黒 の 主 〜傭兵団の章二〜 【16】 ――ったく、これはただの嫌がらせじゃねぇな。 どうにか隠れた空樽の山の後ろで、エルは息を潜めた。 割合近くを足音が通り抜けていく。敵はどうやら4人……いや、弓が一人いたみたいだから5人か。その人数と、狙ったのがエル一人というところからして今までみたいにちょっと仕事を失敗させて困らせてやろうなんて程度の連中ではないのは確かだ。 考えればこの状況で、団の幹部であるエルが一人でウロウロしていたら狙われない方が不思議ではある。ただそれをセイネリアが気付いてないなんて事はない筈で、彼は分かっていて何も言わなかったのだ。つまり自分を囮にしてくれた可能性が高い訳だが、今までの彼の事を考えれば『あいつはそういう奴だよ』で終わる話ではある、ムカつくが。ただしそういう手を取るなら、ちゃんと彼ならこちらを守る為に何重にも手を打ってくれている筈だった。 だからきっと、時間稼ぎさえ出来れば確実に助けはくる。 それを確信していたから、エルはへたな博打に出て連中を倒そうとはしていなかった。5人共がパっと見た通りの雑魚なら、少なくとも弓以外の4人は強化を掛けて一気に倒せそうな気もするが、成功の確立は高くもないから試すにはリスクが高すぎる。だからひたすら逃げて隠れている訳なのだが……厄介な事に、思ったよりも向こうは馬鹿でもないらしかった。 なにせ連中はエルが傭兵団から大通りに出る少し手前で待っていた。しかも敵が出て来た方向的に、エルはそこから西、つまり西の下区方面に逃げるしかなかった。ここだと追いかけっこくらいでは他人からの通報で警備隊が助けてくれるなんて事はない。道は細くて入り組んでいるから、助けが来たとして合流するのが難しい。 ――それでもセイネリアの奴なら、どうにかしてくれる……と信じとくけどよ。 そこでひゅっという音が聞こえたかと思うと樽に矢が刺さる。見つかったか、と仕方なくエルはそこから出てまた走った。連中の内、弓役はどうやら家の屋根を伝って移動しているらしく厄介だ。 「こっちだぞ」 後ろに連中の声が響く。すかさずエルは一段階の強化を足に入れて走る速度を上げた。これなら切れても一気に疲れがくる事はないし、持続時間も長い。連中の足音は離れたが、隠れられる場所を探すのも難しい。いっそこのまま走って大回りで団に戻るか……と考えていたら、後ろにまた矢が落ちたのが音で分かる。さすがに屋根移動している相手を突っ切るのは難しいかとエルは思う。とはいえそれなら隠れても無駄だし、さてどうするべきか……。 そう考えて走っていたエルは、ある路地を曲がったところで思わず叫んだ。 「うぉえあっ……ってぇ、脅かすなよっ」 突然道を塞ぐ真っ黒で大きな影。最初は本気で心臓が止まるかと思ったが、誰か分かれば安堵と共に顔に笑みが湧く。ただ動機は止まらない。 「お前はここにいろ、捕まえてくる」 いつも通りの至極冷静な声がそういうと、全身真っ黒の騎士はエルの横を通り過ぎていった。 「いやそんなら俺も行くって……」 それを見て急いで方向転換したエルは、直後にその背後の声に振り向いた。 「あんた疲れてるだろ、黙って待ってな。どうせ終わってから縛り上げる仕事があるんだからな」 そこにいたのはエデンスで、ならセイネリアが唐突にここに現れた理由も分かる。 「いやでも弓もいるって言っといた方がよ……」 「大丈夫だ、そっちは一人みたいだから嬢ちゃんの部下がどうにか出来るだろ。とにかく、あんたも行った方がいいと思ったらすぐ飛ばしてやるからまずは座ってな」 ならやっぱり、最初からカリンの部下がこちらについていたのだろう。 クーア神官の言葉にエルは足を止めたまま大きく息を吐いた。だがそれでちょっとほっとしすぎたらしく、なんだか疲れがどっとでてその場に座り込んだ。 --------------------------------------------- |