黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【13】



 屋敷から一歩出れば、ただ森が広がる。
 森を手に入れてそこに移り住んだというナスロウ卿の屋敷は、辺鄙な場所に相応しくひっそりと森の中静かにたたずむように立っていて、外から見れば森の木々に隠れてしまって分かっている者以外は訪ねてくる事もない。
 それでも買い出しとなれば近くの街までは一日で馬で行って帰ってこれる為そこまで不便ではない、とここの筆頭執事である男は言っていた。とはいえ彼自身が買い出しに行く事は稀で、騎士団時代の元ナスロウ卿の部下だった者が定期的に必需品や食料を買って持ってきてくれるらしい。

――つまり、その男がナスロウ卿に首都の様子を教えている可能性が高いな。

 魔法アイテムが市場に出回っているクリュースでは、直接遠くにいる者と連絡をつける為のアイテムもあることはあるが普段使いをするには少々高額すぎた。ナスロウ卿の財力的には問題ないだろうが屋敷内の簡素なつくりを見ればそういう手段は緊急用で、定期的な情報程度はもっと気楽な手段を使っているだろうと想像できる。
 使用人達も最小限で、情報収集用の人間を雇っているとは考えにくい。しかも彼らは高齢の者が多く、古くから仕えてきた者達ばかりなのだろうと思われた。

 けれども、だが、一人だけ、その中に違和感がある人物がいた。

 毎晩寝る前に、セイネリアは部屋で武具の手入れをする事になっていた。自分が使う分だけではなくナスロウ卿の分までやるのだから、それなりに時間は掛かるしその分寝るのは遅くなる。
 それを見越して、ナスロウ卿は適度なタイミングでセイネリアの元へ香草茶を運ばせる。
 通常の時間なら、そういう時にセイネリアの元へくるのは歳のいったメイド長の女だった。だがその時だけは、いつもナスロウ卿の身の回りの世話をしている若い女のメイドが持ってくる事になっていた。
 彼女は、この屋敷の使用人達の中では明らかに異質だった。
 一人だけとびぬけて若いというだけでも異質な上に、美人な上に所作が整い過ぎている。田舎娘や他に仕事がないような女にはどう見ても見えず、老人の隠居生活に付き合うにしては優秀過ぎた。……それこそ、彼女がナスロウ卿の愛人か、もしくは彼女こそが飼っている間者とでも言われないとおかしいくらいに。

 けれどそれのどちらでもなく、彼女の正体についてセイネリアには大方の予想がついていた。
 だから、数日様子を見た後のある日、セイネリアはそれを確かめてみる事にした。

「セイネリア様、お茶をお持ちしました」

 いつも通り、いつもの時間にやってきた女を、セイネリアは部屋に入れてやる。
 女は特に何かに気付いた風もなく、いつも通りに机の上にカップを置いて茶を入れている。だからセイネリアはそんな彼女の後ろに回って、そっと剣を構えた。
 それだけでは、女は反応しない。
 けれどもそこで殺気を込めれば、女はすぐにその場から飛びずさってセイネリアの方を睨む。
 セイネリアは剣を振る。女は避ける。
 まだ剣を使い慣れていないセイネリアは、自分でも隙が多い事を自覚していた。女の身のこなしはかなりのもので、やろうと思えば反撃が出来ないとは思えなかった。
 なら、彼女の立場は予想の通りだろうとセイネリアは思う。
 思った途端に、セイネリアは攻撃を止め、剣を鞘に納めて見せた。
 それを見て女も戦闘態勢を崩すと、身なりを整えて向き直った。

「何故、何も言ってこなかった? 俺と接触するのがお前の役目じゃないのか?」

 言えば、少しだけ表情を不機嫌そうに歪めて、彼女は抑揚のない声で答える。

「様子を見ておりました。状況によっては、貴方を始末するのも私の役目でしたので」
「俺が、お前の主の計画をバラすか、依頼された仕事をする気がなかったら、か?」
「そうです」

 女の声は冷静ではあったが、こちらを見る目は明らかに嫌悪感のようなものが見える。理由は分からないがどうやら基本、こちらを嫌っているらしい。ボーセリングの犬にしては少々面白い女だ、とセイネリアは思った。

「少なくとも現状は、お前の主の予定通りだと思うが?」
「……はい、そうだと思います」

 そうして彼女は、今度は深くお辞儀をしてきた。

「私の仕事はおもにこの屋敷の状況を主に報告する事です。ですが、ナスロウ卿の暗殺に来た者がいれば、その手伝いをしろと言われています」
「手伝いか、直接手伝って貰う必要はないな」
「はい、貴方の場合は、そういうだろうと主も言っていました。ですので、必要な物や情報があった場合、我が主に連絡をつけたい事などがあれば私におっしゃって下さい」

 今、女の顔は、感情らしい感情のない人形のような顔をしていた。他のボーセリングの犬と同じ、訓練された暗殺者らしい顔だと言えた。先ほどのようなこちらを憎むような瞳を向けてくる事はなく、平坦な声の調子と同じ無感情な瞳を向けてくる。

「まぁ、いいだろう」

 言った途端、女はほんの僅かに気を抜いたよう息を付いた。

「だが、一つ言っておくことがある」

 そのタイミングで、セイネリアは改めて女を睨んだ。獣のようなといつも言われる琥珀の目を、意図して相手を威圧するように向ければ、女の表情は変わらぬまま青ざめる。

「ボーセリング卿が何を言っても、俺に無断でナスロウのジジィを勝手に殺す事は許さない。少なくとも、俺が勝つまではあのジジィに手を出すな。それでもお前の主がどうこう言ってくるなら俺に直接言え、分かったな?」



---------------------------------------------



Back   Next


Menu   Top