黒 の 主 〜冒険者の章・八〜 【90】 例のザウラの手の人間を追い出してから、グローディ領主の周辺はやけにキナ臭い空気が広まりだしていた。というのもザラッツの指示で、地方警備の兵が一部キエナシェールに集められ、武器の補充や訓練が活発になって……早い話がいかにも近々兵を出すという準備が行われていたからだ。 当然雇われのエルやカリン、他の面子だけでなく、屋敷の下っ端や領民にいたるまで周囲も皆それに気付いていたから、いつ戦争が始まるのかと周囲は戦々恐々としているという状態だった。 そんな中、重要な会議があると言って高官が一通り呼ばれた上にエルとカリンも呼ばれたから、エルとしては嫌な予感的中というか、とうとうきたかと覚悟するしかない。とはいえもやもやと抱えたモノがある中でのセイネリアが留守の間のこの事態は頭が痛い……いや、胃が痛かった。 「本当に放っておいていいのか、あの騎士さんをさ」 会議に向かう前にエルがカリンに言えば、彼女は落ち着き払って、はい、と至極簡潔極まりない返事を返してくれた。 「こっちが動かなくていいってこたぁセイネリアと直接連絡取り合ってンのか? あの騎士様もさ」 カリンが渡されていたのだからザラッツも連絡用にあの水面で会話する石を持っていてもおかしくはない、とは思ったのだが。 「さぁ」 「えぇっ、聞いてないのか?」 「はい、ですが主が放っておいていいといえば放っておいていいと思います」 「え? いや、でもなぁ」 だがそこで会議の部屋が見えてきて、当然ながら警備やら他の呼ばれたお偉いさんやらの姿も見えたからエルは口を閉じた。こちらは外部の人間であるから当然立場は一番下の扱いで、いかにも地位がありそうな連中が入るまでは待っていなくてはならない。 ――やっぱここで宣戦布告ってことになんのか? ってか裏切ってないならセイネリアの奴が帰ってくるまでは待つよな。いやでも直接連絡とってるかもしれねぇし、ここで戦線布告もあいつの指示ってのもありえるか。いやいやでもそもそもあいつはその証拠を掴むために蛮族ンとこ行った訳だろ? 証拠が揃ったのか? 考えながら入っていく人間が途切れたところでエルとカリンも中に入る。 まぁ立場上当然だがエルとカリンのための席はなく、二人とも後方の壁際に立った。もともとが偉いさんのための会議であるから、こっちは警備兵と一緒くらいの扱いに見えたほうがへんな反感を買わずにも済むだろう。 ザラッツは前の席で座っている。その傍にエイレーンとスオートもいる。これはやはりそうでしかないだろう――と思っているところで、人が集まったのを確認して部屋の扉が閉められ、ザラッツが立ち上がった。 そうして彼は発言者用の場所に立つと落ち着いた……けれど決意を込めた声で話し始めた。 「まず、皆様方に報告する事として……ロスハン様はザウラの新領主即位式典に参加された帰り路にて……何者かに襲われ命を落されました」 一同が息を飲む。ここにいる連中でも特に上の連中は既に知ってはいるだろうが、知らない者からすれば驚くべき話だろう。最初はしんと静まり返っていたところから、頭を抱えて嘆くもの、表情を歪めて歯を噛み締めるもの、変わらないのは全員の表情が暗いという事くらいで悲痛なざわめきが広がっていく。 「領主様が体調を崩されたのもそれによる心労が原因でした。……今まで公表せずにいた事をお許し願いたい、ロスハン様を襲った者を特定するため隠す必要があったのです。そうして今日、その犯人を確信出来たため皆様方をこうして集めた次第です」 ざわめきが大きくなる。ただ状況的には誰が聞いてもまず疑われるのはザウラであるから、ザウラの陰謀に決まっているという声は既にあちこちで上がっていた。血の気が多い武官達はこの時点で既に最初の派兵は自分の隊を入れてほしいと挙手したり、具体的な編成について話し出すものもいた。 「犯人は……皆様方ご予想の通りザウラです。かの地領主スローデンが蛮族を雇ってロスハン様を襲わせたと、そう証言する者を確保しています。当然、黙っているつもりはありません。ロスハン様の死を公表すると共にザウラへと兵を向けます」 そこでこの日一番ざわめきが大きくなる。どう見ても軍部の人間はやる気満々と言った様子だが、それでもこの状況なら当然上がる声がある。 「ディエナ様はどうされるのでしょう?」 普通に考えればこの状況でザウラへ宣戦布告すればディエナの命は諦めるとも取れるだろう。 「ディエナ様はザウラからすればこちらに対しての切り札です。向こうもそうそうに危害を加える事はないと思われます。それにこちらもいきなり向こうに武力侵攻しようと思っていません。兵を出すのはあくまでロスハン様の死に対するザウラへの抗議であって、いつでも攻撃出来るという状況で相手の出方をまずは見ます」 ――この辺はザウラ卿が逆上型の戦争好きじゃないってのが分かってるから言えるんだろうけどよ。 ザラッツの言葉には、確かに、とそれを同意する声があちこちで上がる。さすがに先ほどまでのすぐにでも戦争だという攻撃的な声は収まった。ザラッツが問答無用で武力行使しようという考えではないというのが分かったのと、ディエナの身を無視する訳にいかないからだろう。 「もしもの場合も……あの子なら覚悟していった筈です」 そこで更にディエナの母であるエイレーンがそう付け足せば、少なくとも慎重論を唱えたり、やんわりとでも出兵に反対する声はなくなった。 出兵についてやる気を見せる武官達と違って文官連中はさすがに不安を表情に出しているものが多いが、この席にエイレーンがいて今の発言がある段階で文句を言える訳がなかった。彼女がいる上でのザラッツの発言であるから、恐らくグローディ卿も了承済みだろうと判断するしかない。 「……そういや、証言する者を捕まえたって、セイネリアから連絡があったか?」 「いえ、ありません」 すっかり盛り上がっている連中には聞こえないように小声でエルがカリンに聞けば、返ってきた返事は予想通りなのはいいとして、更に怖い事が判明した。 「おそらくザウラ側が用意した証人でしょう、接触してきた時にザウラに宣戦布告をするための証人の居場所を教えていましたから」 「へ?」 「その者を証人としてザウラへ軍を向かわせる……全てザウラの間者がザラッツに提案していた通りです」 「いや、ちょ……いやいやマズイだろそりゃ」 思わず声が大きくなりそうになったが、そこはどうにか耐えてエルは涼しい横顔の仕事仲間に聞く。 「問題ありません。主は放置しろと言っていました」 いや問題ありまくりだろ、と叫びたいのをぐっと我慢して、エルは彼女に言っても無駄かと周囲を見渡した。武官連中は完全に出兵に向けて盛り上がっていて、この状態じゃこちらを気にしてる者はいないだろう。 ザラッツの顔はどこか疲れているような様子はあっても何か企んでいる悪人らしさはなく、ただ逆に裏切る罪悪感に苛まれているともとれなくはない。とりあえずエルの立場としては彼が裏切ってはいないことを祈るしかなかった。 --------------------------------------------- |