黒 の 主 〜首都と出会いの章〜 【1】 クリュース王国首都セニエティ。 冒険者、と呼ばれる国に認可された職業があるこの国には、日々大成する夢を抱いた者達が他国からやってくる。人が集まれば物も集まる、商売人が集まる。昼の大通りはいつでも露店が道の両側を埋め、大勢の人々がその道を流れていた。 「この、とろとろ歩いてんなよっ」 「仕方ねぇだろ、人が多いんだからよっ」 「けっ、てめぇの足が短いからだろっ」 「んだとぉっ」 冒険者、なんてものを目指すのは基本は血気盛んな若者で、そういう連中が集まればトラブルやちょっとした諍いなど日常茶飯事だ。喧嘩をするのも見物するのも、彼らにとっては慣れたものである。 「おら、ちびがんばれっ」 「デカ物は足蹴んだよ、足っ」 好き勝手にはやしたてるギャラリー達は、自分達も戦っている気になって腕を振りあげる。 だがそんな中、そうして誰かが振りあげた腕を掴む手があった。 「何すんだてめぇっ」 喧嘩見物に興奮していた男は、振り返った途端、相手の顔を見て表情を凍らせる。 「人の目の前で手を振り回すな、うっとおしい」 見上げる視線の先にある顔が、邪魔な木でも払うように男の手を放る。 その長身、いつでも黒い服に身を包み、黒い髪に金茶色の瞳とくれば、今現在首都の冒険者で知らぬ者はいなかった。 「セ、セイネリア……」 男が声に出せばそれを聞いた周りの人間が一斉に振り返り、皆緊張に口を閉ざす。辺りが静まり返っていく様に違和感を覚えて、喧嘩の真っ最中だった中心の男たちまでもがその動きを止めて振り向いた。 「なんであんたがここに……」 「なんだ、俺が喧嘩見物してちゃいけないのか?」 「いや、そういう訳じゃない、が……」 自然と、彼の周りの者たちが彼から距離を取り、道を開けるような状態になる。 セイネリアはおもしろくもなさそうに辺りを一度見回すと、開けられた道を歩き出した。そうなれば当然、中心で喧嘩の最中のまま止まった男たちの前に出る訳で、彼らは彼を近くで見て顔を青くする。 「なんだ、別に続けていてもいいぞ?」 そう言われたものの、セイネリアを見て互いに離れ、やはり道を開ける男達。 だが。 「おい、随分偉そうじゃねぇか、そこの黒い兄さん」 見物人の中から聞こえた声に、セイネリア自身よりも彼の傍にいた喧嘩の張本人だった男達のほうが悲鳴に近い声をあげた。 ざわつく人々は声のした方を向いてこそこそと話し出す。いわく、どこの馬鹿だ、まだここへ来たばかりの奴じゃないか、あいつは知らないのか。そして皆、最後にこう付け加えるのだ――可哀想に、あいつはもう冒険者としちゃ終わりだ、と。 「おい、聞いてるのか、おまえだ、そこの黒いデクノボウ」 セイネリアは振り向きもせず、ただ口元を軽く歪ませた。 その反応のなさに苛立った男は、人々をかき分けて前に出てくると、剣を抜いてセイネリアの背後に立った。 「どうやら相当の有名人らしいな、あんた。ってことはつまり、あんたに勝てれば簡単に名をあげられるって訳だ」 「俺とやる気か?」 楽しそうに言いながら、そこで初めてセイネリアは振り返った。瞬間、男はその獣じみた金茶色の瞳に威圧されたが、振り返った彼の顔がまだ相当に若い事に気づいて、萎えかけた気力を奮い立たせた。 「あぁ、てっとり早く名をあげたいモンでね」 「なるほど」 喉を鳴らして、セイネリアは笑い声でそれに返した。 「分かったらさっさと構えな、ふい打ちじゃ勝っても名を上げられない」 けれどもセイネリアは武器を手にしようとしない。 男は苛立ちに、今度は叫んだ。 「さっさと武器を持てといってるんだっ」 だが、セイネリアは笑ったまま静かに返す。 