黒 の 主 〜運命の章〜





  【57】



「そう――言っておくけど、私、協力関係を約束出来ない者は、貴方であっても見逃す気はないわよ」

 冷たく放たれる女の声も、だがセイネリアにはなんら響くものはなかった。
 女はこちらから更に距離を取る。セイネリアはそれを追おうとはしなかった。

「そうか」

 セイネリアは感情を消して、あくまで淡々と、どうでもいい事のように答える。
 それが怒りを誘ったのか、女の声が高ぶって震えた。

「勿論私は、貴方達を皆殺しなんて野蛮な手を使わないわ。でもその分、確実に、貴方達をここに閉じ込める。私にはそれが出来るのよ!」

 それでもセイネリアの声には少しも感情がない。

「そうか」

 流石に馬鹿にされているのだと理解した女は、今度は怒りに震えてこちらを睨みつけてきた。

「既に、貴方達は私の罠の中にいて、もう逃げられなくなっているとしたら?」

――なるほど、だからこその自信か。

 彼女の言った事は多分本当だろう。この家が彼女の罠だったというのも想定の内ではある。おそらく――彼女はこちらと別れた後、一人でここまで戻って待っていた。皆がなんとなく嫌で今回は誰も使わなかったが、行きに彼女が使った部屋はここを出て行ったあとから少し変わっていたところがあった。メルーは空間魔法使いであるから転送が使える可能性は高い。樹海の中で使えるのかは分からないが、例えば一度行った場所なら使える、という条件であるなら行きに使えなくてここまで戻るのには転送が使えたのもおかしくはない。

 まぁつまるところ、こちらがここへ来るまでかかった時間を考えれば、彼女が何かしらの罠を仕掛けるのは難しい事ではなかっただろうという事だ。

「……それでも、俺の返事は変わらんな」

 セイネリアは笑みを浮かべて彼女にそう答えた。
 さすがにここまで脅してこちらが折れないのは彼女としては想定外だったのだろう、メルーはセイネリアをキっと睨みつけてきた。
 だがその彼女に、セイネリアはわざと軽い口調で聞いてやる。

「あぁそうだ、一つ確認しておきたいんだが」
「何よ?」

 それにメルーは怒りというより困惑したようにこちらを見てくる。

「お前の弟子はどうする気だったんだ。弟子も殺す気でつれてきたのか」

 メルーはこちらの意図が分からないようだったが、一応は答えた。

「あの子は別よ。……私が黙れって言えば黙らせる事が出来るし、事情を話せば、魔法使いとして今回の事を黙っていなければ自分の立場がまずくなるって分かるだろうし。……だから悪い事をしたわ、あの子だけは助けてあげるつもりだったのに」

 それは本音だろうとセイネリアは判断した。ならいい、確定だ。

「でも、なんで今あの子の事なんか聞くのかしら? 若い女を殺すのは勿体なかったとでも?」

 ただ、まだセイネリアの質問の意図が分からない彼女は、そこで不快そうに聞いてきた。だからセイネリアも、彼女が怒るだろう返事をわざと返してやる。

「そうだな、年増のあばずれよりは、確かに向うのが方が勿体ないだろうな」

 思った通り、メルーは目を吊り上げてこちらを更に睨んでくる。この女は言動は娼婦並みの割に女としての経験値が低すぎる。だからこの程度の煽りの意図に気づかない。
 セイネリアとしては大笑いをしないように我慢するほうが難しかった。

「……いいわ、死にたいなら死になさい。あの剣はそもそも封じておかなくてはならないものですもの」

 言うなり彼女は大きく後ろへ跳躍すると杖を掲げて呪文を唱える。音はしないが、大きな魔力が地面から競りあがって家を中心に覆ったのは分かる。これが彼女の用意した罠なのだろう。

「空間の檻、絶対に出る事の出来ない結界を張ったわ、もう、貴方達はそこから一生出られない」

 それに相当の自信があるのか、彼女の顔は勝ち誇っていた。
 だからこそ、演技じみた気の毒そうな顔を作りながらも彼女はこちらを見下して言ってくる。

「……実はね、最初からここに貴方達を閉じ込める予定で術の準備はしてあったのよ。ここはもともと魔法使いの住居だったから、魔法の欠片が散らばっていても、見習い連中じゃ分からなくて都合がいいから」

 それにセイネリアが返すセリフは、口調も声も先ほどと同じで。

「そうか」

 こちらが動揺する姿を見せないせいか、そこで彼女は一瞬、悔し気にこちらを睨んだが、それでも余裕の表情を取り戻して言い捨てる。

「馬鹿な男」

――馬鹿な女だ。

 消えた女を見て、セイネリアが思う言葉はそれだけだった。
 あの女は失敗した。
 セイネリアに対して言うべき言葉を間違った。
 セイネリアはあの女の考え方自体はそこそこ気に入っていた。あの女がきちんと交渉としてこちらの興味を誘うだけの方針と条件を出してきたのならこちらも考える気はあったのだ。
 なのにいかにも馬鹿女らしい、一方的に自分に協力する事だけを押し付けてきたからセイネリアは失望した。もう少し面白い女かと思ったが、これでは期待外れとしか言えない。
 そしてきっと、彼女にとってはセイネリアを味方に出来るかどうかが、自分が好きなように生きられる最後のチャンスだった。
 暗闇の中、消えた女がこれからどうなるかを考えて、セイネリアは嘲笑(わら)う。

――お前は、この剣の本当の力を知らない。

 馬鹿な女だ、と再び唇だけで呟いたセイネリアは、そこで出て来た別の人影に視線を向けた。




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