黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【100】



 そこで背後からレンファンにそう声を掛けられて彼女は困惑する。確かにザラッツの方を見て不安そうな顔はしていたとは思うが、心配されるほど辛そうな表情になっていただろうか?

「いえ、大丈夫、何でも……」

 けれどそう言って振り返れば、レンファンが近づいてきて背に手を置くとディエナを少し前かがみにさせる。それから耳元で小さく――。

「目を閉じてください」

 言うと彼女は立ち上がった。
 部屋の中に光が弾ける。ディエナは疑問に思った分目を瞑るのが少し遅れてしまったが、体を前に倒していたためマトモに光を見る事は免れた。

――リパの光石?

 部屋の中に怒声と悲鳴が響く。けれど何が起こったのかはクリュースの人間ならばすぐ理解は出来る。光が終わってディエナがそうっと目を開ければ、数人は光から逃れたのか動いてこちらに来ようとしている者がいた。ただどうすればいいのか彼女は分からず、軽く伏せた体勢のままで固まっていた。
 その背に優しい手が触れてくる。それから緊張して椅子のひじ掛けを強く握りしめていた左手をそっと優しく――大きな手が包んで指を開かせてくれた。

「ディエナ様、お立ちください」

 ザラッツの声にパニックになりかけていたディエナの思考が動きだす。彼女は振り向いて忠実な騎士の姿を見るとすぐに椅子から立ち上がった。

「貴様っ」

 そこへ兵士が走ってきたが、片目を瞑っていたあたりまだ目が光に眩んだままなのだろう。ザラッツはどうやら光を見ていなかったようで、彼はその兵士を蹴り倒すとついでにその剣を拾った。

「下を向いて手で目の前を覆いながら私の足を見てついてきてください。道は私があけます」

 そう言ってきたレンファンを見れば彼女は目隠しをしていた。それで今の言葉の意味が分かってディエナは言われた通り目の上に手をかざして下を向く。ザラッツの手が背中にある、例え目を瞑って走れと言われても不安はなかった。

「ディエナ様っ」

 その声は侍女のリシェラだ。彼女は抱き着く勢いでこちらに駆け寄ってくるとぴったり体をくっつけてきた。それで彼女の体の震えが分かる。だからディエナは右手で彼女の手を握った。

「大丈夫、言われた通り下を向いて目を手で覆って」

 ぎゅっと強く握ってから手を離せば、リシェラの体の震えは小さくなっていた。

「逃がすなっ」
「捕まえろっ」

 ザウラの兵の声が上がる。スローデンの怒鳴り声も聞こえる。
 光がまた部屋の中を覆った。続いてドアが蹴られる音、そうしてまた光。

「行きます」

 ザラッツの手に背を押されてディエナは走り出した。ドアから廊下に出ればまた光が辺りを包む。おそらくはレンファンがリパの光石を投げているのだろうが……目隠しをしているから彼女は大丈夫だとしてもどうして前が見えるのだろう、しかも。

「うわぁっ」
「くそっ」

 前を走るレンファンの方からは、足音が近づいてきたと思えば打撃音と共に人が倒れる音が聞こえる。下を向いている視界の中、廊下の端には倒れている兵士達の姿がある。道をあけると言っていた通り、この光の中で彼女はやってくる守備兵達を倒してくれているらしい。
 光が収まればまた新しい光がすぐに広がる。殆ど途切れる事がない。その中をひたすら走る。下を向きながらだから全力で走れはしないが、とにかく急ぐしかなかった。
 当然、すぐに息が上がってくる。階段を一気に下りれば足の力が抜けそうになった。けれどよろけそうになる度にザラッツの手がディエナを支えてくれて、それでディエナの足には力が入る、不安はなかった。

 そうして外へ出れば――そこもまた、夜空に何度も光が弾け、あちこちから悲鳴が上がって兵士が逃げ惑う光景が広がっていた。




---------------------------------------------



Back   Next


Menu   Top