黒 の 主 〜首都と出会いの章〜 【11】 ナスロウ卿、というよりも、ナスロウ家について、セイネリアが聞いている事はあまり多くなかった。 ただ、シェリザ卿から聞かされた話では、元はちゃんと領地を持っていた旧貴族だったのが、今ではその名を残すだけで旧貴族ではなくなった、という事が妙だとは思っていた。 この国の貴族制度は、他国に比べて多少特殊であった。 中でも特に特殊なのは貴族間の階級についてで、これは大きく分けて旧貴族とそれ以外に分けられる。つまり言い方を変えると階級を現すものはそれしかなく、細かな爵位による地位の差がないのだ。 旧貴族とは、建国時に初代王によって任命された直属の騎士達の家のことであり、彼らは貴族の中でも扱いが別格で、王家とも同格に近い扱いをされ、その当主には王位継承順位が与えられていた。ただ血筋を重要視する為、一度でもその血筋が絶えれば旧貴族の地位を無くす事になっていて、最多期は40近くあった家も今では20程度しか残っていないらしい。 ナスロウ家も、そうして旧貴族の血筋が絶えて一般貴族に格下げになってしまった家の一つだという事だった。 ただそうして旧貴族が減るのを避ける為の救済策というのも用意されてはいて、もしその家の直系の跡継ぎがいなかった場合、旧貴族の他家から養子を取れば良い事になっていた。基本的に旧貴族同士は地位に差がない為、旧貴族の血筋であれば問題ないという事なのだろう。 勿論、貴族の制度などという物に縁がある筈がないセイネリアであったが、シェリザ卿の元にいるついででそれなりに説明はされてはいた。 かつて、この国の貴族の当主は騎士である事が当然であった為、跡継ぎや当主が戦場で命を落とし、家の血が絶えそうになる事は割とよく起こり得る事だった。だからその当時は旧貴族の家に次男以降、男子が余っていれば養子に欲しいと引く手あまたであったらしい。だが現在、クリュースは近年大きな戦いがないせいでまともな騎士と言える当主は殆どおらず、戦死する事もない為、養子に取れるような旧貴族の男子がいないという事はまず起こらない筈だった。それどころか、万が一どこかの旧貴族の家に跡取りがいないという事であれば、自分の息子を養子にと、旧貴族達がこぞって売り込みにやってくる状態であるという。 つまり、家の位を落としたくないのならどこかの旧貴族の家からでも養子を取ればいいだけで、ナスロウ家がそうしなかったのがおかしい、という話だ。 聞いた時は確かに疑問に思ったセイネリアだったが、ナスロウ卿の屋敷で数日を過ごす間にその理由も大体想像する事が出来ていた。 貴族の家という割には、この屋敷からその敷地内にいたる全てが、余りにも質実剛健というべきか、実用主義というべきか、貴族らしい華美な部分がなさすぎた。これがこの家の在り方なのだとしたら、最近の貴族の馬鹿息子共を養子に取る気になれなかった、という理由で旧貴族の地位を放棄してもおかしくはない。シェリザ卿の元で一般的な貴族の生活というものを見ていたのもあって、セイネリアにはここの異質さがよく分かってしまった。 まず、ナスロウ卿本人だが、初日に言われたように、朝は早くから起きて食事前に鍛錬をして、食べた後もひたすら鍛錬やら事務仕事やら馬の世話や武具の手入れで、貴族らしく遊んでいる姿などまず見たことがなかった。自分がいるせいだからかと使用人達に聞いてみたものの、普段からナスロウ卿は大体こんな生活をしていたという事で、成程これがここでの日常な訳かと納得した。 「ふん、本来クリュースの貴族は全て、騎士として国を守る為にいつでも戦える準備をしておかなくてはならないものだ。今の普通の貴族という者達の方が間違っている……筈なのだがな」 訓練の合間に聞いてみたところ、ナスロウ卿はそう答えた。 明らかにその現状を嘆いているのが分かる苦々しい顔の男に、セイネリアはわざと軽い言い方でそれに返してみた。 「だが、ここ近年大きな戦いはこの国にはない。もし起こったとしても、今なら貴族本人が戦場に駆けつける事は少ないだろうな。いいところ、金を出して冒険者を雇って向かわせて終わり、というのが大半じゃないか」 「あぁ、多分そうなんだろうな」 つまり、ナスロウ卿も、現状を十分分かってはいるのだ。 クリュースの貴族が腑抜けている、というのはそれなりに他国にも伝わってはいるそうだが、それでも彼らが攻めてこないのは、冒険者という潜在的戦力の膨大な人数と、魔法使いがいるという点、そして国としての財力を恐れての事だという。 それに加えて、『自由の国』などと呼ばれて、他国でも冒険者という存在に憧れる者が多くいるという事情がある。ヘタにクリュースをつつけば、それに反発してクリュース側につこうとする連中が国内に現れる可能性さえあった。というのも近年、大規模戦闘がないにも関わらずクリュースは地道に隣接する集落や小国を吸収していて、それらの殆どが相手側からクリュースに属する事を希望してきた結果だった。 実際、クリュースに水面下で対立姿勢をとっている国では、国境周辺の領主が寝返ってクリュース側につこうとしていないかが常に悩みの種ではあるのだ。なにせ、クリュースに近い地域には自然とその文化も流れ込んでくるわけで、魔法を日常に取り入れたその豊かな生活を知れば知るほど、そちら側の人間になりたいと思うのは人として当然だろう。 ある意味、戦力的な問題以前に、国内の問題でクリュースと争いたくない、という事情が各国にはあった。クリュースの長期の平和はそれらの事情の上に成り立っていたのであるが、その所為でまた、本来国を守るべく働かなくてはならない貴族達が堕落しきってしまったともいえた。 「駆けつけるのは年寄りと、手柄を立てて地位の向上を狙う貴族でも底辺の連中か、貴族外の冒険者くらいだ」 「……だろうな」 「だから騎士団もそういう連中しかいなくなって、酷い状態らしいな」 「あぁ……今はそうらしい」 元騎士団の英雄であるナスロウ卿がそれを知らない筈はない。騎士団にいる下っぱ貴族達もそれで地位向上を狙って必死にやっているのならいいのだが、役職の上は詰まっていて、大きな戦いはないから手柄を立てる機会もない――とくれば、ただ腑抜けるのも当然のことだろう。 --------------------------------------------- |