黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【121】



 ザウラ領都クバン。蛮族の攻撃を受けた館の復旧はやっと外周壁の応急措置が終わったくらいで、本館を囲む内部の壁は手つかずのままだった。それ以上に問題なのは減ってしまった兵の数で、ただでさえ新兵の補充が追い付かない上にザイネッグへ数人派遣して――そうして最悪の自体になってしまった。

 ワーゼン砦だけではなく、ザイネッグの騎士団までもが蛮族の手に落ちたと言う知らせには、さすがのスローデンでさえ暫く呆然自失した。

『……それで、ジェレはどうしたんだ?』
『ジェレ様は最後まで残っていらしたので恐らく――』

 そこでスローデンは更に目の前が暗くなった。報告しにきた兵士の話ではジェレは最後まで残って騎士団支部の建物を守ろうとしていたということで、朝になっても村まで逃げた者の中に彼の姿はなかったという。蛮族達は武器を投げた者も構わず殺していたから、逃げた者以外は恐らく生きていないだろうという事だった。

 スローデンは途方に暮れた。それでも彼の立場で思考を投げ出す訳にはいかない。だから無理やり考えた。
 蛮族達が騎士団を潰したなら、すぐにザイネッグの村を襲うだろう。いや、もう村は手遅れかもしれないが、一刻も早く兵を送って蛮族達を何処かで止めなくてはならない。こうなればもう余分な兵力はキオ砦にしかなく、そちらから兵を持ってくるしかなかった。幸い蛮族の数は多くて100という事だから、グローディ側に気づかれない内にこっそり兵を移動させれば――そこまで考えてはみたが、なかなかそれを決定しきれなかった。

 今ここに彼の案を聞いて、それに意見をくれる部下は彼の傍にいない。
 スローデンの周りにはジェレ以外はただ従うだけの部下しかいない。
 だから自分だけで決定しなくてはらないと考えれば、どうしても慎重になり過ぎる。

 だがそれで悩んでいた彼の元に、更に絶望する報告が入る事になる。
 キオ砦前のグローディ軍が攻撃を始めた――と、それは残っていた彼の『どうにかしなくては』という気力を吹き飛ばすには十分すぎる内容だった。

――何故だ、何故今になって突然。

 確かに宣戦布告はしているからいつ攻撃してきても違反ではない。続いてすぐ、首都からの通達がきて攻撃理由が明らかになった。
 ザウラが和平のための話し合いに行ったザラッツを拘束した。違うというなら今すぐディエナ嬢と共にザラッツを返せ――という事らしい。クリュースでは領地間戦争を仕掛ける場合、その正当性を主張するため事前に王に攻撃理由を知らせる必要がある。とはいえ事前に必ずしなくてはならないのは宣戦布告だけだ。以後は別に知らせなくてもいい。今回知らせたのは、後からの追及を免れるためとこちらに抗議するためだろう。

 ただこの事態になればスローデンは完全に手詰まりとなる。

 攻撃理由が理由であるから現状はまだ威嚇攻撃程度だとは思われる。……が、だからといって戦闘中のキオ砦の兵を減らすなんて事は出来ない。
 かといって蛮族を好き勝手に暴れさせるわけにはいかない、兵を送らなくてはならない。勿論王に救援要請は入れているが、来るのに時間が掛かるどころか兵を送るという返事さえ返って来ない。つまり、グローディとの諍いについて王はまだザウラに正義があると認定していないという事になる。騎士団支部が壊滅した後となっては、騎士団さえ兵を出すのをしぶる始末だ。

 何故こんな事になったのだと、スローデンは真っ白になった思考で呆然と考える。何があっても対応してみせる自信があった筈なのに、今は考えても考えても何も失わずに上手く切り抜ける手段が浮かばない。

 唯一浮かんだ実現可能な案といばグローディに全面降伏することで、出来る限り向うの怒りが収まるようなマシな言い訳を作って謝り、お願いだから蛮族の撃退に力を貸してくれと頼み込むくらいだった。

 だがそれをやれば今まで準備していた計画は全て終わりとなる。いや、終わりどころか全部がマイナスになってただザウラが自滅しただけという結果しか残らない。無能だと馬鹿にしていた父より悪い――余計な事をしたせいで破滅に向かって舵を切っただけの道化だと自分を認める事になる。それはスローデンのプライドが許さなかった。

「何故だ。私は安全にグローディを手に入れられる策を考えた筈なのに」

 それに言葉を返してくれる者はいない。せめてジェレがいれば、グローディになんというのが一番丸く収まるか共に考えてくれただろうに。戦力として兵数十人分くらいの心強さがあっただろうに。

「……私は、本当はただの無能だったのか」

 無能な弟を嘲笑らって、グローディを嫉みながらも仲良しのふりを続ける父に幻滅して、ならばそのグローディを戦わずして手に入れてみせると思った自分は二人以上の愚か者だったという事なのか。

 それが分かっても、全部を投げる訳にはいかない。
 スローデンを信じている領民がいる、部下達がいる。彼らはまだ、スローデンは優秀な領主だと信じている。

「無理だ……どうすればいい」

 重い、重いな――と、スローデンは上から押さえつけられたように机につっぷした。
 誰も助けてはくれない、この重さは一人で持たなくてはならない。

 だがそこで彼は、ふと部屋の隅に気配を感じて顔を上げた。
 この部屋でその方向から入ってくる人物は一人しかいない。彼だけにスローデンは館の外へ続く領主の執務室にある脱出口を教えて、それを使ってここを出入りする許可を出していた。

「スローデン様」

 思った人物が現れて、スローデンは唇を間抜けに開いたままわななかせた。顔の筋肉がひきつって、笑いたいのか泣きたいのか分からない。けれど瞳には膜が出来て視界が歪む。声は出なかったが、ほぅ、と震えて大きく吐き出された息は安堵の息だと分かった。
 しかし立ち上がって、喜びと共に彼の名を口に出そうとしたスローデンはそこで凍り付く。

 誰よりも信じていた部下の後ろから、全身黒い装備に包まれた背の高い男が現れたからだ。




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