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(一) 何故、欲しいのだろう? 何が、欲しいのだろう? ヤツを見ていると沸き上がるこの欲求は、一体何が目的なのだろう? 分かりそうで、分らない。 ただ、『欲しい』。 ハッキリと分かる事はそれだけだった。 AC195年────。 長きに渡った争いは、人々に凄惨な記憶を残して終わりを告げた。 もう、自分達が戦う必要はない。 コロニーと戦争に縛り付けられた5人の少年達は、そうして自らの道へとそれぞれに旅立って行った。誰かれとなく、別れを告げる事もせず、もちろん次に会う約束なんてする事もなく、気付けば皆一人で。 それは当然分かっていた事ではあったけれど────そう、気付いた時にはすでにヤツの姿はなかった。 *********************** 薄汚れた狭い路地の中、少年は一人歩いていた。戦後の治安が乱れたこの国の、その繁華街の外れにある細い裏道。こんな場所をこんな少年といえる年齢の彼が一人で歩くなんて自殺行為にも等しい事であるが、彼に限ってそんな心配は有り得なかった。分かるモノなら分かる、その手の者が持つ独特の緊張感。どんな動作であってもまるでスキを窺わせないその雰囲気を感じて、彼に手を出そうとする者は誰一人としていない。通りすがる、いかにも裏の世界の住人と思える暗い目つきの男達も、その彼を見て一瞬は興味を示すものの、すぐに目を逸らし離れていく。 少年は歩いていく。 人目などまるきり無視して、自分以外のすべてを拒絶するかの様に張り詰めた雰囲気を漂わせながら。こんな場所で生活するには、そうしていないと生きていけない事は知っているから。そして又、そうだからこそここで生活する事を決めたから。無言で早足に自分の仮住まいであるアパートへと向かいながら、黒髪の少年────ヒイロはふと溜め息をついた。 自分は何をしているのだろう? 戦いが終わり、全ての任務が終了した時点で、ヒイロはこれから何をすべきかの目標を失ってしまっていた。ただ、果たすべき任務がなく、弛んだ日常に慣れていく事がしたくなかったから、こんなところに住んでいる。ここならば、前の様に定められた使命がなくても、生きていくだけで緊張感を解く事は出来ない。幼い頃からの訓練のセイで、自分にはそういう状態でいなくては落ち着けないクセが付いている。そしてその訓練の副産物なのか・・・戦わなくてもいいといわれた途端に、これから自分が何をすべきなのかが分からなくなってしまったのだ。 「あなたのしたい様にしていいのよ。あなたはもう自由なのだから。」 戦いの後、これからの事を聞く時に、リリーナは自分にそう言ってきた。出来れば私と来て欲しいのだけど・・・と付け足した言葉は、彼女の行くべき道が自分と違うと思った為に断った。戦いを拒絶し完全に否定する彼女に、戦争の道具としての生き方しかしらない自分が共に歩める筈がない。だから、彼女と一緒に行く事は出来ない。 自由────。 自由とは、自分の意志で自分の行動を決めていけるという事。誰の指図でもなく、自分の思ったままに生きられるという事。────自分の思った事、自分のしたい事・・・。 投げかけた疑問に答える様に、頭の中へ浮かぶ存在がある。 デュオ・マクスウェル。 いつの間にかいなくなってしまっていた、長い三つ編みを持つ、ヒイロが地球で初めて出会った仲間。自分に初めて感じる様々な感情を産み出させた人物。 『欲しい』────。 何時からだろうか、デュオを見る度にそう心の中でこだまする声が聞こえる様になったのは。それを自分の感情として認めたのは。 今まで抱いた事などない、心を追い詰めていく不快な感情。この感情に振り回され、思考や行動が思う通りに行かなくなるという事態にただ驚くばかりだった。自分にこんな感情がある事が信じられなかった。そして、分からなかった。何故、欲しいのか、ヤツの何を欲しいのかが────。 だが、それらは全て、何の答えも得られないままに放置されてしまっていた。 