黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【27】



 昼間の首都セニエティは基本、街を十字に区切る大通り周辺にばかり人が集まっている。治安の悪い西の下区は勿論の事、他の地区でも人が集まる特定の場所以外では大通りから遠い外周方面に行くにつれて人がいなくなる。
 酒場や娼館がある東の下区は、その手の店が並ぶ南地区とは別に北方面には居住区もあるのだが、その境目辺りに人の住んでいない空き家の多い地区があった。当然、その辺りは特に人通りがない。
 リオ達が襲撃されたのは丁度その辺りへ入っていく細い裏道で、セイネリア達が向かった時も人通りはなかった。もう夕暮れ近くになっていたのもあって、辺りは薄暗くなってきている。もうすこし暗くなれば街灯に明かりが入るが、それでも住民がいないこの辺りは殆ど街灯はないからかろうじて道と壁の区別が出来る程度になるだけだ。

「手がかりを探すにしても、大分暗くなってきてるから厳しそうだぞ」

 やってきたエデンスは、まずそう言って周囲を『見て』いた。

「そうだな、それでももし何か残っているものがあったとしたら、明日にはなくなっているかもしれない」
「確かにな」

 それにエデンスには言っていないが、セイネリアには魔力が見える。これに明るさは関係ない。とはいえそれに過度の期待をしている訳でもなかった。魔法の篭った何か――それ自体が落ちているとか、設置系の魔法を使った後とかであれば見えるが、普通にただ魔法やそれの篭ったアイテムを使っただけではそこに魔力は残っていないからだ。

 あとは、見える範囲にいる人間の魔力が見えるくらいだが……そこでセイネリアはあるものを見つけてすぐにエデンスの方を見た。

「周囲に怪しそうな奴はいるか?」
「そうだな……何か探してそうだったり、周囲を気にしてるような奴……とかはいないな」

 そうか、とだけ返してセイネリアはいかにも道に落ちているものを探すように下を向いて歩き出す。エデンスはまだその場に立って辺りを見ていた。
 そうして、エデンスとそれなりの距離が開いたところで『ソレ』は滑るような速さでセイネリアに向かってきた。
 建物の影に沿うように走る魔力の軌道。
 『ソレ』の姿自体が目視出来たのは目の前に来た時だった。
 セイネリアはやってきた銀色の光を、左腕の装備(バンブレース)で受けた。それでやっと相手の顔が分かる。彼はセイネリアが剣を受け止めた事で嬉しそうに笑った。そこから自然に、音もなく、その姿は即視界から消える。
 だがセイネリアには彼がどこへ消えたのかが分かっていた。
 消えたと同時に前を蹴れば、しゃがんでいた彼はその態勢から片足だけ伸ばして横へと飛び退く。そこは丁度建物の影に入るから、その姿は視界からは消えた。

――ヴィンサンロアの術だな。

 本来ならそうそう連続で使えるものではない筈だが、彼なら驚く事ではない。セイネリアには相手が誰か分かっていた。こうして襲ってきたその意図も分かっていた。
 消えた男が再び姿を現す、今度は左後方に。だがそれに合わせてセイネリアは右手で剣を抜くと同時に、左手でマントの端を持つと勢いよく上に持ち上げた。当然マントは大きく翻って広がる。重い生地の攻撃を受けてその人物は僅かに下がるが、それでも今度は大きく逃げる事はなく、逆にこちらがマントを持って振り上げたせいで出来た腕の死角へと回り込んだ。
 次に聞こえたのは、鉄と鉄がぶつかったというには少し鈍い音。
 マント越しに出された相手の剣を、抜きかけた状態のセイネリアの剣が受けた音だ。

「これは上手い」

 聞こえた小さな呟きは、やけに楽しそうだった。
 セイネリアが左足で相手を蹴ろうとすれば、今度はまた大きく飛びのいて向うは距離を取る。それでこちらもちゃんと剣を抜き切って両手で構えられた、しかも見せつけるようにゆっくりと。
 再び、向こうが笑う気配がした。
 それと同時に転送で来たのかと見まごう速さで相手がこちらの前に現れ、駆け抜けていく――と、そう思った後に、銀色の線が首の辺りを狙って伸びてきた。勿論、それはセイネリアの剣に阻まれたが、滑るように滑らかな軌道を描いてそれはすぐに戻ってくる。それもセイネリアの剣が受けたが、銀色の光の軌道はそれでもまだ途切れなかった。右を弾けばから左から、左を弾けば右から、向うは両手に剣を持っていて交互に繰り出してくる。そうしてこちらの剣に阻まれては逃げて、どちらもすぐ戻ってくる。しかも相手は棒立ちで剣だけを動かしているのではなく、その体も剣の動きに合わせるように左右に揺れていた。まるで風になびく草のように、ゆっくりとした動きに見えるのにその剣先の速さは尋常ではない。こちらと違って小型の剣は、小回りがきく分手数的には圧倒的に向うが有利だった。セイネリアが防戦一方になるのは当然ではある。
 それでもセイネリアの中に焦りは少しも生まれない。

――流石の腕だな。だが……。

 セイネリアには見えるのだ。
 これがあの剣を手に入れる前ならさぞ楽しかったのだろうと思いながら、セイネリアは剣を受け続ける。
 とはいえ当たり前だが、いつまでも受け続けているつもりはない。
 相手の両手の剣が交差する直前、セイネリアは自分の剣を前に押し出す。向こうはそのまま2本の剣で受けたが、腕力的にも剣の重さ的にもこちらの勢いを受け止めきれるはずがない。
 それを判断した男は、そのまま大きく後ろへ跳んだ。
 そうして着地をするようにその場に跪くと、彼はまるで臣下の礼を取るような恰好で言った。

「失礼しました。これ以上の攻撃はいたしません」

 そうして男は両手の剣を見せつけるように腰に戻す。
 それを信じろというのは普通ならあり得ないところだが、彼が何者か分かっていたセイネリアは何事もなかったように手を下げた。

「お……おい、そいつの言う事信じるのかよ!」

 怒鳴ったのはエデンスだ、彼のいう事は当然ではある。

「大丈夫だ、ただの遊びだろうしな」
「っておい……」

 まだ納得いかないという顔をしているエデンスだが、襲ってきた男の方は楽しそうにくすくすと笑っている。

「えぇそうですね遊びです。一歩間違えたら死ぬかもしれない遊びに付き合って頂いてありがとうございました」

 男はそこでゆっくりと、やはり気配を感じさせずに立ち上がる。薄暗い中ではあるが、今度は影に隠れずハッキリその顔が見えた。ボーセリング卿が弟と紹介した人物、『犬』達の『先生』である男――アディアイネだ。




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