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目の前に広がる暗闇。 空にある月は灰色の雲に隠れて、朦げな光の輪郭を浮かばせているにすぎない。 厚い雲は星をも隠し、ただ真っ黒な暗闇だけがどこまでも続いている。 街からはかなり離れている為、この辺りに人家の明かりが見える事はない。 もちろん、こんな場所にこんな時間、人気などある訳はない…筈である。 見渡す限りの残骸の山。 この場所は、かつてオズの内戦時に直接の戦場となった場所であった。 元々はとある大手企業の工場であったのものを、トレーズ派が買い取って基地にし、ここを防衛線に大勢の血が流されたという。 …結局はMDによる徹底的な破壊によって終結をみたこの場所には、建物と呼べる様に形を残したものなど一つもなく、建物とMSの残骸ばかりが手付かずにそこここに放置されている。 暗闇の中、普通ならば地面に転がる残骸に足をとられかなり歩きづらい中を、その影はよろける事なくしっかりとした足取りで進んでいた。 「成る程な。」 足を止め、ぎりぎり視界に入る程の場所に浮かびあがった光の点を見つめる。 ちらちらと暫く点滅を繰り返していたそれはやがて消え、代わりにその光点を上回る光量の明かりが灯された。明かりの中、よく見ればその中には人影が見える。そして特殊な訓練を施されている彼にはさらにその人影がオズの軍服姿である事までが知覚できた。 間違いはない。 ヒイロは腰のホルダーから銃を抜くと、改めてその感触を確認した。 強い瞳はじっと目前の明かりを凝視して動く事はない。 しかし、明かりの方ははふいにだんだんと細くなり、見る間にその姿を消してしまう。 どうやら扉が閉じられたらしい。 しばらく暗闇を見つめ、その場所から再び人の気配がして来ない事を確認してから、音を立てず、だが素早い動作で近づいて行った。 積み上げられたコンクリートの残骸の中、少しずつ見えて来る鉄製の扉。 恐らく地下に続いている…この中にあいつは居る。 昨夜。 カトルから来た通信はサンクキングダムあてに届いたとあるテログループからの脅迫文についてだった。 内容の方はあまりにありきたりの要求がならべてあるだけのものであったのだが、取り引き材料にはハッキリと『ガンダム02のパイロット』の身柄が上げられていたのであったのだ。 デュオは生きていて、今、そいつらに捕まっている。 何を探せばいいのかさえ分かれば、後は大した問題ではなかった。 脅迫文から分かる通りの安っぽいテログループの隠れ家など、探し出すのに然程の時間を要する事はない。 だから。 そうして今ここに居る。 この中にデュオが居る。 ************************ 「お前はサンクキングダムへの脅迫材料だそうだ。」 床に倒れこんで荒い息を繰り返すデュオへ、兵士はそう言い放った。 聞いたと同時に虚ろな瞳が急激に正気の光を灯し兵士を見上げる。 「もう…伝えたのか?」 先程までの力ない瞳からは考えられない、睨みつけるような視線が兵士に向けられた。 「そうだ。」 肯定の言葉を告げる兵士の声には動揺の色が聞き取れた。 何て事だ。 デュオは兵士から顔を背けると、床へ向かって小さく呟いた。 確かに一番有り得る展開ではあるが、もしかしたらそうならずに済むかもしれないという期待もしていのだ。それが一気に吹き飛んだ。 自分という存在のせいで、もう、誰にも迷惑を掛けたくなんかない。 特に、サンクキングダムならばあいつにも絶対迷惑が行く。 それは出来ない。 ぎりりと歯を噛み締めて再び顔を上げる。 じっと兵士の顔を見つめゆっくりと言葉を吐き出す。相手を挑発する様に、口許に皮肉な笑みを浮かばせながら。 「そんじゃぁあんたは、俺を殺せなくなるかもしれないんだな?」 少年の顔が変わった。 