黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【2】



 腕を折られた男は、痛みにのたうち回ってその場で唸り声を上げていた。それを見かねた見物人の中のリパ神官が出ていって彼に治癒の術を掛ける。とはいえ、完全に折っている場合は余程の術者でもないと元通りにまでは治せず、それをわかっているからこそ彼はやったのだと皆知っている。

「ったくあんたも馬鹿な事をしたもんだ。あいつは化けモンだよ、腕をなくさなかっただけ幸運だと思って二度と近づくんじゃない」

 治癒術でどうにか痛みが和らいだ男は、神官に礼を言いながらもセイネリアが去った方を見つめた。

「何者なんだ……あいつは?」

 男の持っていた剣の鞘を腕に固定して布を巻いていた神官は、顔を顰めながらもそれに答えた。

「あいつはセイネリアっていうんだよ。シェリザ卿のとこの飼い犬でな、お貴族様同士の掛け試合や、利権争いの代理戦闘があいつの仕事さ。若いのにトンでもない強さで、おかげであいつを囲ってるシェリザ卿はあいつが来た2年前から負け知らずさ」
「あの男が、貴族様の飼い犬だって?」

 男は思う、アレはそんな小さな男ではない筈だと。あの目は人の下に大人しくついているような男ではないと。

「まぁ、ヘンな男ではあるさ。特に力を誇示する訳でも、えばり散らしてる訳でもないのに誰もあの男に逆らいたがらない、皆あの男を恐れる。でもまぁ、あの男に逆らったらどうなるかはあんたは身を持ってわかったろ? 運がよかったな、あいつの機嫌が悪かったらきっとその腕はなかったよ」

 シェリザ卿の犬セイネリア、肉食獣の瞳を持つ男。彼に逆らうな、逆らえば徹底的に潰される――そう、まことしやかに囁かれる彼の名は、首都セニエティを拠点にしている冒険者の間ではまず知らない者はいなかった。

「セイネリア、か……」

 見物人達が霧散していく路上を見つめながら、男はその名を噛み締めるように呟いた。






 肘置き付きの優雅な椅子に座って居並ぶ盛装の男女。人によっては更に足置きだったり、テーブルだったり、日差しを遮る為の布を張ったりと、力のある者程その周囲を広く使ってあれこれ周りにオプションがついている。
 まったく馬鹿馬鹿しい、と思いながらも、セイネリアは名を呼ばれると彼らの歓声に応えて片手を上げた。

 いわゆる貴族の為の賭け試合は、まだ観客に一般人がいない分だけマシではある。何かの利権を掛けた試合になると、証人は多い方がいいだろうとやけに大々的に客を集めてやることになって煩い事この上ない。ただし……この手の賭けという娯楽の為の試合は本当にただの見世物であるから、馬鹿馬鹿しさに毎回うんざりしてしまうのだが。

 試合開始を告げる声が聞こえれば、今日の敵がどすんどすんと大きな音を立てて向かってくる。更にはその後ろにもう一人。今ではもう一対一では賭けが成立しなくなったらしく、今回は二対一となった、というのは一応聞いてはいることではある。ついでに言えば死者が出るのが不評だったのか、今回は素手での戦いとなっていた。
 先にセイネリアの元についた男が力まかせに拳を振り下ろしてくる。セイネリアはかなり長身の方だが、この男はそれより高く、幅に至ってはこちらの倍ちかい。その体格で振り下ろされる拳は確かに脅威だが、それには当然『当たれば』という言葉が続く。

「死ねぇっ」

 芸がない、とセイネリアは男の拳を躱(かわ)してから、目の端でもう一人の男の行方を追った。
 対戦者の名前は一応事前に聞いていて、二人組の冒険者としてそれなりに名が通ってはいる連中である事までは分っていた。特に戦闘能力はかなり評価が高く、ただ雇い主と何度か問題を起こしている所為で信用のポイントが落ちていて上級冒険者になれていない――という、割と能無しの腕自慢にはよくあるタイプの連中だった。
 目の前の大男は避けられればすぐに次の拳を振り下ろす、右、左、右、左と綺麗に交互に出してくるのだからやはりこの男の頭は弱い。それでも傍目にはセイネリアは避けるだけで、一方的に攻撃しているのは向うだから向うが押しているようには見えるだろう。
 男の拳を避けながら、セイネリアは徐々に後ろへと下がっていく。調子に乗った男はますます力が入って腕が大振りになっていく。

「追い込んだぞ、勝てる勝てる」
「どうしたセイネリア、逃げてばかりかっ」

 勝手に喚くギャラリーなど気にも留めず、セイネリアは後ろに下がっていく。
 そうして――。

「おぉ、やったぞ」

 わっと歓声が上がる。いつの間にかセイネリアの背後に回り込んでいたもう一人の男が、後ろからセイネリアを羽交い絞めにしたのだ。

「とうとうお前が負ける時だぁっ」

 目の前の男が嬉々として見せつけるように大きく拳を振り上げた。観客達は大いに盛り上がり、掛け声があちこちから上がった。
 ただし、それは男の拳が振り下ろされるその時まで。
 振り下ろした拳はセイネリアに当たる事はなく、彼を押さえつけていた筈の男の体をふっ飛ばしていた。早い話、セイネリアは押さえつけていた男を力ずくで振り払い、殴りかかってくる男の方に突き飛ばしたのだ。

「な、なんで……」

 殴られた男は地面に倒れて動かない。殴った男は動揺して固まっている。

「貴様ら馬鹿だろ。俺を押さえつけるなら、せめて俺と同じ程度の力がないと無理に決まっている」

 あぁ本当に頭が悪い、とセイネリアはため息をついて怠そうに首を回した。散々こちらは力技の戦闘スタイルだと今までさんざん見せてきているのに、なぜそれを力ずくで押さえられると思うのか。ヘタに二対一の優位性を考えて作戦を立てた所為だろうとセイネリアは思う。

「降参しろ」

 もうこれ以上戦うのも面倒になってそう言えば、残った大男は顔を真っ赤にして叫んだ。

「出来るかッ」

 そうして殴りかかってきた男に、セイネリアは倒れている男の腰ベルトを掴んで持ち上げ、その体を男にぶつけた。

「がぁっ、何しやがる」

 男がその体を受け止めようとする……が、セイネリアは構わず気を失っている男を掴んだまま、まるでその体を武器のように振り回して大男に向けて殴りつけた。

「やめろっ、何をっ」

 無抵抗の体はびたんびたんと大男にぶつかる。気を失って防御する事も出来ない男の顔から血が飛んで地面に落ちる。いつの間にかギャラリーさえ静まり返って、そしてとうとう、大男はその場で跪いて言った。

「降参だ、ダクーサが死んじまう」

 つまらなそうに、セイネリアは持っていた男の体を地面に投げ捨てた。



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