黒 の 主 〜傭兵団の章一〜





  【32】



――やっと出てきたか。

 敵の壁が割れて、初老のアッテラ神官がやってくるのを見てセイネリアは思う。
 なにせこちらとしては凶悪なイメージで敵を脅さないとならないからかかってこられると手加減が難しい。だからまだあまり殺していない内に出てきてもらわないと犠牲者が増える事になる、正直それは不本意だった。

「そうだ、俺がセイネリア・クロッセスだ」

 答えれば、セウルズはこちらを睨んでにやりと笑う。

「手紙の内容は本気か?」

 セイネリアも兜の下で僅かに口元に笑みを浮かべる。

「あぁ、本気だ」
「――そうか」

 セウルズはそれで一度空を見上げると大きく息を吐き、腕に抱えていた兜をかぶった。それから剣を抜いて片手で持ち、その重みを確かめるように軽く振るとこちらに剣先を向けてピタリと止める。

――さすがにアッテラ神官なだけはあるか。

 彼の得物は両手剣だが、それを振るだけなら片手でも出来るくらいの力はあるという訳だ。アッテラの強化術は元の筋力が高い方が効果も高い。ナスロウのジジイよりは若いが初老と言っても差し支えない年齢でそれだけの筋力を素で保てているのだから期待は出来るだろう。

「術はありだ、なんでも使ってくれて構わない」

 言って、セイネリアは槍を手から投げ捨てる。
 そうして腰から剣を抜くと、やはり片手で軽く振ってから相手に向けて剣先を止め、それから改めて両手で構えた。そうすればセウルズの口角が上がって彼も両手で剣を構えた。
 セウルズの周りにいた兵達が下がって、セイネリアを中心に空いていた空間はセウルズとセイネリア二人を中心として更に大きく広がる。音からして周囲の戦闘は今は完全に止まっているようだった。
 勿論、メイゼリンには手紙の内容も彼との一騎打ちも許可を取ってある。出来るだけ勝負の間は戦闘を止めて欲しいとも言ってあったが、それは彼女が動くまでもなく自然と実現できていそうだ。

 互いに構えを取ってもまだ距離は詰めない。変わりにセウルズは横に移動したから、こちらも合わせて横へ移動する。円を描くように動きながら、ほんの僅かづつだけ距離を縮めていく。
 まだ距離がある中、アッテラ神官でもある男は強化術を掛けた。
 ただしそれが『ただの』強化術だけである事はエルを見ているセイネリアには分かっていた。

――だらだら遊ぶ気はないんだ。

 術を掛け終わって身を屈めた相手を見て、セイネリアは地面を蹴った。
 まずは速い突きを彼の胸に向けて。ただし当然、それは避けられる。ただ相手も避けるだけでは終わらない。剣を弾いてこちらの体勢を崩そうとしてきたが、叩かれた剣が外へ逃げようとするのを力づくで止めて切り返し、逆に相手の剣を弾いた。セウルズもさすがにその力差には驚いたようで、彼は咄嗟に横へ飛んで逃げた。

「とんでもない力だな」

 セウルズの呟きが聞こえる。だからセイネリアはそれに返す。

「そうだ、少なくとも今のあんたじゃ俺の剣は受けきれないぞ。本気で俺を倒したいならあんたは命を懸けるべきだ。……なんの為に俺がわざわざ術ありだと言ったと思う?」

 その言葉の意味が分かったのか、セウルズが息を飲んだ。だが直後、はっ、という声が上がって彼は喉を鳴らして笑っていた。

「成程、そうだな。確かに貴様のような化け物相手に安全圏の力で勝とうと思ってはいけないな。確かにそうだ、化け物の相手をするなら、こちらも化け物にならなくてはならない」

 セイネリアはそれで一度剣を下におろし、あえて背を見せて彼から距離を取ってやった。

「術が完成するまでいくらでも待ってやる」
「すまんな……だが心配は無用だ、すぐ終わる」

 言葉が終わると同時に彼が何かを呟く、そこで振り向けば彼の気配が変わったのが分かった。呟きは恐らく神殿魔法としての呪文で、よく聞けば短い単語を一語一語区切って言っているようではある。そして単語を呟く度に、彼の魔力が膨れていくのがセイネリアには見えた。ただそれは魔力が増えていっているというより、内にあった魔力が体の表面に出て来たようなイメージだ。やっとか、とセイネリアは彼を見て唇を歪めた。

 アッテラ神官には最後の手段というのがある。

 普段なら体の負担を考えてある程度の段階で止める強化術を限界まで掛け、その上で痛覚を切って文字通り体の最大限の能力を引き出して戦うというものだ。勿論、勝とうと負けようとその後に体は無事では済まない、だが追い詰められた最後の最後、自分の体を壊す前提で使えるその能力はまさに人間を化け物にする。狂化とも呼ばれる事があるそれがあるから、アッテラ神官を追い詰めた時は気を付けろと言われるのだ。

――これだけのお膳立てをしてやったんだ、失望はさせるなよ。

 この仕事におけるセイネリア個人としての目的はただ一つ、狂化したアッテラ神官と戦う事だった。勿論アッテラ神官ならだれでもいい訳ではない、そこらの雑魚ではない強いアッテラ神官が体の限界まで能力を引き出した時と戦いたかったのだ。

「貴様にアッテラ神官の一生に一度の力を見せてやろう」

 術が掛け終わったのかセウルズが剣を構え直した。それを見てセイネリアも剣を上げて構えた。




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