黒 の 主 〜始まりの街と森の章〜





  【10】



 いくら大きい街とはいっても、この時世、街の門を一歩出ればそこは別世界となる。整然と並ぶ石やレンガ作りの建物は消え、森か山か湖か、もしくは延々と続く田園風景に切り替わる。
 ラドラグスの場合は、北か西にに行けばお約束の田園風景だが、東に抜ければ森と山が広がっていた。
 そして今、セイネリアは首都を目指すべく北ではなく、東門を抜けた森の中を歩いていた。

 数歩前にはあの強い男が歩いている。

 あの後、セイネリアはあの男の後をずっと付けて歩いていた。勿論、騎士に付いていった時の教訓から、他の何者かにつけられていないか十分には気をつけて。
 前を歩く男は確実にこちらに気付いている筈だった。だが彼はセイネリアに声を掛けるどころか、振り向いてその姿を確認しようともしてこなかった。
 だからセイネリアは、男の後をそのまま歩いた。

 男が木を置いた屋敷から戻っていったその先には、材木を積んだ荷車が置かれていて、見ていればその荷車を引いて、男はまた別の場所へと木を置きに行った。それを何度か繰り返し、荷台の木がなくなると、男は空の荷車を引いて東門を抜け、森の中へと入っていった。

 どうやら男は樵(きこり)らしい。森で木を切り、それを街で売っているのだと思われた。

 森へ入った男は、森を抜ける街道を暫く歩き、途中からきちんと整備された道ではなく殆ど道には見えない、いわゆる獣道へと入っていった。小柄なセイネリアは少し身を屈めるだけで問題はないが、大きな男の体では細い枝や草に遮られている筈のその道を、だが男は邪魔そうにそれらを払う素振りも殆ど見せずに歩いていく。
 男はやはり後ろを行くセイネリアの事などまったく気にもせず、無言のまま、立ち止まる事もせず、ただ荷車を引く音だけを森の中に響かせて歩く。既に街道からはかなり離れ、完全に森の奥へ来ていた。もしここで男を見失えば街に帰れるか怪しいなとセイネリアが思った時、やっと道の先に、恐らく目的地だと思われる小屋の姿が見えてきた。
 そして、そこに着いて荷車を小屋の傍に置いたところで、初めて男は後ろにいた少年に声を掛けた。

「迷子のお客さんか、運が良かったな坊主。俺はこの森の管理を任されてる。迷子なら街まで案内してやるぞ」

 けれども男は振り向きはしない。
 セイネリアはその見事な筋肉達が深い陰影を描く背中を見ながら、男の前に歩み出ていった。

「樵じゃないのか?」

 男はそれでも振り向かない。セイネリアの方を見る事なく、荷車の綱を纏めている。

「あぁ、樵もするが、俺は森の管理人として雇われてる。森の中見回って、迷った連中の保護やら、ヤバイ化け物の報告なんかが仕事だ。指定された条件の木を切って、言われたとこに運ぶ樵業も管理の仕事の一つだな」

 綱を纏め終わると、男は今度は薪割りを始める。
 家の壁に立て掛けてあった見ただけで普通の斧よりでかいと感じる大斧を、男は片手でひょいと持ち上げると頭上に構え、そこから両手でぐっと握り締めて一気に振り下ろした。
 剥き出しの男の筋肉が、腕の動きに合わせて蠢く。重厚な斧と筋肉の共鳴は、だがその重さからは嘘のような甲高い音で終わりを迎える。
 カン、と鳴る音と共に、真っ二つに切り分けられる薪。
 あの音の高さからすれば、薪になっている木は相当に硬い木だろうに、圧倒的な力と重さにそれは成す術もなく簡単に、正確に、均等に割れていく。

