黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【14】



「悪かったわねっ、アジェリアンは毎日毎日あんたに言われた通り左腕を重点的に鍛えてるわよ。右腕の方もフォロに見て貰いながらどう使うのが一番いいかいろいろ試してる。落ち込んだりしないですごいやる気になってがんばってるから、大丈夫よきっと」
「で、お前は大人しく身を引いてフォロに任せる事にしたのか?」

 煽るような言い方はわざとだろう。付き合いはまだ短いがこの男が自分に対してはわざと煽るような言い方をするのをヴィッチェは分かっていた。だからそれには怒る事なくあっさり答える。

「完全に諦めて身を引いた訳じゃないけど……今私がアジェリアンの傍にいても出来る事なんてないもの」

 医療的な心得も治癒の術もない、料理や家事などの世話もフォロよりずっと劣る……その段階で自分が傍にいても、アジェリアンやフォロの邪魔になるだけだからとヴィッチェは引き続き冒険者として仕事をする事に決めたのだ。

「だけどアジェリアンには言ってやったわよ、貴方が仕事に復帰するまでにはずっと強くなっておくから安心して背中を任せてって」

 そこで初めて、黒い男の表情が緩んで彼が笑った。

「なるほど、それはいい心がけだ。ちゃんと鍛えてるか?」
「デルガとラッサにはよく稽古をつけて貰ってる。ネイサ―には敵の見つけ方をよく聞いているわ」
「あぁ、確かあの大男はヴィンサンロア信徒だったな」
「そう、それにいつもフォロの護衛をしてたから、敵の気配を見つけるのはすごい上手いのよ」
「成程、単純に腕だけではなく、そういう勉強もかなり有用だな」
「少しは見直したかしら?」
「多少はな」

 本当にアジェリアンと違って基本この男はこちらに対して上から目線だからムカ付いてくる。けれど、ムカつきはしてもこの男に少し認められたと思えば嬉しくもあるのだから自分の気持ちというのもよく分からない。

「話はそれだけか?」

 けれど、そう言われて帰る気配を匂わせた男にヴィッチェは焦った。引き留める話題がすぐに思いつかなくて……だからそこで出た言葉は、考えるよりも反射的に出てしまったものだった。

「一度、あんたの剣を受けてみたいの」

 後ろを向きかけた男の動きが止まる。それから彼はゆっくりとこちらに視線を合わせてくる。月明かり下の琥珀の瞳の圧力は思った以上で、ヴィッチェはぞくりと背筋を震わせながらもそれを睨み返した。

「……勿論、私の腕じゃあんたの相手になんか全然ならないって分かってるわ。でも化け物って言われるあんたの剣を一度受ければ……なにかいろいろ分かりそうな気がするのよ」

 それはでまかせではなく前から思っていた事ではあった。ただあまりにも腕の差がありすぎるから言おうとは思わなかった事で……それでも一度勢いで言ってしまったからには撤回はしない。
 黒い男は、そこで先ほどよりも空気を緩めて笑みを浮かべた。

「それなら一度くらい付き合ってやってもいいが、今はやめておけ。いくら月明かりがあってもよく見えないだろ、やるなら昼間の方がいいと思うぞ」
「……た、確かにそう……ね」

 咄嗟に出た言葉だからそもそもそこまで考えていなかったのだが、言われればその通りでヴィッチェは気まずそうに視線を逸らす。だが思いのほか、黒い男は機嫌が良さそうに笑ったままだった。
 だから思い切ってヴィッチェは聞いてみる。

「……もし、本気で私があんたをその……誘うつもりだったらどうしたの?」

 一応彼は笑ったままだったが、声は割合冷たく言って来た。

「帰るさ。少なくともお前に手を出す気はない」
「それはアジェリアンに気を使って?」
「それもなくはないが、遊びと割り切れない女とは寝ない主義だ。俺を誘いたいなら好きな奴とさっさと寝て、あとは誰と寝ても同じだと思えるくらいになってからにしろ」
「さ、さっさと寝て……て」

 思わずアジェリアンの顔が思い浮かんで顔がカァっと赤くなるが、あまりにも目の前の男が平然としているから急いで自分の感情を静める。
 とはいえ、本当にこの男はおかしいと改めて思う。
 赤くなった顔のごまかしもあって、ヴィッチェは怒鳴りそうだった声を飲み込んで思い切り顔を顰めた。遊び歩いているような男だというのは分かっていたが、この考え方は相当屈折している。
 けれどなら……ふと、思い立って既に去る気でいる男にヴィッチェはもう一つ聞いてみた。

「ならカリンはどうなのよ、あの娘(こ)はどうみても遊びじゃないでしょ」

 するとセイネリアは目を細めて笑みを浮かべてから、当たり前のように返した。

「あいつは俺のものだからな」

 何よそれ、とは思っても、結局それを口に出して聞き返す事はなく、歩きだした黒い男の背を追ってヴィッチェも建物の方へと戻る事にした。



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