黒 の 主 〜傭兵団の章一〜





  【72】



「そうか。……まぁ、感じないなら感じない方がいいんだろうが……体の方は?」

 本当に、どうやら本気でこの魔法使いはこちらの事を心配しているらしい。それでまたこの魔法使いケサランの魔法使いらしくなさを実感して笑いたくなる。だからセイネリアはあえて口元の笑みそのままに軽口で言ってみた。

「そっちも相変わらずだぞ。何も変わらない、髭は伸びないし、傷はすぐ元に戻る……あぁ、そういえば酒だがな、笑えるくらい酔いが覚めるのが早い」
「なんだそれは?」
「軽く飲んでるくらいなら多少熱を感じられなくもないが、体に害が出るくらいに一気に飲むと一気に酔いが消える」

 理論的に考えれば当然ではある。体に害があれば元に戻るようになっているのなら、酩酊状態は体に異常があると認識されて『戻る』のだろう。
 ケサランはこちらの顔を見ないままに重そうな溜息をついた。

「それは……怪我とかと同じ扱いなんだろうな、体に異常があれば元に戻る、という……」
「そういう事だろ。俺は酔う事さえ出来ないらしい。まったく、つまらない体になったものだ」

 笑ってみたが、勿論面白い訳などない。そして魔法使いも、また辛そうに重い息を吐いた。
 本当なら、今回は一度死ねるか試すつもりだった――と彼に言ったらなんと反応するだろうか。ふとそんな事も思いついたが、我ながら何故そんな事を思いついたのかわからないくらい馬鹿馬鹿しくて、セイネリアの唇には自然と自嘲の笑みが浮かんだ。





 その日、カリンは傭兵団の廊下でエデンスと会った。

「歩いて移動ですか、珍しいですね」

 言えば、クーア神官はニカっと笑いながら楽しそうに口を開く。

「いやぁ、若い連中に付き合うのはやっぱ体力がいるからな。歩けるとこは歩くようにしてるんだよ」
「その方が健康的ですしね」
「まったくだ、ついでに若い連中相手だとこっちの気分も若返る」
「無理はしないでくださいね」
「それは……あんたの方だろ」

 笑顔で言い合っていた空気が、そこで一変する。エデンスの顔からもカリンの顔からも笑みは消える。それでもカリンは今度は改めて薄い笑みを浮かべてゆっくりと噛み締めるように言った。

「無理はしていません。ボスは私に無理はいいませんから」
「……そうか。そうだな」

 それでエデンスも苦笑してから口を閉じた。
 あの仕事の後、彼は今回のようなキツイ仕事は暫くやりたくないとセイネリアに言った。セイネリアはそれに怒る事はなく、なら新人や慣れない連中の仕事に監督役で入るよう命じた。だから彼は今、新人や、戦力的に不安が残る連中の仕事について行っては何かあった時に助けるのが主な仕事だ。セイネリアが新人研修について行く事がなくなった分、周囲監視と、想定外の状況に陥った時のフォロー役だ。

「ま、あんたの偵察程度なら手伝うから、必要なら声掛けてくれ」
「でも、ボスとの仕事は嫌なのですね?」

 聞いてみれば、クーア神官は頭を掻いた。

「そうだな。なんていうかちょっと怖くなってな。エーリジャの気持ちが分かったというか……いや、俺は割と小さくない恩があるからここを出てはいかないが、傍にいてあの男の考えに触れるのは勘弁させてもらいたくてね。俺も歳を取ったって事さ、若い頃の反動もあるがな、血なまぐさいのは出来ればもう見たくない」

 転送が使えるようなクーア神官は普通、神殿に所属しているから、フリーの冒険者などやる事はまずない。野心ある貴族に仕えていた彼がどんな仕事をしていたのかは簡単に予想がつく。

「幸いあの男はやりたくない事をやれとは言わない。……まったく、ご主人様としては理想的なくらい出来た人間ではあるんだがね」
「はい、私も無茶を言われた事はありません」
「だな。まぁ、あんたは思いつめすぎないくらいにがんばれよ、俺と違って降りる気はないんだろうからな」

 それで彼は笑って去っていってしまったが、その足取りは軽く、楽しそうではあった。
 カリンは彼を暫く見送った後、思わず口元に苦笑を浮かべて呟いた。

「私は、無理を言われても構わないのですが……」

 セイネリアは部下の能力を把握しているから、本人の性格に合わないもの、能力的に厳しいものは最初から命じては来ない。だがカリンとしては、例え無茶でも言ってみるだけはして欲しいと思う事もあった。
 セイネリアが頭が良くて強いのは皆分かっている、それでも最近は彼の頭の中だけで帰結して教えてくれない事が多すぎて、彼が苛立っているのにその理由が分からない事がよくある。
 自分は一番彼の考えを分かっている筈なのに、彼の苛立ちが何も分からないのがカリンにとっては辛かった。




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