自分が告げた言葉を聞いた後の少年の纏う雰囲気の切り替えは、信じられないほどに完璧だった。 この腕の中で喘ぎ、涙を流して虚ろな瞳で震えていた姿は、目の錯覚か別人だったのかという程に今のこの少年とは違うものだった。 自分を見返す青い瞳に、何か気圧されてしまう様な力を感じ後ずさる。 「そんじゃぁあんたは、俺を殺せなくなるかもしれないんだな?」 耳に届く言葉に、正気に返り少年を見た。 ────そうだ、俺はこいつを殺さなくてはならない。 さらに少年が言葉を綴る。 「殺すなら今だぜ。俺が脅迫材料として使われるなら、これからはここの上の奴等が、取り引きが終わるまでは俺を生かしておく事にもっと気を使う様になるだろうからな。」 そこで、それまでの揶揄かう様な口ぶりが、急に真剣味を帯びたものに変わる。 声は低くなり、瞳には鋭さが増す。口許を歪めてはいるものの表情からは笑みが消えていた。 「だから殺せ。今すぐに。それとも、親のカタキを取るよりも組織の方が優先かい?」 思わず否定の声を上げそうになるが、声が出ない。 薄暗い部屋の中、妙にハッキリと飛び込んで来る青い瞳に恐怖感が沸き上がって来る。 強い輝きを放つその瞳から目を離す事も出来ない。瞳を動かす事さえ出来ない。分からない、自分よりも年下で、ガンダムのパイロットとはいえ今はただのガキ…そいつを”恐い”なんて感じてしまう事が。 まるで命令でもしている様に、その瞳は自分に重圧をかけて行く。 そしてその要求はただ一つ。『殺せ』、自分を殺せ、よりにもよって自らの死を相手に強要しようというのだ。 「ふん、お前の為やお前の仲間の為なんかに、お前を殺したりするものか。分かっているんだ。そうして俺をけしかけて、自分を殺させようとしてるって事くらいな。」 そう吐き棄てて、兵士は早足で部屋を出た。まるで何かから逃げるように。 実際の処、デュオに向けてそういったものの、その言葉が相手に与えた意味を考えられない程に、兵士は混乱していたのだ。 扉を閉める直前に一度だけ振り返り、デュオに視線を向ける。何故だか後ろめたい気分を感じて。 だが、その瞳からは、先程まであれ程強く放たれていた威圧感は消えていた。 そのかわり、うって変わって妙に切なげな、弱々しいとさえ思ってしまう光を湛えてこちらを見ていた。まるで、いつも自分が抱いた時、意識を手放す瞬間に見せるあの表情の様に。 何故か分からないが、胸にちりちりとした削る様な痛みを感じた。 ************************ 廊下を歩く。足が重い。歩くのがやけに億劫に感じられる。 ────何故自分はあの時奴を殺さなかったか? そんな事を考えるのも、一体何時からだったろう。 何時から、奴を殺す事に戸惑いを感じる様になったのだろう。 ────情が移ったか?…馬鹿らしい。 ただ余りに理解できない奴の精神構造が気になる────『殺せ』だと?奴は死ぬ事がどういう事か分かっているのか?『死』に恐怖を感じないのか? なんだか頭までもが重いようだった。 自分は何を考え、何をするつもりなのか?…自分の目的が何であったかまであやふやになって来そうだ。 朦朧としてくる頭を手で軽く押さえる。 一度足を止めて大きく息を吐き出す。 落ち着かなければ、落ち着いてちゃんと考えてみれば、きっと答えが出る筈なのだ。 目をつぶって顔を上げる。 ────それと、廊下の電気が消えたのはほぼ同時の事だった。 何が起こった? 瞼を閉じて訪れる以上の暗闇に、驚いて目を開ける。 だが、闇に慣れていない瞳には何も見えるものなどなく、辺りの部屋から他の者達が口々に上げる驚きの声だけがざわめきとなって聞こえて来るだけだった。 それらの中に、何が起こったのかをつきとめる為の情報と思しきものは聞こえてこない。 「何をしている、早く全てを非常電源に切り替えろ。」 