黒 の 主 〜首都と出会いの章〜 【15】 その日、セイネリアが現在自室として割り当てられている部屋に帰ると、中に入った途端に微妙な違和感を感じる事となった。 どこがどうおかしい、というよりも何か違うといった程度のちょっとした感覚は、普通なら気の所為かと思ってしまう程度のものであっただろう。その程度の、ふとひっかかった気配くらいの違和感ではあった。 だが人に恨まれる覚えだけはいくらでもある男にとっては、そんなささいな感覚も無視出来るものではない。セイネリアはいつもなら抑え気味のランプ台の明かりを強くして部屋を明るくし、じっと部屋全体を眺めた。それから真っ直ぐベッドへ向かっていくと上掛けを剥いで、それから枕を持ち上げてみて口元を歪ませた。 「まぁ、こんなところか」 枕の裏に仕掛けてあった針を取り出して、それをじっと見つめる。 おそらく、なんらかの薬物が塗布されているだろうそれを仕込んだのが誰なのか、そんな事はわざわざ考えるまでもない。そんなものは違和感の原因が分かった時点で分かっている。 「少なくとも、退屈する必要がまったくないのは確からしい」 セイネリアは言いながら喉を震わせて笑い声を上げた。 朝になってもまだ日が昇る前の時間は当然ながら薄暗い。空は昼の青とは違う紫がかった暗い青色で、西から東へ少しづつ明るい色へのグラデーションを描いている。 さすがにこの時間ならナスロウ卿よりも早いだろうと、セイネリアは規格よりも少し長くて重い長剣を持ち上げて両手を右肩に引き、頭の横で剣を構えた。 重いものを振り回す場合、特に腕に力が掛かるのは剣を止める時などその勢いを殺す時で、逆を言えば振っている最中はさほど力が掛かるものでもない。振る時は武器自身の重さに任せて武器が行こうとする方向にその重量をコントロールしてやることが重要となる。そこは、剣も斧も大きく変わるところではなかった。 けれどもその剣の勢いを殺す場合、腕に掛かってくる重量の感覚はかなり違う。純粋な力はあの大斧の方が必要なのは当然として、長剣の場合はその長さ分、大きく外へと振られるような感覚が止めてから斧よりも少し遅れてくる。そのタイミングに合わせた力の入れ具合が難しい。力を入れ過ぎれば必要以上に剣先が戻ってしまって止める事が出来ない。だからどうしても慣れないうちは剣が揺れる、次の構えで剣先が止まらない。 更に言えば、剣の基本は突く事であるから今までの振り回すスタイルからは大分変わる。確かに棒状のものは突く方向が一番効率的に動かす事が出来るし一番相手に届く面積が小さいのだから防がれにくい。ただ突く場合は振るのとは違って、武器の重量に任せるのではなくあくまで自分の腕の動きによる事になる。振る事に慣れていると咄嗟に出ないのが問題だ。 そして――セイネリアは左手を柄から離すと、剣を横に倒してその手で刀身の中程を握った。 「こう持ったら、棒術だと思え、か」 剣というのは刀身の根本から刃がある訳ではない。剣によってその幅はまちまちだが、鍔から暫くは刃がないのが普通である。その刃となっていない部分をリカッソというのだが、セイネリアが今使っている剣は割合大きくとられていて根本から刀身の半分近くまで刃がなかった。 敵となる相手が全身甲冑を着込んでいる場合、剣は刃物として有効に働かない為、劣化鈍器として柄で殴りつけるか、もしくはこうして棒状武器として使う事になるという。棒状武器として使う場合は相手を引き倒すのに主に使う為、剣を合わせる戦い方とは全く異なって剣術というより格闘技に近い。 「俺にはそちらの方が使いやすそうだがな」 独り言ちてセイネリアは軽く笑う。 それをナスロウ卿に言った時は、『確かにそうだろうな』と彼も返し、実際軽くやり方を教わった時も簡単に老騎士を倒す事が出来た。 『まったくとんだ馬鹿力だ、肉弾戦(とっくみあい)になったら流石に若い者には勝てないか』 悔しそうな口調で言いながらも笑っていたナスロウ卿の顔は、どう見ても嬉しそうに見えた。 ――まったく、これだから老人というやつは。 思い出して皮肉げに口元を歪ませると、セイネリアは頭から嬉しそうに自分を見つめる老騎士の姿を追い出して剣を目の前に持ち上げた。 それにしても――確かに剣というのは汎用武器だ、とセイネリアは考える。大抵の場面で一番有効な事はないが、使い方を変えればそれなりにどの場面でも使える。有効性と携帯性を総合して使い勝手のいい武器、といったところではあるのだろう。 一般的な長剣よりも少し長いその剣を片手で軽く振り回してみせてから、セイネリアはそれを鞘に入れた。 そうして、陽が上りかけて白くなった空を眺めて、それから視線を屋敷へと移せば、明かりのついた窓の中に動く影を見つけた。 「そろそろジジィも起きたか」 呟いた直後、その人影が思ったよりも小柄である事に気付いて、それからカーテンが開かれた事でセイネリアもその人影の正体を知る。 部屋の空気を入れ替える為に窓を開け、姿を現したのはアカネだった。笑みを浮かべて外の空気を一杯に吸った彼女は、それでもさすがというべきか、すぐにセイネリアの視線に気づいてこちらを見た。 ――なんだ、俺など雇わなくても、あの女ならいつでもジジィを殺せるじゃないか。 セイネリアが笑えば女の表情は凍り付く。それからすぐに窓辺から去って、彼女の姿はセイネリアの視界から消えた。おそらく、起きた後のナスロウ卿の身支度をしに行ったのだろう。 彼女はここの主の身辺の世話係だ。寝ているナスロウ卿を起こし、彼の着替えを手伝い、髪を梳かし、着替えを手伝う。暗殺者として育てられた彼女なら、どのタイミングでもあの老人を殺す事は出来るだろう。 それなのに、彼女があくまで報告役しかしていないのは……。 「ボーセリング卿がそう命じているのか、あの女自身の判断か、さて……どちらだろうな」 --------------------------------------------- |