黒 の 主 〜始まりの街と森の章〜





  【24】



 かつての、アガネルのところへくる前のセイネリアなら、こういう時に使える手は一つしかなかった。弱い自分でもどうにか出来るように、極力弱さを強調して相手を油断させ不意打ちをすることだ。

 けれども、今は。

 セイネリアの体はあの頃よりずっと大きくなり、若い分舐められるところはあっても、その体躯は十分に鍛えた戦士の体に見える。
 この大斧を持ってきたのは、これが一番相手には見ただけではったりが利くからだ。
 不利な状況では油断させて不意打ちは基本だが、相手が複数人の場合それで倒せるのは一人だけと思った方がいい。だからこの場合、その倒す一人が重要になる。
 倒す事で最大限の効果がある者となれば、この中で一番強い人物だ。その人物を徹底的に、他の者が怯えるような思い切り脅しの利く倒し方が出来ればいい。
 勿論それは、不意打ちでさえその人物を倒せなければ全てが終るという面も合わせ持つ。
 ただ、そう考えてもセイネリアは別に恐怖を感じる事はなかった。それどころか、セイネリアの唇には抑えきれない笑みが湧いた。

「……どうせ、だめだったら死ぬだけだ」

 そしてもしこんなところで死ぬのなら、自分はそれまでの人物だったという事である。生き残るために最大限の努力はするが、だめでも何ら未練はない。――それはもうずっと前からセイネリアの中にある覚悟だった。だから、死程度ではセイネリアを恐怖させる事は出来ない。
 セイネリアは口元の笑みを深くして、手に持つ斧の重さを確認するかのように持ち上げ、そうして後ろ腰に引っ掛けた。
 初めて触れた時には、これを使うどころか持ち上げる事さえ出来なかった大斧。けれども今は持つだけなら片手でも出来、両手なら振り回す事も出来る斧はセイネリアに自信をくれる。

 セイネリアは軽く項垂れると、ゆっくりと目の前の扉を押した。

「誰だ?」

 中にいる男達の視線が一斉に向けられた事が分かる。
 それでもまだ、彼らに危機感はない。
 それなりに荒事をしてきた三人の戦士の中に、たかが若造一人、彼らがおそれる事など何もない。

「セイネリアっ」

 リレッタが叫んだ事で彼らは笑う。

「何だぁ、彼氏が助けにきたってか?」

 下を向く若者の姿は、彼らには恐怖で身が竦んでいるように見えるだろう。
 だが、うなだれて男達には見えないセイネリアの金茶色の目は、彼らの様子をじっと観察していた。下品に笑う男達だが、その体付き、立ち位置、そして感じる彼らの纏う自信から、誰がこの中で一番強いかの当たりをつける。
 一歩、一歩、ゆっくりと部屋の中に入ってくる若者の姿は、彼らには恐怖のあまり震えながらどうにかやってこようとしている姿にでも見えるのだろうか。
 ならばそう思うようにしてやる、とセイネリアは更に顔を下に下げ、びくりと怯えたように肩を竦めて見せた。男達の失笑とでもいうべき、馬鹿にした笑みが部屋の空気を震わせる。

「おいお前、怖ぇえんだろ? 怪我しねぇ内にさっさと帰っとけよ」

 セイネリアが部屋の中程まで来た時、男の内の一人が笑いながらやってきて、手に持った剣をセイネリアに向けて言った。

――邪魔が退(の)いたな。

 セイネリアが当たりをつけた強い男。剣を向けてきた男が歩いてきたせいで、目的の男との間に一直線の道が出来ていた。
 そこからは、一瞬だった。
 セイネリアは上体を低く落とし、そのまま一気に走り込む。さすがに目的の男は狙いが分かったらしくセイネリアが近づく前に反射的に剣を構えたが、そんなモノが防御になどなる筈がない。
 後ろに掛けていた大斧を持ち、走りこんだ反動つきで振り払う。狙うのは腹、幸い男が着ているのは胸だけを覆う防具で腹の防御は心許ない。セイネリアは男の腹、左から右へと真横にその重く勢いの乗った鉄の刃を振るう。防ごうとした剣などその重圧の前にはなんの意味もなさずにひしゃげて弾かれ、純粋な質量の暴力でもある鉄の刃は人間の体さえバターを切るように何の抵抗もなく斬り分ける。
 体を真っ二つにされた男は、悲鳴を上げる暇さえなかった。
 周りの者達も反応さえ出来なかった。ただ呆然と、目の前で起こった出来事が信じられないように何も言えず立ち尽くす。
 血が飛び散る。
 腹を裂かれた生モノの臭いが部屋にぶちまけられる。
 斬られたというより質量によって砕かれた男の腹は、かつてその一部であったものの欠片を辺りに撒き散らした。
 真っ赤な床、真っ赤な壁。
 現実感のない赤で塗られた視界に、その場にいるものは皆、時を止める。

 その中で最初に音となったのは、女の高い金切り声だった。

 耳をふさぎたくなる程のその音にセイネリアは僅かに眉を寄せ、それからまだ二人いる男達に向き直って顔を上げる。幼い頃から獣のようだと言われた金茶色の琥珀の瞳が男達を見据える。
 返り血を浴びた顔は血に塗(まみ)れ、真っ赤に染まった手は大斧を持ち、唇には笑みを浮かべて彼は言う。

「それで次は、誰を殺す?」

 そこで初めて、男達も悲鳴を上げた。
 ひっきりなしに部屋に響く女の悲鳴に、男達の恐怖一色の醜い悲鳴が混ざる。
 男達は走る。
 実際は、足腰に力が入らず酷く不格好によろけながらであったものの、とにかく彼らはなりふり構わず急いで部屋を逃げだした。階段を転げ落ちたらしい音と、その後に続く引きずったような足音、そして聞こえなくなる彼らの悲鳴に、この建物自体からも逃げ出したろう事をセイネリアは知る。あの様子では、彼らは二度とここへ戻ってこようなどとは思わないだろう。
 ……だが、問題は。
 セイネリアは、面倒そうに椅子に縛られているリレッタに目をやる。
 瞳を見開き、縛られたその状態からでもセイネリアから逃げようともがく彼女は、人の言葉を忘れたように耳障りな悲鳴だけを口から鳴らしていた。体は震えるというよりも痙攣でもしているように強ばっていて、恐怖に塗りつぶされた瞳には人間らしい知性さえ見えない。

「なんだ……」

 セイネリアはくすりと鼻で笑った。
 彼女がセイネリアを見る目は、とてつもない化け物を見る者ののそれだ。

「お前は、その程度で壊れるくせに俺についてくる気だったのか」

 それが滑稽すぎて、セイネリアは喉さえ震わせる。

「良かったな、行く前に分かって」

 セイネリアは笑う。……何も楽しくなどないのに。
 今、彼の中にあるのはおそらく失望だったというのに、けれども今のセイネリアには笑い声しか出てこなかった。
 女の悲鳴に、セイネリアの低い笑い声が混じる。
 自分も女も、文字通りここには狂っている者しかいないとセイネリアは思った。



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