どこかでそう叫ぶ声がして、それから数分と立たない内に廊下のライトが回復し、目の前の明かりが戻る。 バタバタと数人の足音が入り口へと走って行くのが聞こえる。 恐らく彼らは外の電源ケーブルを見に行ったのだろう。 何か理由のない不安を感じながらも、足音に引かれる様に入り口へ向かって歩き出す。 停電騒ぎに気を取られ、少しは気持ちが切り替わってはいたものの、頭の中にはまだ先程までの疑問が渦巻き思考を淀ませていた。 だから、余計に気がつかなかった。 慌ただしく自分の横を通り過ぎていった兵士達の中に、帽子を深く被った、見たことのない人間が混ざっていた事など。 …自分と同じ髪の色をした、小柄な人影が何者であったかなどは。 ************************ まさか、こんなに広いとは思わなかった。 元民間の施設だという事から、その中身もたいした物ではないと判断した自分のミスだ。 いくら中を歩き回っても同じ作りの部屋が続く中、ヒイロはあせりを感じ始めていた。 デュオが捕まっていると思われる場所の特定がまるきり出来ない。 なにせ、どの部屋も同じ様な倉庫としての作りなのだ、捕虜の監禁されそうな場所が分からない。 元から軍事施設でなかった事がこういう裏目に出る事は、ヒイロとしては予測外の事であった。 しかも、余り時間がない。 今はこうやって皆別の事に気を取られているからいいようなものの、この様な小規模の組織では、すべての構成員が顔見知りの為、いつまでも紛れ込んでいる事は出来ないのだ。 このままうろついていても見つかるのは時間の問題。さらに、同じ理由で仲間のふりをして居所を探るのも無理であろう。 となれば。 せっかく見つからずにここまでこれた理を棄てても、確実にデュオを見つけられる方法を取るしかないか。 ************************ ドン。 低く重い音が響く。まるでどこかで爆発でもあった様な。 「侵入者だっ。侵入者がいるぞ」 誰かが叫ぶ声が聞こえて、それによって頭が思考の縁から引き戻される。 ドン。 再び何処かで音が鳴る。今度は前より大分近いらしく、壁が振動し、パラパラとコンクリの粒が落ちて来た。 ドン。 さらに新たな爆発。壁にはひびが入り、落ちて来るコンクリも粒というより時折塊と言える程の大きさの物が混じっていた。これ以上の爆発があれば何処かが崩れる。いや、一ヶ所が崩れたら、全体が連鎖的に崩れることもありえるのだ。 兵士は足の歩みを止めて、天井を仰ぎ見た。 3つめで音は途切れ、とりあえずそれ以上の爆発は起こらないようだった。 しかし、音が収まったにも関らず、壁の崩れは止まりはしない。 生き埋めになる恐怖から逃げる者達は、次々に入り口をめざし自分の横を駆け抜けて行く。ほとんどの者が統制も取れずに各々逃げている様は、いかにこの組織がお粗末なものであったかを示している様で滑稽だった。 そう、つい今し方までは彼もその者達と同じ入り口を目指して歩いていたのだ。 だが今、気付けば彼の歩く先は、奥へ奥へ…逃げる人の波に逆らって、自分でも意識しない内に先程いって来たばかりの捕虜の部屋へと向かっていた。 ************************ 何の統制も取れていない集団が、バラバラに入り口を目指して逃げ回る姿を、ヒイロは忌々し気に見つめていた。 本当に奴等は元軍人か? ロクな組織ではないと思ってはいたが、まさかここまで馬鹿の集団とは思ってもいなかった。 確かに爆発によって少しずつ崩れては来ているが、落ち着いて判断できる者ならば、この程度ではまだそう簡単に崩れない事くらい容易に判る。となれば普通、侵入者の目的が捕虜にあるのは明白なのだ、まずその捕虜の警備を強化するなり移動をさせるなりして、侵入者を捕まえる事が先決ではないか?…その為にわざと爆発騒ぎを起こしたのだ。なのにこのあり様では…。