今はただ押さえつけていたが、心の底でくすぶる様に、その感情は未だ時折自分の完全である筈の精神コントロールを崩す事があるのだ。 全て、アイツのセイで・・・。 ************************ 考えている内にも足は忠実にその役割を果たし、気がつけば目的地のアパートの前に着いていた。古い作りの階段を足音も立てずに駆け上がると、やはり音もなく通路を歩き自分の部屋の前に着く。だが、ドアへと思考を戻した瞬間に、部屋の中から微かに何者かの気配を感じ取り、ヒイロの全身に緊張が走った。 ドアノブに手を掛ける。やはり鍵が掛かっていない。 部屋の中から感じる気配。わざと気配を発している様にも感じるのは何故だ? ガチリ。ノブを捻る。 なにかの手応えはない。ドアへの罠はなさそうだ。 ドアを開け、すぐに銃を前へ突き出す。 「よぉ、おかえり。」 明るい声がその場の緊張を打ち砕く。 被っていた黒い帽子を人差し指でぴんと弾いて、現れた青紫の瞳で自分を見返す。 突き出された銃にも顔色一つ変える事なく、その人物は愛想の良い笑顔を向けて来た。 「デュオ・・・貴様。」 突然の事で頭の整理がつかない。何故、ここにヤツがいる? 「勝手に入っちまって悪りぃな。あぁ、鍵はちゃんとしてあったからお前のミスじゃないぜぇ。こういうのは得意でさ、ちょっとお前を驚かせてやろうと思っただけなんだ。」 こちらの反応も待たずに、デュオは一人で話を進める。にっこりと笑顔のままで、大袈裟な手振りを入れながら。 「まぁ、ちょっとしたお茶目って事で許してくれよな?・・・・・って、やっぱ怒ってるか?」 口許を少しだけ引きつらせた様な笑みを、恐る恐るといった感じで向けて来る。怒っているか、という言葉に、自分がよっぽど憮然とした表情をしていたらしい事に思い付き、一つ息を付いてから、何故か強ばっている肩の力をぬいて銃を下ろした。 「・・・それで、何をしに来たんだ?」 とりあえず返って来たその言葉にほっとしたのか、デュオはひきつった笑みを収めて代わりに安堵の笑みを浮かべている。その様子を見ながら、ヒイロは開け放たれていたドアを閉め、本来自分の部屋である中へと足を踏みいれた。 ************************ 「しかし、ほんっとに生活感のない部屋だなー。」 部屋の中を見回しながらデュオがしみじみと呟く。先程まで被っていた帽子を脱ぎ、手持ちぶたさだったその手で玩びながら、ヒイロの後ろに付いて歩く。 「そういえば、学校行ってた時の寮の部屋も殺風景だったっけな。」 そのデュオに何も答えず、ヒイロは上着を脱ぐと部屋に一つしかない椅子の背に放り投げた。デュオはヒイロから少し距離を取る様にベッドに腰掛け、まわりをキョロキョロと眺めながら、独り言の様に返事を期待しない会話を続けている。 何故、ヤツはここへ来た? 自分の中に、解析不能な感情が沸き上がって来る事を自覚して、ヒイロはわざとデュオを無視した。 「それにしても、何でまたお前ってばこんなトコに住んでんだ? 俺は又、お前の事だからどっかの学校にでも潜り混んでるんじゃないかと思ってたんだぜー。」 さっき会ってから今まで、その顔からは笑顔が絶える事はなく、話している最中のデュオはずっと笑っていた。笑った顔で、いつも通り、何のわだかまりもなく陽気な口調で言葉を綴っている。 その、楽しげな表情が気に触る。 何の変わりもなく、屈託のない笑みで話し掛けてくる姿に、暗い怒りが頭をもたげる。 何を考えているのか分からない。 こうして親しげに話し掛けているコイツにとって、自分が実際はどういう位置付けにいるのかが分からない。笑顔の下にある、コイツの本当の考えを掴む事が出来ない。 あの日。デュオがいなくなった日。 まさかヤツが一言もなく立ち去るなんて思わなかったから、突然カトルにデュオをみかけなかったかと聞かれた時は、どんなにか驚いた事か。 戦いが済んだら、デュオへ対するこの自分の不可解な感情を、どうにかして何かしらの決着を付けねばならないと考えていた。