「気にするな、構わずかかってこい」 「……後悔するぞ」 「出来るならいいんだがな」 馬鹿にされた男は顔を赤くし、吠えると共に剣を前に出して走り出した。 体勢を低く保ち、上体を殆ど動かさず、剣先も殆ど揺れずまっすぐにセイネリアを狙うその様は、周囲にいる一山いくらの雑魚冒険者達の目が追えない程の速さだった。 なるほど、言うだけの事はあるらしい、と最初にセイネリアは思う。 冒険者というのは武器として剣を使う者が多い。だがその内の殆どはまともに習った訳ではなく、ただ単にかっこいいから使っているという者ばかりだ。けれどもこの男は大口を叩く程度には鍛錬を積んでいるらしく、目に見えて無駄が少なく、体の動きが洗練されている。ただの声が大きいだけのごろつきかと思ったが、実際は正式に剣を習った事があるまともな剣士らしい――ならば楽しめるか、とセイネリアの口元が更に笑みを浮かべた。 銀色の切っ先がセイネリアを襲う。 だが、男も最初の一撃はこちらの実力を見る為なのか、それとも素手の相手に迷いがあるのか、剣に力はあまり篭もっていなかった。 セイネリアが一歩踏み出せば、カン、と乾いた音と共に、剣はセイネリアの肩の上をすり抜ける。左腕につけた特別製のぶ厚い鉄の腕当ては、剣程度の重量の武器では曲がりもへこみもする事はない。……もちろん、曲がりはしなくてもその衝撃は直接腕にくる訳で、セイネリアの人並みはずれた腕力と、森での生活で狩人並にいい彼の目があってこそ使える訳だが。あの鍛冶屋から『借りた』腕当てはさすがにもう使っていないが、あの腕当てを使っているうちにそれで攻撃を避けるクセが出来たのを今では自分の戦い方としていた。剣先を見極め、腕当ての湾曲で力を逸らすように当てて弾く。通常の武器が防御に向かない彼故、この戦い方は都合が良かった。 ちなみに、もちろんセイネリアの防御手段がそれであれば、武器を持たない身軽な状態の方が防御はしやすい。だからこそ最初に対峙する相手にはまず素手で相手をするのだが、相手はそれで馬鹿にされたと思って頭に血を上らせるか、この男のように武器を持たない相手に迷いがでるかのどちらかになる。それもセイネリアの計算の内ではあった。 剣が弾かれて初めて、男はセイネリアの意図を知る。 さすがにそれなりの手練だけある男は一撃でそれに気がついた。けれども、その一撃で既に勝敗は決っていた。 剣を受けられたのではなく逸らされれば、止められなかった体は前に出てしまう。剣の分の優位な距離より近づいてしまえば、重い剣よりも、より早く、速く、相手に当てられる得物の方が強い。 セイネリアの足が、横に払うように男の腹を蹴る。 足が宙に浮いて大人2人分の距離をふっとばされた男は、地面に落ちた後もすぐ身動きがとれなかった。 「さて、負けたペナルティはどれくらいにする?」 地面に倒れた男の右腕に足を掛けて、セイネリアは笑う。 男は腹の痛みを抑えて顔を上げ、勝者である黒い男を見上げると、彼の手に自分が落とした筈の剣を見つけて戦慄した。 ぐ、とセイネリアが足に力を入れ、剣を高く振り上げる。男の腕を切り落とす気だと思った見物人達は、その男本人と共に一斉にごくりと喉を鳴らした。 ぶん、と空気を斬る音がやけに響いて剣が振りおろされる。 その場の全員が呼吸を止めた瞬間、剣は鈍い音をたてて地面の石畳を叩いた。すぐに、がらがらと捨てられた剣が転がっていく音が続く。 「ま、なかなか見所はあるからな、斬るのはやめておく」 だが代わりに、と呟くとともに、セイネリアは男の腕を踏んでいた足に力を込めた。 男の悲鳴が建物の壁に反響する。 周りの者が思わず顔を顰め、道を開ける中、セイネリアは笑って男から去っていった。 --------------------------------------------- |