黒 の 主 〜予感の章〜





  【12】



 ステバンは治療室に寝た状態で、現在一応の治癒を受けているセイネリアの様子を見ていた。ただそれはもう終わったようで、少し痣になる程度の打撲はあるが怪我らしい怪我はしていないらしい。
 ちなみにステバンもあきらかな怪我という程のものはなかった。彼より多少打撲が酷かったくらいで……あとはとにかく疲労だ。だから一応治癒術を受けて、暫く休憩していけと言われて寝ていたのだった。

「本気で頑丈な男だな」

 術が終わってこちらに来た彼にそう言えば、彼は笑って傍に座った。治療をしてくれた神官は別部屋に行ってしまったから、話したい事があったら今だろう。

「あんただって前より頑丈になったんじゃないか、競技会の時はボロボロだったろ」
「頑丈、というより前みたいにまともに食らってないだけだ」
「だろうな、今回はかなり上手く受け流された」
「だが後ろへ後ろへ逃げていたからか、思った以上に足で止めていたらしい」
「確かに最後、あんたは足にキてたな」

 そうして笑う彼には苦笑しか返せない。正直とても悔しいが……全力を出した上で負けるべくして負けたと分かっているからやはり気分は晴れやかだった。

「まぁ……消耗を考えずそっちの方が派手に暴れた上でこっちの体力負けだからな、完全な負けだ。まったくそのスタミナは化け物過ぎだろ」

 だから言い返せる言葉なんて彼の化け物ぶりを揶揄する程度で、ただ言葉にはその恵まれた体に対する羨ましさのようなものが出てしまったかもしれない。
 すると彼は笑みを消して少し視線を落すと思い出すように言ってくる。

「ある程度の歳までは戦闘技術なんてまったくナシで、とにかく体を作った。剣なんか使いだしたのは割と最近だ」
「本当か? ……なら才能か、余程いい師についたか」

 本気で驚いたからこそ思わず出てしまった言葉だったが、言ってから彼の師が誰であったかを思い出してステバンはしまったという顔をした。
 セイネリアは彼らしい皮肉めいた笑みを唇に乗せてこちらを見てくる。

「才能なんてのは知らん。ただジジイに弟子入りした時に、体が出来上がってるから教えやすいとは言われたな。技能が足りなくても強引に力で持っていける分、次々詰め込んでいけるとさ」
「成程。……ナスロウ卿に会う前に、体は完成させていたのか」
「完成、なんてのは今でもまだまだだ。ただ……最初はまず体という入れ物の性能を上げる事だけに専念した、技術はジジイに会うまでは全くなかった。それでも力だけで雑魚には勝てたが」
「確かに……力だけで規格外過ぎるからな」

 技術がなくても強かった男が、ナスロウ卿の下で技術を付けた……そうしてこの化け物が出来上がった訳かとステバンは思う。

「まぁ師が良かったというのはあってるんだろうさ。俺に人の見方を教えた師も、体を作るまでの師も、戦闘技術をくれた師もその道じゃ最高の人間だったと思ってる」

 その発言は少しだけステバンにとっては意外だった。
 この男なら自分の力だけで強くなったといいそうなイメージがあって、だから彼が何人にも師事していたという事も、素直に師のおかげだと言い切る事も、ステバンとしては彼のイメージと合わな過ぎて驚くしかない。

「俺は運が良かった」

 そう締めてにっと笑って見せる彼に、ステバンは正直返す言葉が見つからなかった。だから暫く黙って……そうして彼も黙ってしまったから、正直に今の自分の心の内を吐露した。

「本当に君に勝つつもりだったんだが……やはり、勝てなかったな」

 彼と剣を交えて勝負が出来るのは今回が最後だった。だから思いつく限り、出来る限りの事をして挑んだ。正直やれるだけの事は全部してこの結果であるから、もっと時間があっても勝てたとは思えないが……それでも残念だった、負けた事より、もう彼と勝負出来ない事が。

「俺が勝った人間の中で、あんたは一番俺を追い込んだぞ。……一対一なら今までで一番楽しい勝負だった」
「俺も楽しかった。きつくて苦しくて痛いのにも関わらずな」
「俺もだ、きつくて苦しくて痛かったが楽しかった」

 言って互いに声を出して笑う。実をいうと先程までは笑うと腹が痛んだのだが、治癒を掛けて貰ったおかげで今は思いきり笑えた。彼も楽しそうに笑っていて自分も確かに楽しかったが……それでもふと、考えてしまえば笑みが止まる。

「勝てないのは仕方ないが……君ともう勝負出来ないのが残念だ」

 恐らくどれだけやっても彼には勝てない気がする。けれどまた、最高に楽しかったあの勝負をしたいとステバンは思う。

「なんだ、勝負だけならまたやってもいいぞ」

 そこで急に彼は何でもない事にようにさらりというから、ステバンは咄嗟に彼の顔を凝視した。

「だが、もう1回だけと……」
「騎士団ではな」

 セイネリアは意地の悪そうな笑みを浮かべる。ステバンは固まった。

「間もなく俺は騎士団を辞める。だからあと1回だけしか勝負しないと言ったのさ」
「そんな事言ってなかったろっ!」
「言わない方があんたが死に物狂いで鍛えてくれると思ったからだ」

 ステバンは頭を抱えた。……確かに、最後に1回だけだと思ったからやれる事は全部やった。自分の中でここまで必死に鍛えた事はないくらい鍛えた、考えた事がないくらい考えた。
 なんだか思いつめて寂しく感じていたのが一気に消えて、脱力してステバンは寝転がったまま天井を見た。




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