黒 の 主 〜傭兵団の章一〜 【71】 難しい顔をしながらも、ケサランは更に話を続けた。 「記憶消去ってのは、基本は消したい記憶を別の記憶に置き換えるんだ。つまり元の記憶に繋がってたのを別に作った嘘の記憶に繋げてやる訳なんだが……出来るだけ似た記憶を作るにしたって、都合悪い部分は失くす訳だから完全に関連した記憶全部の繋ぎ替えなんて出来ない」 「成程、どうしても繋ぎ替えが出来なかった部分が出るのか」 「そういう事だ。勿論、元の記憶は辿れないようにしてあるから繋ぎ替えが出来なかった部分から元の記憶を思い出せる事はまずない。だが、覚えがあるのに記憶がない……という事にはなるだろうな」 その理論ならラスハルカの状況も理解できる。ただ多少の疑問は残る。 「それなら記憶消去された人間はすべて『記憶がないのに覚えがある』という事があり得る訳だろ。よくそれで今まで誰も騒がなかったものだな」 ケサランはそこで一度グラスに口をつけ、喉を潤してからこちらを向いた。 「記憶には印象に残る強い記憶とあやふやにしか思出せない印象の薄い記憶があるだろ。当然強い記憶優先で繋ぎ替えを行う。なにせもとからあまり印象になかったりよく覚えてないような記憶なら思い出せなくても普通そこまで気にしないだろ。忘れる事なんて誰でも珍しくないんだからな」 確かにそれはそうだ。記憶消去を受けた事がない人間だって既視感を感じた事がある人間は多い。普通は気にしない、と言えばその通りだろう。 「分かった、そこまで教えてもらえたらこちらとしては十分だ。そういう状況は珍しくないものだ、という事で覚えておく」 今度は明らかにケサランは安堵の表情を見せた。彼としてもこれ以上深入りして聞かれたら答えるのは難しいと思っていたところだというのが分かる。 ただしセイネリアが見たところ、ラスハルカは既視感だけではなく記憶を取り戻す可能性があるかもしれない、と思っている。 というのもシェナン村で最初に会った時、自分の傍には死者が寄り付かない、というのをセイネリアは昔仕事で組んだ事があるアルワナ神官の発言だと彼に説明した。彼自身もその事を他のアルワナ神官に聞いたのかと言っていたし、少なくともあの時点でラスハルカはそれが自分の発言だった事は覚えていなかった。 だが次に会った時彼は確かに言ったのだ。 『言ったじゃないですか、貴方の傍には死者も恐れて近寄らないと』 本人も意識せずに言ったようであったから、こちらを引っかけようと意図した発言だとは思えない。ならば記憶の混同が起こったのか、それとも条件が揃ったせいで記憶が修正されて元の正しい記憶に繋がってしまったか――どちらにしろ、記憶の消去処理的に何か想定外の事態が起こった可能性がある。 だから同じように、もしくはそれをきっかけにして、断片的にかもしれないが彼の記憶がいくつか戻る可能性がある、とセイネリアは見ている。 これについては、まだ魔法使いには知らせはしない。 セイネリアは別にラスハルカの記憶を戻そうなんて思ってはいないが、記憶消去された者が記憶を戻す方法があるのなら情報として知っておきたいところではある。もし戻らなくても特に問題はない。彼に関して今後仕事で声を掛けられるようにしておいたのは、勿論アルワナ神官としての能力が便利なのも確かだがその様子を伺うためでもあった。 魔法ギルドは現状、セイネリアを彼らの側につかせたがっている。だからこそある程度の秘密をこちらに教えてくれて、恩を着せるためにも協力出来る事は協力してくれる。 だが彼等はセイネリアが魔法使いを嫌っている事も分かっている。ならばセイネリアが彼等を嫌うだろう側面は極力見せないようにしていると考えるのが当然だ。 つまり、彼らはこちらに隠している事がまだかなりある筈だ。 「……ところでその後、お前の方はどうなんだ?」 そこでまたぽつりと、ケサランがこちらの顔を見ずにそう言ってきた。その口調からは、言い出していいのかどうか戸惑うような空気が感じ取られたから、セイネリアは僅かに口元を歪めた。 ――まったく、こいつは本当に魔法使いらしくない。 セイネリアは彼の顔を見ずに酒を飲んでから返す。口調はあくまで軽く。 「どう、というと?」 魔法使いはこちらを向いて怒るように言ってきた。 「それは……剣の影響に決まってるだろっ。……体の事とか、他の人間の意識を感じるとか、だなっ。体に異変が感じられたかどうか、そういう話だ」 「剣の中にいる連中の意思は殆ど感じないな。感覚的に少しだけ他者の感情を感じる事はあるが、意思といえる程ハッキリしたものは感じない。勿論話しかけても来ない」 その言葉には特に嘘もぼかしも入っていない。 満足したから大人しいのか、それともこちらが無意識にブロックしているのか。騎士の意思も、魔法使いギネルセラの意思も今のところ感じる事はなかった。多少怪しいのは戦闘中に自分のものではないと分かる――おそらくは騎士のものだろう――高揚感のようなものを時折感じるくらいだ。 --------------------------------------------- |