「……あんたは強いな」

 呟けば。

「さぁてな」

 と、男は返す。やはり、こちらの顔を見る事はない。
 だからセイネリアはまた一歩だけ男に近づいて、思った事をそのまま口にした。

「何故、あんたくらい強い人間が人に雇われてる」

 男の動きが止まる。
 ダン、と斧を台にしている切り株に刺して、やっと男は面倒そうに振り向いた。

「ったく、一々不穏な事言うガキだな。……で、こんなとこまでついてきて、俺に何の用だ?」

 そうこなくては、と内心呟いて、セイネリアは鼻で笑った。

「あんたは強い男だ」

 男は嫌そうに眉を寄せると、再び視線を元に戻してセイネリアに背を向けた。それから作業の続きなのか、散らばった薪を拾い集める。

「ただ仕事柄力がある程度だ。戦闘が本職の連中と戦う事になったら勝てねぇよ」

 集めた薪を両腕に抱え、それらを積み上げている近くまで持っていくとその場にばら撒くように下ろす。カチャカチャと薪同士が当たる高い音にまじって、地面に落ちる重みのある音を聞けば、あの男が抱えていた薪の束は並大抵の重さではないのが分かる。

「そうか? 俺はそうでもないと思う」

 今度は男は返してこない。地面に落した薪を並べていく音だけが、静かな森の中に響いていた。

「あんたなら、相手の前に立っただけで大抵の奴には勝てるだろ」

 だから重ねて言えば、最後の薪を置くのと同時に、やっと返事が返された。

「は、随分評価してくれる」

 作業が終ったのか、男は体の埃を払うと、腰を伸ばし、腕を回す。

「俺は、強くなりたい」

 セイネリアは一歩、それからまた一歩と、ゆっくりと男に近づいていく。
 だが男まであと3,4歩の距離にまで近づいた時、男が険しい顔をして振り向いた。

「……お前、血の匂いがするな」

 セイネリアの足はそこで止まる。

「随分鼻がいいな。ここに来る前に死人に触った。それに三日前に自分でも人を殺した。服は洗ったが、あの時は相当派手に返り血を浴びたから、まだ服に匂いがついている可能性はあるだろうな」

 男は今度はすぐに視線を戻さず、じっとセイネリアを睨みつける。ぶつけられた男の威圧感だけで、セイネリアの足はそれ以上動けなくなる。

「ガキのくせに人殺しかよ。殺して平然としてる段階でマトモじゃねぇだろ、お前」

 男の放つ圧力は、確実にセイネリアの体を縛る。
 だが、自分でもおかしいと自覚がある心は、その重圧にも飲まれない。

「マトモではないのは確かだろうが、別に殺したくて殺した訳じゃない。殺した時に特に愉しいとは思わなかったから、殺人狂ではないんだろう」
「……なんで殺した?」

 男がセイネリアに掛けてくる圧力はそのままだ。睨まれているだけで体中の筋肉が萎縮し、意識せずとも心の中に確実に迫る恐れが男を大きく見せる。
 けれどもセイネリアは、地面に縫いとめられた足に力を入れ、また一歩、前に進む。

「俺じゃなく、相手側が無差別な殺しを愉しむような馬鹿だった。だから、自分が助かる為に確実な手段を取っただけだ。生憎、今の俺は強くはない。殺す以外の方法は助からない可能性が高かった」

 目は逸らさない。この男に、子供らしい子供のふりなど意味がない。
 この男なら、獣のようだと言われたこの瞳に意味を見出すだろう。

「……おもしれぇ事いうな。もし自分が強かったら殺さねぇっていうのか?」
「最初から恐れる必要がない相手は放っておいてもいいだろう。それに、殺すと汚れるし、逃げるにしても警備隊に言うにしても後始末が面倒くさい。復讐劇に付き合わされるような事になったら馬鹿馬鹿しい。やっかいなだけで得にもならない事はしたくない」

 途端。
 返ってくるのは笑い声。男の太い喉首が揺れて、低い笑い声が口から漏れる。

「ふん、確かにガキにしちゃえらくキモが座ってる。気味悪ィくらいにな。てめぇみたいなガキが強くなったら面白ぇとは思うが……もう一押しだな」
「条件か?」
「そうだなぁ、口だけじゃねぇってとこも見せてもらいたいとこだが……。あぁお前、あいつを持ち上げられるか?」

 そう言って男が指差したのは、薪割り台の切り株に刺さっている男の大斧。

「あれで薪割りしろとまではいわねぇ。ほんの少しの間でも、あの斧の刃を、台にも地面にも付かず持ち上げる事が出来たら認めてやる」


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