逃げ惑う彼らの姿を見ていると馬鹿馬鹿しいとさえ思ってしまう。 こうなれば自力で探すしかないか。 奴等がいなくなるのであれば、堂々と部屋を片端から調べて回る事も出来る。ただそれでは多少時間がかかりすぎてしまう為、崩れるまでの時間が問題になってくるのだが。 パニックに陥っている兵士達の集団を逆行して、ヒイロは奥へと進んでいった。 ************************ …気のせいだろうか? 今、何処かから地響きの様な音が聞こえた気がする。 少しだけ思考の中へ没頭するのを止めて耳を澄ましてみる。…だけれどやはり何も聞こえない。 捕まってから、一度もこの部屋から出された事がないデュオには分からなかったが、デュオの居るこの部屋は入り口からはかなり離れた、ほぼ最奥といえる場所に位置していた。だから入り口周辺の部屋で起こった爆発音など、ここまで聞こえてくる事はなかったのだ。 静かだな。 耳を澄ましていると、ただ静寂だけが感じられる。 冷たい床、冷たい空気、そして静寂。それだけが今、デュオを包んでいる全てだった。 ────奴は俺を殺すだろうか? ここの奴等がサンクキングダムへ出した要求など知らない。 自分の事を無視して、要求を突っぱねてくれるなら問題はない。 けれど、もし万が一。自分のセイで、その要求を飲むなんて事になったなら。…それはあってはならない事だ。 だから、あの兵士…自分を親のカタキと呼ぶ奴が、その前にさっさと始末してくれればいい。 だがそうならないのであれば…。 自害するしかないか。 ずっと考えていたが、どうやらそれ以上にいい考えというのが浮かんで来ない。 自分で自分の命を断つなんて行為はできればやりたくなかったが、この場合は仕方がない。 死神は、誰にも殺してもらえないから、自分で死ぬしかありませんでした…何とも皮肉な話だ。 痛む体を精一杯伸ばして、冷たい空気を身体中に感じる。 深く瞼を閉じて静寂に全てを委ねる。死ぬ事が決まったから…心は何だか穏やかだった。 心を落ち着けて…。だけれど、暗闇の中、いつもの様に幻に浮かぶのは、強い双眸の少年の姿。 その青く澄んだ瞳に心が痛む。 自分が死んだら…ヒイロはどうするだろう? 怒るかな、やっぱ。それとも…悲しむだろうか。 弱みを見せた事がない強い瞳が、悲しみに沈む姿を想像する。 ────嫌だ。 …だからその幻像を頭から振り切って自分にいい聞かせる。 …大丈夫、あいつは、そんな奴じゃない。そんな筈はない。俺が死んだ事を知っても、あいつは感傷になんか囚われる奴じゃない。そうだよな? 考えているとどんどん心が重くなってくる。消したいのに消せない、ヒイロの沈んだ瞳が心を苛んでいた。 お願いだ。俺が死んでも何も考えないでくれ。 ────カツン。 カツ、カツ…カツン。 何処かおぼつかない足取りの軍靴の音が、次第に近づいて来るのが耳に入った。聞いた事のない足音。知らない誰かがやって来る。 ガチリ、ガチリ…ダン。 大きな音と共に、蹴飛ばされて開け放たれた扉から光が差し込む。 床に倒れたまま、目だけを剥いて扉を見た。 「居るな。」 扉の前にはやはり見た事のない兵士が立っていた。とりあえず、服装を見れば今までに見た兵士に比べて階級が上である事は分かる。逆光になって顔の判別は難しいが、血走って見開かれた目だけがやけに目についた。 あの目は正気じゃない。 幾分よろけながら、その兵士は何も言わずにデュオに銃を向けた。 瞳を閉じる。 状況は何が何だか分からないが、こいつは俺を殺すらしい。 ならば手間が省ける、丁度いい。 贅沢をいうならこんな訳わからない奴に殺されるのはシャクではあったが…皆に迷惑を掛けるよりはマシだろう。 すぐに部屋の空気を震わせた銃声にきつく目を閉じて身を固める。 …だが、体には何の衝撃も襲ってこない。 「貴様っ。どういうつもりだッ。」 光に目を向けると、人影は2つに増えていた。