黒 の 主 〜始まりの街と森の章〜





  【12】



「セイネリアっ。あんたまた服破ったでしょ、まったく、少しは気をつけなさいよっ」

 女特有の高いキーの声が森の静寂を破って響く。

 それにセイネリアは顔さえ見ないで、あぁ、とだけ返した。

「何があぁよ。全く反省してないのくらいお見通しですからね、次からは自分で繕いなさいよ」

 それは完全に無視をする。

 破れた服を繕っているのは彼女が勝手にやっている事だ。街にいく時の服以外なら破れたままでも問題はないとセイネリア自身は思っていた為、別に彼女が繕わなくても構わなかった。

 いつも通りとはいえあまりにも反応しないセイネリアに諦めたのか、彼女は最後にまた何か喚いていたものの家の中に入ってしまった。

 正直、セイネリアはほっとする。女が叫ぶキンキン声は好きではない。

 手に持っているのは大斧。四年前は持ち上げる事さえ出来なかったそれを両手で大きく振り上げ、一気に落す。

 カン、と澄んだ木の音と共に台の上の木はまっぷたつに分断され、周囲に転がった。

 この森の管理人――アガネルのところに住むようになって四年の月日が経っていた。最初の時に持ち上げる事が出来なかった斧を普通に持ち上げられるまでに三年掛かった。こうしてこの斧で薪割りを出来るまでにもう一年。それでもまだ、彼のように片手で悠々と扱えるというところまでは届いていない。片手で持てなくはないが、それで振り回したり投げたりは悔しいがまだ楽に出来るというところまでいってはいなかった。

「おーい、お前またリレッタを怒らしたろ。八つ当たりされるのは俺なんだぞ」

 やってきた男には、さすがに手を止めて顔を上げる。

「俺は何もしてないな。勝手に向こうが怒っただけだ」

「何も……なぁ。まぁ、それが悪いっちゃ悪いんだけどな」

 セイネリアは再び薪を台に置き、薪割りの続きを始める。

 アガネルは傍の切り株にどっしりと腰を下ろし、じっとその姿を見つめてくる。

「ったく、そんな簡単にそいつを使えるようになりやがって。本当におかしいぞ、お前」

 カン、と薪が割れる音が辺りに響く。

 セイネリアはわざわざ言葉を返したりはしない。

「俺がお前くらいの時には、そいつはまだよろけながら持ちあげるのがやっとだったぜ。まともに使えるようになったのは成人した後だ」

 セイネリアは無言でただ薪割りを続ける。

 師とも言える男は、わざと聞こえるように大きくため息を吐いた。

「……そろそろ、行くのか?」

 暫く静かに見ていただけのアガネルがぽつりと発した声は、先ほどまでとは違った真剣な響きを纏っていた。

「あぁ」

 返せば、今度はわざとでなく自然なため息が彼の口から漏れた。

「だろうな。お前さんの目的の為には、いつまでもこんなとこ引っ込んでる訳にゃいかんだろうからな」

 確かに、そろそろ潮時かというのは最近セイネリアもずっと考えている事だった。

 だからこのところ街にいくと仕事後に一人残って、首都行きの隊商でもいないか情報を集めに回っていた。もしかしたらそれを知って彼は自分が出ていく事を悟ったのかもしれない。

 返事をするでもなく黙って薪割りを続けるセイネリアに、男はぽつりと静かに呟く。

「しかしそうなると、リレッタの奴も喧嘩友達がいなくなって寂しがるだろ」

 一人娘の名を口にする時、この男の声は柔らかくなる。

「あんたは安心するだろ」

 男は苦笑する。

「は、まぁ正直言うと確かにな。……だが、お前さんがここに残って、あいつを一生守ってくれりゃあ……ってのを考えなかった訳じゃない」

 全く父親という奴は、とセイネリアは思う。

 この男に弟子入りという形でこの家に住む事が決まった後、家族として紹介されたのがリレッタだった。彼女の母親に当たる人物は何年も前に病死したと言うことで、それからはここでずっと父と娘の2人暮らしだったという事だ。

 セイネリアはその時、この男を強いと認めたのは間違いだったのでは、と軽く後悔した事を覚えている。なにせ娘の前のこの男はただのだらしない中年親父そのもので、セイネリアが初めてみた時の、人々が自然と道を開けてしまうような存在感も威圧感の欠片もなかった。

「じいさんが言う言葉だな。引きこもってたせいで耄碌したのか」

 だからセイネリアは、この男について少しづつ調べた。調べるといっても、訪ねてきた彼の知人にそれとなく聞いたり、こちらの知人の娼婦に噂話を教えて貰った程度だが。

 アガネルは確かに、若い時はそれなりに名の通った冒険者として知られていた。評価に特別なマークが入る上級冒険者としてかなり危険な仕事を受けては成果を上げていたという事だ。

 だが彼は結婚した後、娘が生まれるのを機に冒険者として仕事を受ける事をやめた。……まぁ、状況的に見れば、やめた理由は家庭の為という奴だろう……セイネリアには理解できなかったが。

 陽に焼けた黒い顔にくしゃりと苦笑いを浮かべて、強い男は娘の事を話す時の緩んだ口元で言う。

「ぬかせ、父親ってのは娘の幸せを一番に考えるもんなんだよ」

「なら尚更だ。俺にさっさと出ていけと言うべきだな」

 アガネルは最初から、セイネリアが何処かおかしい事を分かっていた筈だった。事ある毎に、イカレてる、とかおかしい、とか言ってくるくせに、未だにそんな事を言い出す彼の気が知れない。

「本当に……イカレたガキだな」

 だから思わずセイネリアは笑ってしまう。

 今更、その台詞は何度目だと思っているんだと。

「あぁ、俺はきっとイカレてるんだろ。だから俺に普通に家庭を築くなんてあり得ない夢は見ないでくれ」

「……お前の目指す先にゃぁ破滅があるだけだ。いくら強くなっても更に上を目指す限り幸せなんて見つけられないぞ」

 アガネルの目はもう笑っていない。

 その顔を見れば、この男もかつてはもっと上を目指そうとしていた時があったというのが分かる。誰よりも強くなって上を掴みたいと、そう思ってその体を鍛えた時期があったのだろう。

 だが彼の出した人生の結論は、家族の為にここで人に雇われて暮らす事だった。

 だからこれは彼の経験からくる忠告だという事はセイネリアにはちゃんとわかっている。ただ自分には意味がない話だと、セイネリアは唇で薄ら笑うだけだったが。

「幸せなんてモノには興味がないな。俺が欲しいのは、自分が存在している意味と価値だ」

 こんなやりとりは初めてではない。

 何度もやったやりとりは、いつも同じ結果で終る。

 ただ、この話をする度に、最後に彼は険しい顔をして呟くのだ。

「お前、ロクな死に方しねぇぞ」


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