黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【49】



 翌日、ディエナが朝起きるとすぐ、バラッデから今朝はスザーナ卿の体調がすぐれないため朝食を共にすることは出来ないと告げられた。

――こういう時間稼ぎは厄介ですね。

 ディエナは考える。これをただ大人しく了承していたらいつまでも時間稼ぎをされてしまう。
 基本的に他領主の親族が来ているのなら、領主として食事を共にするのはほぼ義務だと言っていい。だから断るのならこの手しかないのだろうが、このままずるずる放置されて、最悪『体調が回復しないため一度帰ってもらいたい』なんていわれたらここへ来た意味がなくなる。
 だからディエナは思い切って言ってみた。

「そうですか、それは仕方ありません。スザーナ卿にはお大事になさるようにお伝えください。……けれど残念です、折角スザーナ卿の憂いに対してよい提案がありましたのに」

 それは効果があったらしく……それから暫くしてバラッデが二回目に部屋を訪れた時、彼は主であるスザーナ卿が昼食は一緒に出来そうだと言っていると告げてくれた。





 領主との会食となる大食堂の扉の前に立ってディエナは考える。

――確かに思い方ひとつでモノというのは見え方が変わるものですね。

 領主の娘としての教養は身に着けていたディエナだが、当然将来領主になる訳ではないからいわゆる帝王学的な上に立つものとしての教育を受けた訳ではない。勿論他領との交渉の仕方なんて教わらなかったし初めてだから、ここに来る前は正直とても怖かった。
 だから最初の謁見は体が震える程で、ただただ必死だった。

 けれど、あの黒い男が言っているように確かに話せば話す程こちらの方が優位に立てる気がしてきて――こうして、他領の領主に会うというのに今では怖いとは思わない。
 人間、強気になると遠慮よりも『言うだけ言ってみればいい』と思えるもので、更にディエナは今回の昼食の会談ではいつものレッキオだけではなく、もう一人の供――セイネリアも同席させてほしいと言ってそれを了承させていた。

 なにせ今回、向こうが昼食をともにすると言ってきたのは『よい提案』を聞くためだということが分かっている、ならそのために必要な事だと言えば向こうは断れる筈がない。

――さて、クソジジイに今日こそ決断させてやりましょう。

 剣を抜く代わりに笑顔を浮かべて、礼儀作法はさしずめ防具のようなもの。あとは剣を振る代わりに言葉で戦う、これは私の戦場なのだとディエナは自分に言い聞かせた。

「お加減はいかがでしょうか、スザーナ卿」

 席に着く前に先に座っていたスザーナ卿に丁寧に礼をしてからそう言えば、苦虫をつぶしたような顔をしてはいるものの、大分よくなった、と彼は答えた。

「それは良かったです。お体は大事になさってくださいませ」
「あぁ、貴女には心配を掛けて申し訳なく思っている」

 いいながらスザーナ卿の指先がトントンとテーブルを叩いている。表情は明らかに苛立ちがあった。それを分かっていてディエナは優雅に、わざとゆっくりとした動作で椅子に座った。続いてレッキオが横に座り、もう片方の隣にはセイネリアが座る。スザーナ卿の両隣に座る者はいないが、後ろにはいかにも文官といった者が3人程ついている。まぁこれなら不公平という事はないでしょうとディエナは思う。

 全員が着席すれば最初の料理が運ばれてきて、そこから領主が手を組んだのに合わせて皆で食前の祈りを捧げ、それが終わって食事が始まる。

「ときに貴女はおもしろい事を言っていたようだが」

 我慢しきれないのか、食事が始まった途端そう聞いてきたスザーナ卿に、ディエナは笑いそうになりながら丁寧に口元を拭いて答えた。

「スザーナ卿、食事の時はそのような堅い話はしないものです。それにそのような重要な話は、配膳の者が出入りする今はすべきではないと思います。食べる時は楽しい話をするものです」

 笑顔というのは武器だという、特に女性にとっては。
 スザーナ卿も引きつりながら笑みで返すしかない。

「確かにそうですな。その方が健康にいい」
「えぇ、その通りです。我が祖父が病に伏せているのもあって、スザーナ卿には特にご健康には注意していただきたいと思っております」
「確かに……そうですな」

 嫌味というのは先にこちらから言ってしまえは逆に向こうに対しての嫌味となる。これも昨日の打ち合わせで言われた事だが、これは覚えておくべきだとディエナは思った。本当にこのセイネリアという男は人間というのをよく観察している。

 さすがにそこまで言えばスザーナ卿も先にその『提案』を聞く訳にもいかなくて、以後食事が終わるまではさしさわりのない天気や、互いの領地の事情などを話すだけだった。……途中会話が途切れて無言になる事も多かったが。
 ただ、どこか早くたべようとしているように見えるスザーナ卿への嫌がらせとして、ディエナは出来るだけ優雅に、上品に、ゆっくりと食べる事を心掛けた。



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