黒 の 主 〜騎士団の章・一〜 【54】 「ステバン、やっぱり貴方は凄いですよ」 「気にするな、今回は相手がヤバすぎただけだ。他の誰でもあそこまで奴とは戦えなかったさ」 「怪我はもう大丈夫なんですか? あの準決勝の試合は感動しました」 競技会が終わった後に初めて会う連中は、皆が皆、そう言ってステバンに称賛の声を掛けてきた。惜しかったな、なんてよくある無責任な慰めはなく、対戦相手だったセイネリアの強さがとんでもなさ過ぎただけでステバンも凄かったと、殆どの者がそう言って来た。 「あぁもう体はなんともない。自分がまだ未熟だと分かったさ」 「向うはあの歳で上級冒険者って化け物だからな。だがあんたは強かったよ、すごかった」 声を掛けきた相手は、それでステバンの肩を何度もたたいてから手を振って去っていく。ステバンは笑顔をそれを見送った。 しかし改めて、負けて褒められるという状況は……正直ステバンとしては不思議だった。それだけ勝敗的にはケチのつけようがなかったという事と、試合自体が良かったと判断されたからだろうが、それでも今までにない経験だ。 セイネリア・クロッセス――本当に不思議な男だとステバンは思う。 エフィロットが怪我で辞退したのはあの男が手を回したに違いない、とクォーデンは言っていた。貴族相手に平民出の騎士が何を出来る――とは思ったが、確かに彼のあのあまりにも自信に満ちた言い方からすればそれに納得してしまう自分がいた。 だが結局は、単純にエフィロットがあの男を恐れて理由をつけて辞退しただけだろう、というソーライの言い分が一番的を射た発言な気もする。どうやらそれくらい自分との対戦時のあの男は残虐非道の恐ろしい人物に見えたらしいのだ。 ――俺自身はあれほど終わった後清々しい気持ちになった戦いはなかったんだがな。 何も考えず、体が動く限界の……とにかく出来る限りの事をした。あそこまで自分の力を出しつくした戦いはしたことがないと思った。 だが見ていた方はあの男がわざとステバンを痛めつけるためにポイントを取らずに嬲っていたように見えたようだ。……そう見えたのはそれだけ実力差があっただけの話なのだが。 ――あれは嬲っていたというより……俺に限界までの力を出させるためだったんじゃないか。 考えればエフィロットの件を話した時といい、わざとこちらを待ってみたり、煽るような発言をしたりは全部、自分が最大限の力で彼に向かって行けるように意図されたものだったのではないかと思えた。 だから結論としては、彼はただ純粋に面白い試合をしたかっただけなのだろうとステバンは思っている。それをハタから見たら相手をいたぶって楽しんでいるように見せ、実際それを見てエフィロットが震えあがって辞退するところまで想定通り……と考えれば確かにたいした策士だとは思う。 だから彼に興味が沸いて、冒険者時代の知り合いに会って噂を聞いたり等、あれからステバンは彼についていろいろ調べた。どこまで本当か分からないようなとんでもない話も多かったが、本当に不思議なほど面白い……いや、すごい男だという結論しか出なかった。 そして、彼には聞きたい事がたくさん出来てしまった。 騎士団にいる貴族騎士は結婚している場合、婿養子であることが割合多い。まず前提として家督を継げる跡取りは騎士団になど入らないから貴族騎士は跡取りでない次男以降ばかりがいるというのがある。更にそこで娘に婿養子を取るとなった貴族の親が、ただ遊んでいただけの馬鹿息子よりは騎士団で役職持ちならまだマシだろうと判断する事が多かったという事情があった。また他にもかなり稀に、平民出だが団内競技会等で貴族の娘に気に入られて婿養子となるパターンもあった。 騎士団での地位は勿論貴族としての地位とは別ではあるのだが、そうやっていい家の婿養子に入ればいい後ろ盾を手に入れた事にもなる。だから騎士団で高い地位についているものは基本、実家の地位がそれなりに高いか、婿養子に入った家に力があるかとなる。 騎士団のいわゆる幹部連中は大抵どちらかに当てはまっていて、逆にそれに当てはまらない者はそれなりに頭が回ると言えなくもない。勿論それが有能だと言い換えられればいいのだが、単に出世のための立ち回りが巧くて上の連中へのごますりに関して頭が回るだけ、というのばかりなのが問題だったが。 それでも無能揃いの騎士団上層部の中にあっても流石に参謀部で重職を務めているだけあって『彼』はまだ優秀な方であった。 首都騎士団本部参謀部配置長であり、ハリアット家の婿養子であるエージェイル・ソルダート・バス・ハリアットは、家の使用人からの報告書を見て眉を顰めていた。 「まったく……あいつの悪いクセにも困ったものだ」 エージェイルは報告書を机に置き、両肘をついて顔の前で手を組む。それからその上に軽く額を乗せるとため息をついた。 「……まぁいい、また見せしめにしてやるだけだ」 言って彼は唇を歪め、そうして今度は声に出さずに呟いた――セイネリア・クロッセスか、と。どうやらその男が、今回の彼の妻のお相手らしかった。 --------------------------------------------- |