だからその本人が何も言わず消えたと知った時には、行き場のない怒りと喪失感で頭の中の血が逆流するかと思った程だ。 裏切られた、・・・そんな気がした。 自分を気にかけ、事あるごとに話し掛けて来たくせに、『戦い』という共通点がなくなった途端に、何事もなかった様に離れていく。 許せなかった。意地でも探してやると思った。けれど、コイツは自ら消息を断ち、意図的に身を隠した。そうだ、意図的でなければあれだけ探して見つからないなんて事はない筈だ。 『欲しい』────。 手に入らなければ、それだけさらに欲求は蓄積されていく。 何を求めているか分からない。ただ『欲しい』。 欲求が心の奥を焦がし、怒りが精神にやすりを掛ける。 わけの分からない感情を抱き続けたまま、そうして一か月。 今になって、何を────。 どうにかして、日常生活に支障を来さない程度まで心の内へ静めていた怒りが、また新たな火種を得てその姿を表面化しようとしている。感情の波が、精神に揺さぶりを掛けている。 許せない。 たった今、目の前で何事もなかった様に振る舞うこの存在に、自分が何を思っているかなんてきっと想像も出来ないだろう。コイツには・・・絶対に。 「何をしに来た?」 顔はいつもの無表情で、声にも抑揚はない。だがしかし、瞳の奥に灯る暗い炎が押さえられた感情のカケラを映して揺れている。椅子に座り、ベッドに座るデュオへ向き直って、ただ視線を投げ付けた。その暗い炎にデュオが気付いたならば、今の自分の立場に危険を感じる事が出来たかもしれない。 けれど────デュオは話しながらも、ヒイロの顔をあまり見ようとはしていなかった。否、何か気まずい視線と雰囲気を感じとってはいたが、話を穏便に済ます為にも、余分に機嫌を損なう態度を取りたくなかったので、殊更それを考えない様にしていたのだ。だから敢えてきちんと顔を見ようとはしていなかった。 「何って・・・まぁ大した事じゃないんだけどさ。この一ヶ月、少しばかり地球を見てまわってて、そろそろ宇宙の方へ帰ろうと思ったらカトルに居所知られちまってさ。そんでカトルが、俺が出てった時お前がすごく怒ってたから、絶対に今度はお前に会ってからいけなんていうから・・・。」 つまり、人から言われなければ、俺に会うつもりはまるでなかったワケだ。 我知らず、口許に瞳に映る暗さと同質の歪んだ笑みが浮かぶ。 整った顔立ちが、凄惨な笑みを張り付かせてデュオを見つめる。 流石のデュオも、ヒイロの心境など分からずとも、ヒイロが発するただならぬ雰囲気は感じ取れたらしく、言葉を詰まらさせて息を飲む。それでも幾分無理に見える笑顔を崩さず、ヒイロから離れながら立ち上がり言葉を続けた。 「でもやっぱ突然押しかけちまって迷惑だよな? 迷惑ならすぐに俺出てくから勘弁してくれ。それじゃぁ・・・。」 口を閉じて、部屋を出ようと出口へ向かう。 だが、ヒイロから眼を逸らし視線をドアへ向けた次の瞬間に、ヒイロは気配もなく行動を起こし、デュオの目の前に立っていた。 正確にみぞおちへ入る拳。 デュオが今起きた事態を理解した時には、すでに全てが遅かった。 意識が飛んでいくのに、何も抗う術などない。 ただ、大きく眼を見開いて、表情のない群青の瞳を見返す。 冷たく、暗い瞳。 一体何が起こったのだろう────。デュオには何も分からなかった。 ---------------------------------------------------- (二) 意識が重たげに浮上する。 まだ頭はハッキリしていない。うっすら開けた眼に入ってきたのは、ひびの入ったコンクリートの薄暗い天井。ここは────そうか、ヒイロの部屋だ。 そう認識した途端に、意識に掛かっていた靄が払われ突然思考が働きだす。ヒイロに気絶させられて、それから────?考えてはみたが、どんな疑問も分からない事ばかりだった。こうしていても何も進展しないなら、とにかくまずは状況を調べ、ヒイロが傍にいるならヒイロに説明させてやる。 デュオは体を起こし、辺りを見回そうとした。 そう、『しようと』した。 