黒 の 主 〜運命の章〜





  【23】



 そこでまた、ラスハルカの声がする。

「もう十分です、早くここから離れましょう、急いでっ」

 訳が分からない――とクリムゾンは思ったが、その声には焦った様子がある。セイネリアもそこで剣を仕舞うとこちらに向かって走ってきた。

「さっさといくぞっ」

 声は大きいが焦った様子はない。彼はこちらの肩を叩くと、にやりと笑って言ってきた。

「助かった」

 それにクリムゾンが思った事と言えば――随分余裕があるじゃないか――というところで、だが彼の背後、倒れた化け物の方を見てクリムゾンは顔を引きつらせた。

「なんだ、あいつらは」

 小さな毛玉どもが倒れた化け物の足と横腹、つまり斬りつけられた場所に群がっていた。しかも様子を見ればどうみてもそれは……。

「食ってるのさ」

 セイネリアが言ってこちらの肩を押してくる。

「急いでここを離れるぞ、魔法使いは引っ張ってやれ」
「あ……あぁ」

 それで急いで戦闘に参加していた者達は他のメンバーのところへ戻り、とにかく急いで化け物から離れるよう皆に告げた。ただし結界の解除に時間がかかるとあってアッテラ神官とセイネリアだけはその場に残って、後から雇い主たちを連れてくる事になった。クリムゾンはサーフェスを引いてラスハルカを追って走ったが、暫くすれば黒い男が雇い主の魔法使いを担ぎ、アッテラ神官が弟子の女を背負ってきて合流した。そこからももう暫くは急いで歩き……ラスハルカが息を切らして座り込んだところで、一旦皆は足を止めた。

「すまない……ね、俺が……運べれば、良かった……んだけどね」

 大抵の者が崩れ込むように座って息を切らす中、弟子の魔法使いの娘に向かってまずそう声を掛けたのはウラハッドだった。彼は戦闘専門屋の中で唯一戦闘に参加せず他の護衛に残っていた。体力的に余裕があったのはエルも同じだが彼には別の役目がある、確かに潰してもいい者としてならあの無気力男が残って担ぐべきではあっただろう。

「仕方ねぇだろ……お前じゃ、背負って……セイネリアと、同じペースで走れねぇんだから、よっ」

 結局アッテラ神官が運び役として残ったのはそれが理由だ。人を担いで走って逃げるなんていうのは体力と腕力に余程自信があるか強化術で補助するしかない。ただ結果としては適材適所であるからわざわざ謝りに行くことでもない筈で、そこが少しクリムゾンとしてはひっかかる。あの男は、弟子の少女をやけに気にしているところがあるようだ。

「で、どういう事なの? 説明して頂戴」

 だがそこで、運ばれていただけだから元気で当然な雇い主の女がラスハルカに詰め寄っていった。皆の視線がウラハッド達から女と優男に移動する。

「あれは、本体が……死ぬと……配下はそれ……食べて……核を食べたものが……次の本体になり、ます」

 だからこの男は何故そんな事を知っているのだと思ったが、それよりも女魔法使いが言った言葉に全員が驚く事になる。

「あぁ、あれがグラジャ・パネなのね」
「なんだその……グラジャなんとかってのは?」

 アッテラ神官が聞けばまた女は得意気に胸を張った。

「グラジャ・パネよ。私も本で見た事しかないわ。核が本体だから見た目の姿は寄生した動物によって違うの。ポコポコ分身を増やして、本体が倒されたら分身たちは争って本体を食べるのよ。分身がいなかったら近くにいた動物を呼んで寄生しようとするから分身が残ってて良かったわ。本体になるのが決まるまでは時間が掛かるからその間に逃げたのは正解ね。決まった後は大きくなるためにやたら食欲旺盛になって他の分身達も食べちゃうらしいからどちらにしろ近くにいたら危ないわ」

 神官は思いきり嫌そうな顔をする。
 女魔法使いはいうだけいうとセイネリアの傍に行って、何やら楽しそうに話し掛けていた。セイネリアの方は相槌を返しているだけだが、疲れて話す気力がないという訳ではなく、聞き流しているだけのようだった。

「ともかく……別の、縄張りに入った……ので、も、追いかけては……来ない、かと」
「待て、追いかけてこなくても、それなら新しい危険があるんじゃないのか?」

 クリムゾンは言って立ち上がるとラスハルカの方へ行った。それならここも危険である。

「いえ……ここのは……昼の間は出て……きません、から。夜は……結界を、引いて貰えばいい……訳、ですし」

 まだ息を切らしている男はそれだけ言って下を向いた。戦士登録の上級冒険者としては随分と体力がない、とクリムゾンは彼を冷たく見下ろした。

「なら今日はここで夜を明かすか。どうやら動けない奴が多そうだしな」

 セイネリアがそう言うと、まだ息を切らしている連中が安堵と共に返事をした。クリムゾンは上を見る。確かに空は雲のせいだけでなく暗くなってきているらしい。皆の疲労を考えれば今日はここまでという判断は正しいだろう。

――少なくとも常に冷静、という噂は本当か。

 クリムゾンはセイネリアを見て思う。実力も最強と言われるだけはある、と今のところは言っていいだろう。アッテラ神官のエルはどうやら強化術が切れたようで相当きつそうにしていたが、セイネリアの方はあの女を担いできたとは思えないくらいもう疲れた様子は見せていない。基礎体力は化け物級、というのは認めざる得ないところか。

 ともかく、まだ片鱗程度ではあるのだろうがこの男は今までみてきたどの『最強』よりは期待していいかとそう思って、クリムゾンは一人、笑みを浮かべた。




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