黒 の 主 〜冒険者の章・五〜 【44】 ビッチェの目からは涙が零れる。 アジェリアン達の顔から緊張感が抜けていく。 だがそんな中、フォロが立ち上がってビッチェに向かって行く。そうしてうつむく彼女の前に行くと、大きく息を吸ってから彼女のその頬を叩いた。パン、と乾いた音が鳴って、ビッチェが目を見開いた。 「アジェリアンが無茶して怪我をしたのはあなたのせいよ。あなたが勝手な事をしたから……アジェリアンが……アジェリアンが……」 言いながら、今度はフォロが泣き始める。 「うん……そう、私のせい、私が悪いの、ごめんなさい」 「あなたはいつもそう、私が止めても勝手に先に行ってしまう」 「ごめん、フォロ……ごめんなさい、私が悪かったわ」 二人して泣きながら言い合う姿を、周りは口を出せず見ている事しか出来ない。 セイネリアは気にせずその辺りに座ると、カリンを呼んで彼女も傍に座らせた。 「私はいつもあなたに置いていかれてばっかりで、あなたが行ったからアジェリアンも止めたのに行ってしまって……私はいつも何も出来ない……」 「何言ってるの、いつも何も出来ないのは私よ、あなたが治癒をしている間私だけ何も出来なかったし、パーティーでだって私は役ただずじゃない」 「違うわよ、あなたはいつも前で皆と一緒に戦っていて、私は後ろから見てるだけじゃない」 「でも役立ってるのはあなたの方じゃない、あなたはあなたしか出来ない仕事があるものっ」 泣きながら言い合う二人は、途中から言い合いというか喧嘩じみてきて、周りは止めるべきかと悩みながら止めるのも怖くてやはり黙って見ている事しか出来ないでいた。アジェリアンは助けを求めるようにセイネリアの方を見てきたが、セイネリアは黙って酒を飲んでいるだけで特に何かをする気はなかった。 そこへ、陽気な酔っ払いの一声が、空気を読まずに掛けられた。 「あっれー? 皆まぁだギスギスやってんの? だっめだなぁ、たのしーお酒の席でそういうのはよくないよぉ〜」 にこにことやたら上機嫌のエーリジャの後ろに、エルがひきつった笑顔を浮かべてついている。 「ほらほら、お酒はたーのーしーくーだよ、そんな顔してると美味しいお酒が勿体ないよー」 上機嫌のエーリジャはスキップでもしそうな足取りでセイネリアの方に向かってくる。そうして目の前までくると、腕を組んで少し顔を顰めてからセイネリアを指さして言ってきた。 「だっめだなーせっちゃん、ちゃんとバシっと解決してくれなくっちゃー」 そこで場の空気が止まった。 カリンは苦笑する程度で、セイネリアは無視して飲んでいたが……エーリジャの後ろにいたエルも、こちらを見ていたアジェリアンも、喧嘩をしていたフォロとビッチェも、その他の連中も皆固まって、視線を陽気な酔っ払いとセイネリアに向けていた。 「せっちゃーん、何澄まして一人飲んでるのさ、ほーらービシッと言っちゃっいなよ」 言いながらエーリジャがセイネリアの隣に座ってその背中を叩きだした辺りで、まず最初に、エルがぶっと吹き出した。 「せ、せっちゃんて……この強面相手にせっちゃんてよぉ……」 声を抑えて苦しそうに笑いだせば、次にアジェリアンが怪我をした胸を抑えてその場に震えながら突っ伏す。続いてクトゥローフも吹き出した後に腹を抱えて、デルガとラッサ、ネイサ―もそれぞれ声を殺してどうにか笑いを抑えようと苦しみだした。 そうして、喧嘩をしていた筈の二人も。 「なにせっちゃんて……アレそういう顔じゃないでしょ……だめ、お腹が……」 ビッチェが笑って腹を押さえれば、フォロも涙を流したままその顔が苦しそうな笑みになる。一応慈悲の神の神官だけあって笑うのは悪いと思ったらしい彼女は、それでも口を押えて笑い声を耐えていた。 「あれ、どうしたのかな? うん、まー楽しいならいっかな」 元凶の酔っ払いはやはりご機嫌で、セイネリアにカリンが酒を注いでいるのを見ると自分も欲しいと言い出していた。周りが腹を抱えて苦しんでいる中、抑えず思い切り笑っていた所為で少し落ち着いたらしいエルを見てセイネリアは言った。 「……こいつに飲ますなと言った理由が分かったろ、エル」 笑いすぎて出た涙を拭いたエルは、セイネリアの顔を見てまた吹き出しそうになりながらどうにか返した。 「あー、分かった分かった、こら面白……いややべぇわ」 「何がさー、てか皆何がそんな面白いんだろうね、せっちゃん分かるぅ?」 その発言にもまた吹き出したエルを見て、セイネリアは不機嫌そうにため息をついた。 「正気になったら教えてやる」 --------------------------------------------- |