黒 の 主 〜冒険者の章・四〜





  【35】



「少しはいい面構えになったじゃないか、何かあったのか?」

 聞けばナスロウ卿を信奉する騎士は、セイネリアに視線を戻して苦笑した。

「たいしたことではありません。ちょっと……先日久しぶりに実家に帰ってきただけです。そこで少し……自分を見直す機会があったというところでしょうか」
「ほう……」

 思わず声を漏らせば、ザラッツは苦笑したまま彼もまた剣を鞘に入れた。先ほどより、彼の息は大分整ってきているようだった。

「家を出た時は貴族としてのプライドや、父や母、兄へ、家の者として恥かしくないようになろうとか、使命感のようなモノがあったんですよ。ですが……久しぶりに会った父はやけに疲れた顔をしていて、兄はあちこちの貴族に頭を下げてばかりの父を愚痴って、そんな父の立場を継ぎたくはない、なんて言ってました」
「それで、家族に幻滅でもしてきたのか?」

 ザラッツはそれに軽く喉を揺らして笑う。それから少し苦し気に眉を寄せると、軽くため息をついて遠くを見つめた。

「幻滅……かもしれませんね。ただ貴族の家の者として誇り高く……なんて気持ちはなくなりました。それどころか宮廷貴族の地位に拘る兄や父が滑稽にさえ見えました。あの方が幻滅した騎士団の姿は、この貴族社会があるからなんだろうな、と」
「ならお前はどうしたいと思ったんだ?」

 聞けば、彼の瞳が遠くを見たままさらに細められる。そうして一呼吸分の間を置いて、彼はゆっくりと口を開けた。

「そうですね……騎士団をどうにかしたい、というあの方の意志を継ぎたいと思って来たのですが……この貴族社会が変わらない内は難しいでしょう。ですから今は何が出来るか考えているところ、という感じでしょうか」

 剣を合わせた時の気合いは前以上なのに、こうして話す時は前のように気負いすぎていない彼を、セイネリアは少しの驚きと感心を持って見ていた。

「俺はまた、貴様がグローディ卿に取り入っているのは、主を通して貴族社会の動向を見るつもりかとでも思っていたんだが」
「まさか。……そこまでの思想も行動力もありませんよ。ただちょっと我が主には救われたところがありましてね、無気力で何もやる気が起きない俺に、自分も落ち込んで領地に帰るところだがお前も来ないかと誘われて……なんというか、貴族の割りに裏表がない善良なあの人をちょっと助けたくなってしまった、という訳です。あとはこちらの意見を結構聞いてくださって、上手くいくと無邪気に喜んで褒めてくれてですね……だからやりがいというか、楽しかったのです、それ以上の裏はありませんよ」

 それを聞いて、セイネリアはふと、彼に聞きたくなった。

「ナスロウのジジイは、お前を褒めてはくれなかったのか?」

 彼はそれに寂しそうに首を振った。

「えぇ、部下としては可愛がってくださいましたが……あの方からすれば俺は残念な弟子で、何をやってもどこかあの方にとっては物足りない部分があったようです。ですから、本心から喜んで褒めて下さることはなかったです」

 それは多分、教えに忠実過ぎて何も考えず自分だけを目指す彼の姿をナスロウ卿は寂しく思っていたからだろう。セイネリアを選んだあの老人からすればそれは予想出来る事だ。

「今の貴様と剣を合わせた後だったら……あのジジイは褒めたかもしれないぞ」

 ザラッツがそれで驚いた顔を返す。
 セイネリアは笑って彼に背を向けると、離れたところで待っているカリンの方に向かった。そこで、背から騎士の声が掛けられる。

「昔の知り合いからの情報です。近々バージステ砦で少し大きな戦闘が起こりそうだと。それでおそらく傭兵の募集をする事になるだろうと言っていました。よければあの方がいたバージステ砦と、この国で一番の精鋭部隊を見てきてみたらどうですか? そうすれば騎士団の現状も少しは分かりますし、あの方の絶望を知る事が出来るかもしれませんよ」

 セイネリアは振り向いた。ザラッツは笑っていた。

「情報には感謝しておく」

 そうしてセイネリアが手を上げると、騎士は丁寧に頭を下げた。




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