黒 の 主 〜始まりの街と森の章〜 【26】 黒い髪の若者なら、セイネリアの可能性が高い。彼ならアガネルの位置を追う事が出来る、だから彼がきてリレッタを助けたと考えるのが自然だ。 ……だが、何故かアガネルは嫌な予感がして仕方なかった。邪魔したのならセイネリアは躊躇なく殺すだろう。それは十分予想出来る事ではある……だが、何故だろう……どうにも嫌な予感がして仕方なかった。 「その若いのは俺の弟子の可能性が高い。上にいるんだな、どういけばいい」 「お、おいアガネル……」 予想外の事態にローレスティカは狼狽えている。 この男は、口は大きいくせに肝が小さい。 「話の方は分かった、だが返事はリレッタの無事を確認してからだ。もしあの子に何かあったら、仕事どころか俺がお前を殺してやる」 アガネルの気迫と、予想外の事態に狼狽して返事でも出来ないローレスティカに変わって、クーア神官がアガネルに手をさし出した。 「今送ってやる」 そうしてアガネルがリレッタのいる部屋に訪れた時、血と臓物の臭いに鼻を押さえた彼は、椅子に座ったまま恐怖にひきつっている愛娘の姿をみた。 「あぁ、ちょうど良かった」 声に目を向ければ、部屋のほぼ中央に立っている黒い髪の若者がアガネルの顔を見て僅かに笑う。 「俺が近寄るとリレッタが怯えて縄も解けなかったからな」 彼は普段通り、森の中を行く時となんら変わりはない。 ほとんど感情の見えない顔に少し皮肉げな笑みだけ浮かべて、血塗れの姿で面倒そうに頭をかく。 その足下には、上半身と下半身が互いに繋がらない方向へと倒れ込んだ死体がある。血と内蔵が散乱するその惨状を何とも思わないのか、彼は全く気にする様子もない。 化け物だ。 初めてアガネルは、自分の弟子であるはずのこの青年に恐怖を感じた。 セイネリアは多分、リレッタを助ける最善の方法と判断して殺しただけだ。殺すのが好きだから殺した訳ではなく、必要だったから殺したのだろう。こんな惨たらしい殺し方をしたのだって、他の者は追い払うつもりで最小限の労力と最大の勝率を計算して行動しただけに違いない。 けれど、それを考えても、人間には感情がある。 ここまで平然としていられる事がおかしい。 こんな男を強くしたのは間違いだったのではないかと、アガネルは今更に思う。 「ひ……ひ、嫌、ぁああ……」 そこで愛する娘の悲鳴によって思考が現実に戻り、アガネルは急いで娘のもとに向かった。 縄をほどき、震える体を抱きしめてやって、彼女の顔を自分の胸に押しつけて視界をふさぐ。 屈強な男たちが恐怖で逃げ出す程の状況を見せられたのだ、世間を知らない若い娘が正気で見られるものじゃない。 それに思い至らなかったセイネリアには腹が立つ。娘をさらうなどという馬鹿げた手段を取ったローレスティカに腹が立つ。……そして、それをくい止める事も出来ず、セイネリアの行動も予想出来なかった自分にアガネルは腹が立って仕方なかった。 震えるというよりも、びくん、びくんとひきつけを起こしたように固く強張る娘の体を力強く抱きしめて、アガネルには大丈夫だと言ってやる以上、出来る事がなかった。 たとえ、この状態が一時的なもので彼女が立ち直れたとしても、アガネルの宝である娘の心には一生消えない深い傷が刻まれてしまっただろう。 後悔をしてもどうにもならない、起こった事はない事には出来ないのだから。 「……なんだこれは……」 遅れて来たローレスティカが部屋の惨状に声をあげた。 それでアガネルは思いつく。 「ロー、俺はお前といけない。今、この子のそばを離れる事は出来ない」 言えばローレスティカは仲間の死体も気にせず、焦ってアガネルの元へ詰め寄ろうとしてくる。 「おいアガネルそれじゃこま……」 それを制するように、アガネルの固い声が叱咤するように強く響いた。 「だが、俺の代わりにそいつを連れていけ。そいつは十分に俺と張れるくらいの力はある」 ローレスティカの足音は止まる。おそらく言われてセイネリアを見ているのだろう。 アガネルは、未だ部屋の中央に立ち尽くしたままの弟子に目を向けた。 「セイネリア、そいつがお前を首都に連れていってくれる。代わりに力比べで勝てって仕事がつくが、仕事も貰えるならお前にとっちゃ丁度いいくらいだろ?」 それでセイネリアもローレスティカに目を向ける。 この状況を見た後でセイネリアの持つ大斧に気づけば、実力の確認としては十分だろう。ローレスティカが文句を言ってこないところからすれば、彼側はそれで納得したと思えた。 ならば後はセイネリアだ。 「もし、お前がその仕事を受けてくれんなら、今回の事でお前への貸しは全部なしにしてやる。もう、弟子でも師でもない、お前と俺は他人だ。二度と……この子にその顔を見せるな」 アガネルにとってはそれこそが一番重要な事だった。リレッタの為に、二度とセイネリアに会わせない事。彼女を立ち直らせる為には、なにがあってもその恐怖の元であるこの青年の姿を見せる訳にはいかなかった。 「分かった」 だがセイネリアはそう言いながらも一歩、アガネルに近づいてくる。そうして手に持っていた大斧をおいた。その意味に気づいたアガネルは彼の顔も見ずに言う。 「それはいらねぇ。人を殺したそいつはもう、ロックランの加護を受けられねぇ。……だからお前にやる、餞別代わりだ、持っていけ」 ごと、と鳴った音で、彼が斧を持ち上げた事が分かる。 「そうか」 それで彼は部屋の出口近くにいるローレスティカのところへ歩いていく。 彼がアガネル達に未練などある訳がない。アガネルが僅かに顔を向けても、彼はもうまったく興味がないのか、こちらにはちらとも顔を向けない。 血に塗れた青年の顔はどこまでも感情がなく、怯えるローレスティカに対して少しだけ苛立ちを見せながらも交渉をしている。 その背、鍛え上げられた肩の張りと自信に満ちた足取りを見て、アガネルは、あの青年はいつの間にこんなに大きくなっていたのだろうかと思った。 --------------------------------------------- |