いだろ」 「何、力押しだけに頼ってる若造少し思い知らせてやろうと思ってな」 --------------------------------------------- |