扉の前でうずくまる、自分に銃を向けていた兵士の後ろには、もう一人の兵士が立っていた。 まさか? 光に透けるダークブラウンの髪に一瞬どきりとする。…だけど。銃を構え、後ろにたっていた男は期待とは別の人物だった。 「あんたか…。」 瞳から光が抜け落ち、体から緊張が解けていく。いつもデュオを憎み、親のカタキだといっていた青年兵。立っていたのはそいつだった。 「こいつを助けるつもりか?この裏切り者めッ。」 兵士は何も言わず引き金を引いた。 醜い悲鳴と共に、扉の前の階段を何かが転がり落ちる音が聞こえる。 …再び静けさを取り戻した部屋の中に、今度はヒイロと同じ髪と瞳の兵士が歩み寄って来る足音が聞こえた。恐らく、銃は構えたままで。 「さっさと撃ってくれないか?」 近づく人影に目を向ける事もなく、デュオがそう話しかける。 どうせ殺されるなら、あんな奴よりこいつの方がいい、こいつに殺されるなら理にかなっている。…だからなんだか笑顔を浮かべて目を閉じた。 「そ…そのつもりだ。」 聞こえる声は震えている。だが、銃口は確かに自分へ向かって合わせられていた。後は待つだけ。待つ、ただ静かに。…だが銃声は聞こえてこない。ゆっくり瞳を開けば、じっと自分を見つめているそいつと真正面から視線が合う。不可解な事に、そいつは銃を下ろしていた。 「…貴様に聞きたい事がある。…何故、そんなに死にたがるんだ?貴様は死ぬのが恐くはないのか?」 邪気もなく、ただ本当に不思議そうに見返して来るその顔が、少しだけヒイロに似ていると思った。 だから多分、今自分はは面食らった様な表情をしている筈だ。 何だか体の痛みも忘れて、険の取れた表情のまま、その質問に答える為に口を開く。普通の家庭で育ったこいつに理解なんかできるものじゃないとは分かっていても。 「あのなぁ。俺は…」 銃声が言葉を遮る。 目の前に立っていた青年は、ぐらりとそのバランスを崩したかと思うと、床へと転がり落ちた。あまりにも突然の事で何が起こったのか分からない。 「おい?どうしたんだよ?お前…俺を殺しに来たんだろ?」 引きつった笑みを浮かべて、床に倒れたまま動かない影に言葉を掛ける。返事はない。ぴくりとも動かない。 「裏切り者め…。もしかしたらこれも貴様の仕業か?貴様のせいで…もう終わりだ。俺の…。」 ぶつぶつと独り言を呟きながら、扉の前で先程撃たれたと思っていた男の影が起き上がる。逆光でも辛うじて見えるその顔は、手に銃を構えたまま歪んだ笑みを浮かべていた。その顔を見た途端、瞬間的に頭に血が登り、目の前に落ちている死んだ青年兵の銃を手に拾う。 2発の銃声が鳴った。 一発は、醜い笑みを浮かべた兵士の眉間に、一寸の狂いもなく正確に。 そしてもう一発は、膝立ちの状態で手械を付けたまま銃を構えたデュオの右の腿に。 …銃声の後、ドサリという音を立てて2つの影は崩れ落ち、一つは全く動かなくなる。 「…ってェ。」 銃を落とし、腿を押さえてデュオが小さく声を漏らす。 傷口に手を当てると、濡れた感触が掌全体をすぐに覆った。 これは思ったよりも出血が多い…このまま放って置くと死ぬだろう。 そうは思っても、手当をする気がある筈もない。このまま死ぬならそれはそれでいいのだから。 顔を上げ、部屋の入り口に目をやる。開け放たれた扉からは光が溢れている。 目の前には死体しかない。 …今ならば、誰もデュオが逃げる事を阻止しようとする者はいない。 けれど…もう、そんな力なんて身体中の何処にもないのだ。 何かが動く気配がした。 と同時に、ぼやけた視界に小さな毛玉の様な生き物が飛び出し、目の少し先で立ち止まる。 光を見つめ、ひくひくとそのヒゲが揺れているのを見て、デュオが微かな笑みを浮かべて声を掛けた。 「行きな。お前は行けるだろ?うまく逃げて…出来ればご主人様のとこまで帰ってくれよ…。」 