黒 の 主 〜真実の章〜 【12】 「準備はいいか?」 「はい」 セイネリアの声にクリムゾンが静かに答えた。 後は一定の距離を取って武器を構えれば、それが開始の合図となる。流石に一瞬で集中して隙のない空気を纏った彼に思わずセイネリアも笑みが湧く。互いに相手に集中しながら地面に輪を描くように横へ回りながら近づいていく。先に動いたのは彼だった。 ほぼ音もなく、クリムゾンの体がまるで伸びたようにこちらに向かってくる。ただこれは目の錯覚も入っていて、様子を伺う間、彼は少し身を屈めて体を小さく見せていた。そこから体を伸ばす事で一気にこちらへ近づいて来たという訳で、まるで猫だなとセイネリアは思った。 狙いは正確で、セイネリアが大した腕でなければ死んでいた。 ただの手合わせを殺す気で仕掛けてくる彼は前に言った通り、彼が認める腕でなくなったらセイネリアを殺す気なのだろう。 セイネリアはそれを最小限の動きで避けると同時に、彼の足を逃げる前に引っかけた。当然彼はバランスを崩すが、そのまま自ら地面に倒れて手を付き、その手を軸にしてこちらの足を払ってきた。それをセイネリアは片足を上げるだけで避け、彼の足が通過したと同時にその足を蹴った。クリムゾンは足が戻ってくる勢いが過剰となったせいで地面に転がったが、そこから横に体を転がしその勢いを使って立ち上がった。 やはり体の動きはかなりいい、イレギュラーにも対応する。けれど……どの動きもセイネリアにとってはよく見えていて面白味はない。だから今度はセイネリアから仕掛ける事にした。 一歩大きく踏み出して、立ち上がったばかりの彼に剣を伸ばす。クリムゾンは体を逃がすと同時に当てる程度に剣で受けてこちらの剣の軌道を逸らした。だがこちらも弾かれたのではないなら簡単に戻せる。次に伸ばした剣は突くのではなくそのまま彼の体を横から叩いた。クリムゾンは剣を立てて受けたが、まともに力を受け止めるしかない体勢であるから体毎横に飛ばされる。それでも倒れずにその勢いを利用して大きくこちらから距離を取ったが、セイネリアも叩くと同時に踏み込んでいた。 彼が剣を構えなおす前に、セイネリアの剣の先がクリムゾンの喉元前で止まる。赤い髪の剣士はその態勢のまま動きを止めた。 「俺の負けです」 クリムゾンのその声と共にセイネリアは剣を下ろす。彼はその場で膝をついた。 「少しも勝てる気がしませんでした、やはり貴方は強い」 セイネリアは剣を収めた。見上げてくるクリムゾンの顔は少し高揚していて嬉しそうにさえ見えた。 その一方……セイネリアは微妙に気分がよくなかった。自分でも分からないのだが、少しも楽しい気持ちになれなかったのだ。クリムゾンの動きはいいと思うのに――なんだろう、意外だと思う事がなかったからなのか、どの動きも見えていて、予想出来て、つまらなかった――というのが正直な感想だった。 基本、自分より腕が下の者であっても余程の雑魚でもない限り、手合わせをすればそれなりに面白いと思う事が一つくらいはあるものだ。なのに今回はどの動きも予想通り過ぎて、彼の動きを追ったというより、こちらの予想を追えば彼がそのままの動きをしているという感覚だった。おかげでなんの危機感も感じなかったし驚きもなかった。 ――こいつは、マニュアル通りの動きしか出来ない奴とは正反対のタイプの筈だ。 かつてのザラッツのような人間が相手なら『思った通りの動きしかしない』と思っても不思議ではない。だがクリムゾンはザラッツとは逆で、実践だけで鍛えてきた自己流の変則的な戦闘スタイルを持っている。そのタイプの中でもかなり突き詰めた相当の技術を持つ男だというのに……彼の動きはいいと判断出来ても、脅威をまったく感じない。脅威どころか駆け引きを楽しむ程度さえまったくなかった。 ――なんだこの感覚は。 実際剣を合わせた感覚としては、自分より格段に落ちる相手とやったというのが一番近い。だが確実にクリムゾンの腕はいいと理解もしている、彼が弱すぎたという事はない。単に期待が大きすぎただけの話だと思えば――だが、そう思いこもうとしてもそれが違う事をセイネリアは分かっていた。 更に言えばこの感覚も初めてではなかった。思い出せば――樹海の城で、ラスハルカが王に操られて暴れ出した時も――セイネリアは相手の技能を認めた上でその動きがすべて見えていた。まったく危機感を感じなかった。ただあの時は状況や相手的にそんな事を考えている余裕がなかった。 セイネリアは自分の手を見て拳を握りしめる。その感触に違和感はない。剣の主となった以後、何か自分の体に大きな変化があったとは思えない。だがこの感覚は自分が変わったせいだと、それもまた、分かっていた。 ――まさか、な。 問題は体ではなく、頭の方、と考えれば。 黒の剣の主となったせいで、セイネリアの中にはギネルセラや騎士の記憶がある。この感覚がすべてそのせいだとしたら? 体ではなく自分自身の思考、中身が影響を受けて変わったのだとすれば? だが現状ではあくまで可能性だけの話ではある、確定するには材料が足りない。まだ、確定ではない。そう、考えて、セイネリアはとりあえず思考から剣の事を排除した。 --------------------------------------------- |