黒 の 主 〜傭兵団の章一〜 【35】 セイネリアは失望していた。 その琥珀の瞳に映る今現在の敵の姿に、既に敵としての興味は失せていた。 最後に受けられた時に返ってきた剣の手ごたえは、強化を掛けた直後からすればその半分程の力しかなかった。だから楽に弾けた。剣を弾かれた反動を受け止めきれなくなった相手の体はそこで地面に倒れた。 だがもう起き上がる事は出来ない。 本人はまだ戦う気で足や腕を動かしているが、その足や腕は動かしている方向についてきていない。 ――もういいな。 セイネリアはこの勝負に見切りをつけた。これ以上やってもこの男がセイネリアを倒す事は出来ない。なら終わりだ、目的は果たした。結果はクソつまらなくても、これ以上この男に何かを求めても無駄だ。 セイネリアはセウルズに向かって歩いて行くと、ゆっくりと剣先を彼のその喉元へ下ろした。 「勝負はついた。あんたの負けだ」 そうすれば、無様に地面で藻掻いていた神官でもある剣士は動きを止めた。 「殺さないのか」 「殺して欲しいなら殺してもいいが、あんたにはもう一仕事してもらいたい。出来るだけ死者を出さずにこの争いを終わらすための仕事と言えば文句はないだろ?」 「何を……?」 そこで剣士はごほりと咳き込む。周囲を囲む兵達から心配そうな声が上がる。 「負けを認めて、以後こちらの指示に従うか?」 「何を……させる気だ?」 それに対する返事はしない。セイネリアは平坦な声のまま彼に重ねて聞く。 「従うのか、どうなんだ?」 そこで僅かに間が空いて、セウルズは答える。 「分かった。……負けは、負けだ。言う事を聞こう」 それを聞き届けて即、セイネリアは周囲に向けて声を張り上げた。 「どっちの陣営でもいい、リパ神官を連れてこい。さっさと治療しないとこいつが死ぬぞっ」 そうすれば最初は静まり返っていた周囲の人の輪の内、3か所程が崩れ始めてそこに道が出来る。やがて、道を開けるように張り上げる声が聞こえだして、いかにもリパ神官らしい人物がそれぞれの方向から3人やってくる。 たださすがに長男側と次男側、違う陣営のリパ神官が顔を合わせた時は近づくのを躊躇して足を止めたから、それにはセイネリアが声を掛ける。 「どちら側の神官だろうと治療の間は誰にも危害を加えさせない、俺が保証する」 それで3人ともすぐセウルズの傍に駆け寄って治癒術を掛け始めた。セイネリアはそこで周囲を見渡す。 周囲の兵士達は皆困惑しているようだったが、戦闘はまだ止まっていた。 こちら陣営側の奥にキディラの姿が見えて、彼はセイネリアが見たと分かるとその場でゆっくり頭を下げた。予めしてあった提案をメイゼリンが了承したという事だろう。 そこで下を向けば幾分か術が効いてきたのか、セウルズの呼吸が少し穏やかになっているように見えた。セイネリアはしゃがみこんで彼に聞いた。 「おい爺さん、まだ意識はあるか?」 「……あぁ」 「声は出せるか?」 「そこまで大きな声で……なければ、な」 そこでセイネリアは治癒を掛けているリパ神官の一人、サウディン軍側と思われる者の肩を叩いて手を止めさせた。 「爺さんの声を聞いて、代わりに周囲に伝えてくれ」 神官は明らかに怯えていたが、セウルズからも頼むと言われて恐る恐る頷いた。それを確認して、セイネリアはセウルズに何を言うべきかを伝えた。 そうしてその後、リパ神官の口から周囲に向けてセウルズの言葉が届けられた――自分はこの男と勝負をして負けた、以後は彼の捕虜となる。よってこの戦いもわが軍の敗北とする、と。また降伏した者には危害を加えず治療と解放を約束してもらっている事も告げ、だから皆に大人しく戦いを放棄して欲しいと続けた。 更に最後、これはセイネリアの指示ではないが、困惑してざわつく兵達に向け、締めくくるようにこうも告げた。 「俺の言葉に納得がいかないというなら、ここにいるこの男を倒せると思う者だけが戦いを続ければいい」 そこで一度しんと静まり返ってから、今度はゼーリエン側代表のメイゼリンの言葉として、キディラが全体に向けて告げた。当然これも事前に打ち合わせた通りである。 「わが軍代表メイゼリン・ディアド・エジェレ・バミン・キドラサンからの言葉を告げる。敵として戦っていたとしても元は同じ領内の同胞同士、これ以上の犠牲者を出す事は望んでいない。今告げられた通り投降した者については治療と解放は我が名において保障する。同時に我が兵にも告げる、戦闘を放棄し投降した者には決して危害を加えてはならない、これを破った者は極刑が課せられるであろう」 それで安堵の息とざわめきの後、次々とサウディン派の西軍兵士達は武器を捨てた。それから暫くの時間差を置いて、勝ったのかと味方と確認しあいながらゼーリエン派の兵達が歓声を上げ出した。 その様をセイネリアはなんの感情も湧かない目で見る。事はすべてセイネリアの思惑通りに進んでいた。だが――セイネリアにとってはその光景も何ら自らの感情を波立たせるモノはなかった。 --------------------------------------------- |