言葉を理解したかまでは分からなかったが、黒い瞳を一度だけデュオに向け、小さなハムスターは光へ向かって走っていった。 霞む視界から、すぐにその小さな影は姿を消す。 …良かった。少なくとも、これであの優しい少年の大切なモノが自分のセイで死ぬ事はなくなる。あの愛らしい生物が、自分に最後まで付き合う事は避けられる。…それが素直に嬉しくて、瞳が柔らかな笑みを浮かべて細められた。 ************************ 何故こんなに入り組んでいるんだ? らしくなく、あせりにがそのまま表情に出る。 先程からずっと走りまわっているのに、どの部屋にもデュオを見つける事は出来なかった。細かい部屋が碁盤の目の様に配置されいるので、どこが特別な場所なのか予想をする事も出来ず、後どれくらい部屋があるのかも検討が付かないのだ。 …このまま片端から部屋を見てまわっていて、果たしてここが崩れる前にデュオを見つける事が可能だろうか ? 天井からパラパラと落ちて来るコンクリの粒を見る度に、いやがおうにもあせりだけが増大して行く。 その、ヒイロの目の前を小さな茶色の何かが通り抜けた。咄嗟にそれを目で追えば、それが何モノであるはすぐに判明する。しかし、こんなところにそんなものがいる筈はない。 だがまて。…あの少年は何をデュオに頼んだといっていた? 浮かび上がった疑問は、記憶と繋がって一つの結論を導き出す。 それが形を成すより早く、ヒイロは走り出していた。 今、ハムスターが走って来た方向へ向かって出来る限りの速さで。やがて僅かに鼻を掠めてくる血の匂いが、さらにヒイロを目的の場所へと導いていく。 濃くなる血の匂いに心が泡立つ様なざわめきを感じながらも、ただひたすらにヒイロは走る事しか出来なかった。 ************************ 撃たれた腿からは、血が止まる事なく流れ出ていた。 まるで命の温もりが流れていく様に、段々と体温が落ちて来ているような感じだ。 目の前には動かない死体。 親のカタキと、自分を殺す筈だった若い兵士の。 『死』を望む者の気持ちが分からない、『死』を普通に恐れる『死』を望んでなどいた筈のない人間。 そいつの方が死んで、俺がまだ生きてるなんておかしいじゃないか。 自分は人殺し、だから怨んでいる奴はきっとたくさんいる。その中の一つであるこいつの恨みを晴らすカタチで死のうとしたのに…それさえも出来なかった。 それどころか、こいつ自身だって自分が殺したのと同じだ。死神というその名の通り、自分は死を呼ぶ事しか出来ないのだろうか。 だが…そんな事はもう考えなくていい。もうすぐすべてが終わる。 動かない影から視線を外し、静かに自らの瞳を閉じる。次第に力の抜けていく体を動かそうとはせず、じっと床に横たわったまま意識の薄れるのだけを感じていた。 どこかで地鳴りの様な音がしていたが、それをきちんと知覚する事も出来ない。周りに感じるものは冷たい空気とただ…静寂。 最後はもうすぐ目の前にある。やっと全てを終わらせる事が出来る。 さよなら…ヒイロ。 「デュオ」 既に音を感じる事を拒絶していた耳が、その声だけを残された思考へと伝える。 反射的に目を開き、薄れかけた意識を引き戻した。 扉の前…溢れる光、そこへ立つ人影。 今度こそ見間違いなどではない、誰よりも強くて澄んだ青い瞳が自分を見つめている。 「ヒイロ?」 どうしても信じられなくて、確認するように名を呼び掛けた。 霞みかけた瞳では逆光になるその顔は見えない。だけどあの瞳を間違えたりはしない。 自分をその瞳で見つめながら、ヒイロはこちらへやって来る。 ゆっくり、ゆっくり、近づいて来る姿がスローモションの様に途切れて見える。紛れもなく瞳に映るその姿に、自分の中に押さえようのない喜びが沸き上がり、自然と顔には笑みが浮かんでいた。 