しかし、頭は確かに体に起きる事を要求した筈なのに、その体の方はまるで動く感覚がない。 始めは、何かで拘束でもされているのかと思った。 だが違う。 寝ているこの場所を見ようと思ったら、首を動かす事さえ出来なかった。それだけでなく、驚きの声を上げようとしたら声も出ない。いや・・・声が出ないのではない、口が開かないのだ。 何かに戒められている感触は何もない。落ち着いて体の隅々まで感覚を辿ってみたが、何処にも自分を押さえているモノなんて感じない。 おそらくここはベッド。柔らかな感触が体の下に感じられる。上からは・・・肩口から毛布に包まれた暖かな感触がある。そう、きちんと触覚はある。だが、動かそうと思っても、自分の体は何処も動かない。動かそうと思った部分に意識を集中させ、力を込めようとしても、まるで体の動かし方を忘れてしまったのかと不安になる程に反応がない。 眼は見える。さらに耳を澄ませてみれば、外の喧騒が僅かだが聞こえて来る。つまり、感覚器官は正常に働いているのだ。 だが体は何処も思う通りに動かせない。 動かせるのは瞼と眼球────。自らの意識で動くのは、ただその部分のみ。どう足掻いても、声一つ上げられない、指先一つ動かない。 何が起こった? ────ここはヒイロの部屋で、自分はヒイロに気絶させられたワケで。・・・だからこの原因はヒイロが自分にした事であろう事は予想出来る。 だけど何故? 一体何の為? 全ての疑問はヒイロに繋がる。 だから、待つしかなかった。ヒイロを。 ヒイロが目の前に現れて、状況を説明してくれるのを。 ************************ 長い時間が過ぎる。 もしかしたら、短かったのかもしれないが。 最初の内は、眼球の動く限りに辺りを見回し、何時その視界内に入って来る者が居ないかと窺っていたが、すぐに眼が疲れてそれは止めた。諦めて暫く眼を閉じ、たまに眼を開けて状況の変化がないかを確認する。 そうして、ただひたすら待つ。 だんだんと暗さを増して行く天井が、時間の経過を伝えてくれる。 朱色の明かりが灰色のコンクリートを染め、やがて暗闇が訪れる。 夜だ。 そう思った時に、コトリと小さな音が聞こえた。それから、何かが動く気配。 全神経を耳に集めて、今の状況の唯一の手がかりとなるその音をさらに良く聞き取ろうとする。 カチリ。 途端に明るくなる視界。 あまりの眩しさに、思わず眼を閉じる。だが、ふいにその光が遮られたのを感じ、急いで瞼を開く。 予想通り、目の前にあったのはヒイロの顔。無表情を顔に張り付かせたまま、ヒイロはじっと自分の顔を覗きこんでいた。 一体これはどういう事だ?ヒイロ!! 精一杯の抗議の色を含ませて、自分がこうなってしまった張本人へと眼だけで訴える。口さえも動かす事が出来ないのだから、どう足掻いてもそれしか今の自分に出来る事はない。 「動けない理由を知りたいか?」 静かな声で、ヒイロが呟く。その表情を少しも変えたりする事なんかなく。 「お前が動けないのは薬のセイだ。神経を麻痺させる類の薬を気絶している間に打った。なんなら神経ごと切断しても良かったが、まだしていないから安心しろ。」 物騒なセリフを事も無げに言い放ち、そのまま視界からヒイロの姿は消える。 なんだって?? 今の事で、確信出来たのはこの事態がヒイロのセイであるというその事のみ。肝心の、何故こんな事をしたのかを聞いてはいないし、どういう目的でこんな事をしたのかだって何も言ってはくれなかった。 ただ確かな事は、ヒイロが、彼自身の意志で自分をこんな目に合わせたという事。あまつさえ、神経の切断は《まだ》していないという言い方していた。 《まだ》・・・つまりそこまでやるつもりもあると言っているのだ、ヒイロは。 それが実行に移されたなら、もう二度と体を動かす事が出来なくなる。そして今の自分には、それに抵抗する手段は何一つとしてない。 急激に体が冷えていく。 恐怖が全身をじんわりと包んでいく。 自分を覗き込んだヒイロの瞳を思い起こして・・・。今になって、あの時のヒイロの瞳に映った暗い輝きに気が付いて。 |