黒 の 主 〜冒険者の章・八〜 【124】 話が終わると、元蛮族の男は顔を上げて主に向かって晴れやかに微笑んだ。 「それで分かりました。貴方と私の大きな違いは時間だったのですね。私は貴方のもとで、貴方が望む世界が訪れる、もしくはそうなっていく姿が見られるものと思っていました。けれど貴方はもっとずっと時間を掛けて少しづつ変化を広げるつもりだったのですね」 スローデンの計画に対してのセイネリアの感想は『思ったよりはよく考えている』というところだろう。ただ甘いと言わざる得ない。彼の計画のキモは『急激な変化を目指さない故に争いを起こすことなく改革が行える』というところだろうが、ようは何も失わずに改革を成し遂げようとする臆病なやり方とも言える。 「ありがとうございます。これで心が晴れました。やはり貴方は素晴らしい方だったと、貴方に仕えて良かったとそう思って死ぬ事が出来ます。それではこれで、私は胸を張ってかつての仲間のもとへ戻ります」 「ジェレッ」 スローデンが叫んで立ち上がる。 そうして、ザウラ領主一番の忠臣だった男もゆっくり立ち上がると、恭しく彼の主へと頭を下げた。そこからくるりと背を向けるとここへ入ってきた場所から出ていく。外にはエデンスが待っている。蛮族達のもとへ送るのをジェレ・サグは逃げようとしないだろう。 それを見送ったまま呆然としている男に、セイネリアは話しかけた。 「引き止めても意味はないぞ。奴はあんたのために部族の連中のところへ戻る。あんたが止めてもあんたのために自ら行くだろうよ。……あんたは奴がさっき言った通りの公式文書を作成して公表するんだな。それと同時にキオ砦に停戦命令を出せばいい。後の細かい賠償金やらについてはグローディと交渉してくれ、俺はそこまでの権限はない。蛮族の方は今回の交渉待ちで今のところ侵攻を止めている。奴を引き渡して、弟の身代金と謝罪の約束してやれば引き上げる事になってる。こちらも実際の金額交渉やらはあとで使者のやりとりをする事になるだろうが、さっさと退かせたいなら向うの要求を飲むとだけ公表しておけばいい」 そこまで言うと、セイネリアも帰るかと椅子から立ち上がった。 だが、何も返事をせずうつむいたままの男を見て、一瞬考えた末にやはり思っていた事をいってしまうことにした。 「あぁ……奴のために黙っていたが、もし今回あんたの計画が成功してグローディを手に入れられたとしてだ――あんたの狙い通りに変化が訪れる可能性は低いと思うぞ。一番の問題は、今クリュースにいる人間はそこまで不満をもっていないという事だ。確かに平民出だからと悔しい思いをする者はいるだろう。だが他国に比べたら平民でも十分夢を見れるから大半の連中はそんなに不満を持っていない。貴族様の事など自分達と違う世界の人間だからで割り切れる」 そこでスローデンが顔を上げた。 「だが、このまま無能がこの国を動かしていればいずれどこかでおかしくなる」 そうなってくれるなら正常なんだが、恐らくそうなる前に魔法使いどもがどうにかするんだろう――と思いつつ、セイネリアは呆れたように肩を竦めてみせた。 「残念だがな、それにはこの国の地盤のシステムが出来上がり過ぎてる。冒険者制度のせいでこの国は黙っていても民も金も増えていく。へっぴり腰の兵士でも魔法によって守られ、いざとなれば大量の冒険者がいるから他国は怯えてこの国へ手だし出来ない。一方で貴族も無能過ぎれば淘汰される。無能だと自覚のある要領のいい連中は余計な事をせずお飾りになって出来そうな下っ端に放り投げるから、実質的には優秀な奴はそれなりの地位が手に入る。魔法使いやら神官がいるから大きな飢饉も起こらない、病気やケガも治して貰える……どうだ、呆れるくらいよく出来てる。変化は不満がないと起こらない。ほとんどの奴は無能な上にムカつきはしても、自分自身がそれなりにいい目に合えるなら満足する。制度がうまく回ってるから、上が無能のままでも困らないのさ」 セイネリアの話を聞いている内に、スローデンの顔はだんだんとまた下を向いて行った。けれどそこまで言ったところで、ザウラの領主は絞り出すように反論した。 「それでも……いつまでもそれが続くとは思わない。中身が腐っていれば少しづつ崩壊していくものだ」 セイネリアは笑う。 「そうだな、それは当然だ。だがこの制度が崩れたら変化は急激に起こると思うぞ。それこそ今まで溜めた膿が一気に出てぐちゃぐちゃになって制度の作り直しだろうな」 スローデンは何も答えない。じっと下を向いたままピクリとも動かない。 「いいか、お前の作る改革の流れなんていうのは、利口で向上心の高い人間が多くないとそうそう成功しない。現状だと結局はどこかで引っ張る人間が現れないと大きな変革へとは傾かない。あんたの部下はあんたがその引っ張る役をするのだと思ってた、けれどあんたはリスクを回避して時間を掛ければ流れだけで改革が出来ると考えた。結局、あんたの敗因も根本にあるその考え方が原因だ。何も失わず得ようとしたから決定打となる強い策が取れなかった。それとあんたは途中から自分の策が上手くいく事前提で手を打っただろ、最悪の事態を想定すべきだったな」 そこまでじっとスローデンはセイネリアの言葉をただ聞いていただけだった。だがセイネリアがもう言う事はないと歩きだしたところで声を上げる。 「待て、最後に聞きたい。何故わざわざ私の失敗点を指摘などした。お前は負けたのだとそれを私に自覚させて私を見下したかっただけか?」 成程、そうとも取れるか、とセイネリアは気付いて笑う。確かに自信家の平民出冒険者が貴族を負かしたからとイキがっていらないことをペラペラ話したように見える。 ――まぁ別にそう思われても構わないが。 ただそれで終わったらつまらないし話した意味がない。 「あんたは貴族にしては頭がいい。だから考える材料をやればもっと上手くやれるだろうと思っただけだ。そもそもここであんたを殺せば全部終わりなのにそれをしないで面倒な交渉を持ちかけてやったのだってそのためだ」 スローデンは目を丸く見開く。本気で驚いた顔をしてセイネリアを見る。 「なんだそれは……それで恨みを持った私がお前を潰そうとするとか、またグローディに仕掛けて敵になるとか思わないのか?」 セイネリアはそれに笑う、声を上げて。 「別にそれはそれで構わないぞ。面白いじゃないか」 スローデンは更に大きく目を開く。何も言えずにそのまま固まる。セイネリアは笑いながら、その彼に手を振って部屋を出た。 --------------------------------------------- |