「ヒイロ、お前って本当に神出鬼没…。」 ぴたり、とその言葉にに反応して、ヒイロの足が止まった。 ああ、そういえば前にもこのセリフは言ったよな。 考えると余計に笑えて来て、目を細めてヒイロを見上げる。 ヒイロの手に彼の愛用の銃が握られているのを確認し、それに何だかほっとして、にっこりと更に微笑み掛けた。 「なぁヒイロ。今度こそ、俺を殺してくれるだろ?…今度こそ…俺を殺しに来たんだろ?」 本当に嬉しそうな笑顔で、ヒイロにそう尋ねてみる。 虚をつかれた様に、ヒイロは目を見開いてこちらを見ていた。 一瞬困惑に顔を曇らせ、それからすぐに表情を消し去ったいつもの顔になると、ヒイロは右手の銃をゆっくりとデュオに向けて構えた。 「お前がそう望むのなら…いや。」 高い音を立てて、一発の銃弾がデュオの戒められた手枷の鎖を破壊する。 「今の俺にお前を殺せる筈がない。最初から、お前を探して、お前を連れかえす為に俺は来たんだ。」 瞳をしっかり見つめてそう告げると、目の前へしゃがみ込む。 言葉通りデュオを連れかえる為、その体を抱き上げようと手を伸ばす。 だが途端、デュオは今までの笑顔を表情から消し去ると、瞳に暗い光を浮かべて伸ばされた手を跳ねつけた。体に残る最後の力をかき集めてさえ動く事は出来そうにないから、ただひたすら瞳に拒絶の色を宿して睨みつけた。 「殺せ…殺せよっ。俺の望みを聞いてくれるなら、俺を殺してくれ。俺は生きているべきじゃぁないんだ。もう、生きてる必要はないんだ。」 声は出すだけでも精一杯で、掠れてしまうのを気にしている余裕などない。 だがヒイロはその抵抗を自らのさらに強い瞳でねじ伏せ、強引に体を持ち上げようとする。 …ふわりと浮かぶ体、暖かい人の体温に抱き留められる感覚。 諦めた筈なのに、いつでも帰って来たかった腕の中に、今自分はいる。 それを考えると、どんなに心へ拒絶を言い聞かせても、安心してしまう自分を押さえる事が出来なくなってしまう。 「なぁ…もし、お前が殺すのが嫌なら放って置いてくれ。そうすれば、それで全部終わるからさ。」 抵抗する為の全ての力が尽きて、意識を保つのが困難になってきても、尚もデュオはヒイロにそういった。 抱き上げられるヒイロの腕の中は、涙が出る程安心できて、暖かで…何かに包まれるように意識が覆い隠されて行く様だった。 「デュオ、お前を殺す事なんて出来ない。お前が死ぬ事なんて耐えられない…だからお前が死ぬ事は許さない。何があっても。絶対に死なせたりはしない。」 腕のなかの血の気のない体をきつく抱き締め、ヒイロはそう呟く。 その声は、殆ど消えかけたデュオの意識の片隅に染み込んで行った。 ************************ 「生きてるのか?」 目が覚めて、デュオはまず最初に一言そう言った。 声は呟きの様に小さくて、恐らく、目の前のヒイロに向けて言ったものではないのだろう。 自分に向けて、確認する様に尋ねた言葉。 まだ何か意識が戻り切っていない様に、ぼんやりと自分の手を眺めている。 「俺は…又、死ねなかったんだな。」 重い溜め息をつきながら、見つめていた掌を握り締める。 ───血に染まった手、洗い流す事など出来ない程深く罪が染み込んでしまった自分の手。たくさんの命を刈り取って、生きて来た命。それだけたくさんの命を犠牲にする程、自分の命に価値はあったのだろうか? …こんな命。もう、終わりにしたかったのに。 「死にたいのか?」 顔を上げてヒイロの顔を見る。 いつでも真っ直ぐな青い瞳は、今も真っ直ぐ自分を見つめていた。 澄んだ空…いや、それよりももっと深い、宇宙と地球の成層圏を繋ぐ境界の色。 ヒイロの腕も血に染まっている事をデュオは知っている。けれど、ヒイロの瞳はいつでも罪に曇る事なく、痛い程の透明さと純粋さを持っていた。 眩しい。 目を細めて、その瞳を見つめかえす。 