黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【85】



 『彼女』が庭を掃いていると、最近では珍しくグローディの領主一家――勿論領主本人はいないが――が外でお茶をしていた。
 基本的に『彼女』の仕事はこの屋敷の状況をザウラ卿に伝える事だが、勿論この地の跡取りであるスオートを殺せるなら殺してこい、という命令も受けている。さすがに周囲には例の雇われた護衛連中がいるが、ここまでのチャンスは二度とないかもしれない。

「あ……あの、おはようございます」
「あら、おはよう」
「おはよー」

 挨拶の言葉を掛ければ、エイレーンと子供達が挨拶を返してきた。もう少し近づけないものかと考えていた『彼女』は、そこでエイレーン自身がお茶を注いでいるのを見て声を上げた。

「まぁ、奥様がお茶をお入れになっているなんて、あの、私がやります」

 言いながら数歩、急いで近づく。

「あらいいのよ、この子のためのものだけは私が出すようにしているだけだから」

 成程そういうことか――息子を守る母らしい発想だ。だが断られはしたものの、今ので一歩近づけた、この距離からなら十分だ。

「そうでしたか、すみません、出過ぎたまねを」

 慌てて頭を下げて、その拍子に『彼女』のポケットから何かが落ちる。

「何か落ちましたよ」

 それで皆の視線が落ちた石に行く、そこで『彼女』はもう一度ポケットに手を入れて、小さな器に入れていた『彼女』の相棒――毒バチを放った。これは先ほど落した石の一番近くにいる者を刺すように訓練してある。これでスオートを亡き者に出来る筈だった。

 けれど、その石を拾おうとしたスオートの前に、傍にいた黒髪の侍女――これも確か護衛として雇われた一人だ――が立ってそれを阻むと、その石をこちらに蹴り返してきた。

「失礼、それは貴女のでよいですね?」

 そうすればハチは一旦向かっていたスオートからUターンして『彼女』の方へ向かってくる。勿論主である『彼女』をハチが攻撃することはあり得ないが、主である事を示すように『彼女』の上空をくるくるとまわりだした。

「ハイイロ毒バチですか」

 しかも黒髪の女はそう呟くと細い短剣を『彼女』に投げてきた。かろうじて短剣は『彼女』から外れた木に刺さったものの、今度は周囲にいた他の護衛達が『彼女』に向かってくる。これはもう弁明の余地もなく敵認定されたと判断するしかない。

――ふん、来てみなさい、毒針の餌食よ。

 ハイイロ毒バチはある匂いに向かって行く習性がある。更には羽音がハチにしては静かだというのもあって、それを利用して暗殺などにはよく使われていた。今その匂いをつけた石は『彼女』の足元にある、つまり『彼女』の傍にくればその人間を攻撃するという訳だ。

「観念しなさいっ」

 けれど、一番近くにいた女戦士が走り込んできて剣を振り降ろしても、そちからにハチが行く事はなかった。気付けばもともと小さいとはいえ羽音が遠い。音を辿ってみれば、ハチはさっきあの黒髪女が投げたナイフの周りを飛んでいた。つまり、あの投げたナイフにハチが好む例の匂い――しかもより強いものがついていたという事だろう。

――同業者か。

「くそっ」

 大振りの女戦士の剣を避けて後ろに退く。けれどそこに両脇から残りの二人の護衛が襲い掛かってくる。それも『彼女』は上手く後ろに飛んで避けたものの、今度は合流した三人が前からじりじじりと距離を詰めてくる。

――失敗だ。

 そう判断し、『彼女』はそのまま逃走した。






 強化術を掛けて貰える、という事でアッテラ信徒ではないものをメインで試合は行われ、エルは暫く術を掛けてやる役に徹していた。
 けれども3組程の試合が終われば、自然と隊長が聞いて来る。

「申し訳ない、折角体を動かしに来たのに術役をさせてしまって」
「いやいやいーよ、人の戦い見てンのは楽しいしさ」
「そう言って頂けると有り難い、どうです? そろそろエル様も誰かとやってみますか?」
「おう、そうだなぁ……」

 言いつつエルは見物で座っている兵達をぐるりと見回す。
 手を上げてアピールする連中には心の中で、ごめんな、と謝りつつ、目立たないように端に座っているいかにも地味そうな男を指さした。

「お前っ、ちぃっと盛り上がりがたんねーなぁ、楽しませてやっから俺の相手しろや」

 ここはちょっと意地悪そうに、鏡で練習してみた悪人顔で言ってみる。
 そうすれば周りは笑って、指さされた男は一瞬表情を顰めたが、すぐはやし立てる周りに困るような顔をして立ち上がった。

「す、すみません、お手柔らかにお願いします」
「おうよ、お手柔らかに気合い入れてやんぜ」





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