黒 の 主 〜運命の章〜





  【59】



「いやでもお前、外に出た時点で出してやれよ。彼女、何日もこん中にいたんだぞ」

 本当によく無事だったとエルは思う。彼女も冒険者の荷袋を持っていたのだから、多少は食料や水も持っていたのだろう。だがセイネリアはやっぱり一ミリも感情の入ってない声で言ってきた。

「道中でも足手纏いだ。それにエル、あの女は言ってたろ、あの中は時間の流れがこっちよりも遅いと。つまり、中にいたアリエラにとっては大した時間は経ってない筈だ」

 言われて思わず『へ?』なんて間抜けな声を出してしまったが、エルもそこで思い出した。

「そうよ、こっちは何日経ってたのか知らないけど、私にとってはまだ一日経ってないわね。足手纏いって言われて否定する気はないけど、でも、中にいるのを知っていたなら一声くらいはあってもいいんじゃない?」

 あぁうん、そうだよなーとは思いつつ、彼女には大した時間じゃなかったのかと思えばまぁなんとなく気が抜ける。セイネリアとしても一応それを分かっていたから放置していたのだとは思うし、彼の言い分も分からなくもない。

「お前はあの女の弟子だからな。あっちを優先する可能性があったろ」
「……それで、確認できたから声掛けたって訳?」
「そうだ」

 確かに彼はメルーに確認を取っていた、そういえば。ただ単にあの女を揶揄うつもりだったのかと思ったのもちゃんと意味があった訳かとエルは思う。
 そこまで平然としている男にはさすがに勝気な少女も怒る気力がなくなったのか、彼女はそこで深いため息をつくと周囲を眺めて、それからセイネリアにずかずかと近づいていった。

「それで、どうやってここを出る気? どうにかなる、なんて能天気な事いう気じゃないでしょうね。いっとくけど、あのおばさんは魔法使いとしてはマトモに優秀で、掛けた術はとんでもなく厄介よ。ていうか、ここまでの術なんて、一体どれくらい前から準備してたのかしらあのおばさん……」

 ビシ、と今度は手に持っていた杖を突き出してアリエラは自分よりずっと背の高い男に向かって睨みつける。それに返すセイネリアの声はやっぱり平然としていて、エルとしてはだよなーと心の中で呟いたくらいだ。

「そうだな、確かに術はそれなりに大したモノなんだろうな」

 彼がこんな軽い言い方をするという事は、どうにか出来る自信があるが、既に何か策が仕掛けてある時である……というのをエルは知っていた。だから何をする気なんだと見ている中で、セイネリアはにやりと口元に笑みを浮かべるとそのまま樹海の方へ向かって普通に歩き出した。

「ちょっと、出れないわよ。これだけ空間の断層が固めてあるのに……」

 と言ったアリエラだったが、それ以上の言葉は続かない。
 エルに見えたのは、セイネリアが何の障害もなくただ樹海の森の中へ消えて行く姿だけで、何が起こったのか理解できなかった。

「……どういう事?」

 だから放心したように呟いた彼女の声に聞き返した。

「って、何がどういう事なんだ?」

 すると魔法使い見習いの少女は今度はこちらをえらい形相で睨みつけてくる。

「あの男と同じように歩いていってみなさいよ!」

――いやなんでここで俺が怒られるんだ?

 理不尽な気持ちにはなったが、とりあえずアリエラが言う通りエルはセイネリアを追うように森に向かって歩いていく……が、途中に何かにぶつかって跳ね返され、あまりにも予期しない事だったためそのまま派手に尻もちをついた。

「な、何があるんだ?」

 いや俺絶対セイネリアと同じところへ向かったよな、と自分に聞く。暗くてはっきりわかるとは言えないが、見ただけではそこには何もない筈だった。

「そうよ、それが普通。この建物の回りには、あの女が作った空間の断層が何重にも重なりあって、馬鹿みたいに強固な結界を作ってるのよ」

 アリエラが近づいてきて言ってくる。エルは彼女の顔を見上げた。

「ならなんで、セイネリアの奴はいなくなったんだ?」
「知らないわよっ、結界を消した感じもなかったし、どうなったのか全然わからない、あり得ないわよっ」

――いやまたここで俺が怒られるのかよ。

 怒りっぽい少女には参ったが、まぁ彼女も混乱しているのだろう。
 さてどう宥めるべきかと口を開きかけたエルだったが、そこで足音がして樹海の方を見る。思った通り一度は消えた黒い影が、こちらに向かって歩いてきていた。

「セイ……」

 ネリア、お前何したんだ? というつもりだった声は、途中でアリエラに遮られて最後まで言えなかった。

「どういう事っ、何で貴方は平気で出ていけるのよっ」

 暗くて顔がちゃんと見えないとはいえよくあの男にあの勢いでくってかかれるもんだ……なんてちょっと感心して、エルは潔く黙ってセイネリアの質問役を彼女に譲ることにした。




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