何故か辛くて、何故か悲しくて。 見ているだけで心が痛くなったけれど、目を逸らす事はせず、じっと眺める。誰よりも強くて奇麗な瞳…あの瞳を見ているのは大好きだったから。 「何故…死にたがる?」 そう言ったヒイロの顔が、一瞬、彼らしくない不安気な表情を浮かばせた。 「ヒイロ?」 デュオが驚いて目をみはる。 「俺は…お前に死んで欲しくない。」 突然言われた言葉はデュオの内へ困惑を引き起こした。何故今、そんな事をいうのだろう。…だけど、その言葉の表す意味を考えれば、喜びという波紋が心の中へ沸き上がりそうになる。 じっと瞳を見つめたまま、ヒイロは言葉を続けた。 「お前が死ぬ事を考えるだけで耐えられない。…いつでも、お前を見ていたいと思う。いつでもお前に触れていたいと思う。お前が俺から離れた理由が何であれ、俺は、お前と一緒に居たい。他の誰でもなく、お前と。恐らくそれは、俺が…お前を、好きだから…。」 ヒイロが俺を? 「なぁ、おい…まさか、冗談だろ?」 込み上げて来る喜びに唇がひきつった笑みを象る。けれど、何故か目は笑えない。なんだか泣いてしまいそうに目頭が熱い。 否定や取り消しの言葉など、微塵も感じさせない真っ直ぐな瞳で、ヒイロはじっとデュオを見つめている。いくら見つめていても、その瞳の真剣さが損なわれる事はない。 本当に?本当に?ヒイロ。俺、信じちまうぜ? ダッテ、イツデモ、ヒイロハ嘘ヲツイタリシナカッタ───。 イツデモ、ヒイロハ本当ノコトシカイワカナッタ────。 シンジタイ。シンジラレナイ。ケレド、ヒイロハ嘘ヲツカナイ────。 耐えていた筈なのに、自分の頬へ暖かい流れが伝ってくる。それを見られたくなくて、デュオは瞳を逸らして下を向いた。そのデュオへヒイロが近づき、そっと肩を抱きすくめる。 「だからもう2度とお前を離さない。絶対に逃がさない。俺はただ、お前がいればいいんだ、デュオ。」 覗き込む様にしてデュオの顔を見つめ、涙を流し続ける目許に唇を寄せる。舌で涙を軽くすくってそのままデュオの唇にその唇を重ねる。デュオは何も言わずにただそれを受け入れた。目をつぶって、ただヒイロの唇の感触を確かめた。 余りにも今が幸せで。信じられなくて。 でも、抱き締められるこの温もりは本物で。 心の求めるまま、自然と肌と肌を重ね合う。今度こそ、想いも体も全てが相手と重なる様に。互いが互いと一つとなれる様に────────。 物心付いた時から、自分はいつも独りだった。 誰も必要としてない。誰も護ってくれない。 だから強くなろうとした。少なくとも自分で自分を護れるように。 だから、誰も要らない。 自分以外は、何もなくてもいい。 最初から何も持っていないから、自分の命だけを護って生きて行けばいい。 そうすれば、何も恐れずに生きていく事が出来る。 ────だけど、それは余りに孤独で、たまに何かを掴みたくなる事がある。 それはガンダムであったり、十字架であったり…だけどやはり孤独な事に変わりはなかった。 だけど、それでも構わない筈だった。 なのに…。 なぁ、────今まで掴んだ人間は、手を振りほどくか、死んでしまうか────誰一人として掴みかえしてなんてくれなかっただろ? なのに、あいつは掴みかえしてくれたから。 掴んでくれただけでなく、その手を引いてくれたから。 自分から手を離しても、見つけて、手繰り寄せてくれたから。 もう、この手を離したくないなんて思ってもいいだろうか? 一緒にいたいと思ってもいいんだろうか? 望んではいけないと、自分を押さえなくてもいいんだろうか? 「デュオ…。」 ヒイロが呼んでいる。青い瞳には自分の顔が映っている。 「ヒイロ。」 微笑みながら名を呼びかえして、デュオはヒイロの背に腕をのばすと、柔らかく抱き締めた。 暖かいな…。 思った事はそれだけなのに、何故だか瞳からは涙が零れた。 E N D |