黒 の 主 〜冒険者の章〜 【17】 昼過ぎになってワラントが起きてくると、にわかに娼館の中の一部は忙しくなる。娼婦達の部屋とは離れたワラントの仕事部屋の近くでは、ワラントの昼食の準備に追われる者と、今日の客人用に酒や料理の仕込みをする者達で慌ただしくなる。ただその時のカリンの仕事といえばワラントへの給仕をしながら彼女と食事をとる事で、正直忙しそうな女達を見ている手前妙に居心地が悪い気分を味わう事になる。 「気にしなくていいのさ。あんたは半分客人でもあるからね」 「客だなんて、そんな……」 「あの坊やから預かったんだから客人さ、まぁ食い扶持くらいの仕事はしてもらってるけどね」 そういって顔をくしゃくしゃにして笑うワラントの笑う姿も今では慣れて、それに驚いたり不快感を感じることはなくなった。起きた彼女と食事をするのは今ではカリンの日課となっていて、彼女と一番たくさん話せる時間でもあるからそれを楽しみにしてもいた。 「あんたを大事にしてればそれだけであの坊やに貸しを作れる。だからあんたは堂々とここでお客様していたっていいんだよ?」 「その方が居心地が悪いです」 「だろうねぇ、あんたはえばって人を使う側には慣れてないだろうしね。でもこれからはそれじゃだめさ、人をよく見てその人間をどう使うべきかを見極められるようにならなきゃならない」 「そう、ですか」 実際、有無を言わさず従う事だけを求められていたボーセリング卿のもとでの生活からはそれは考えられない事で、カリンの返事も自信がなくて声が小さくなるのも仕方ない。 「まぁその辺りはあの坊やを見てた方が勉強になるさね。ここじゃまずは……たくさん人を見て、その人間の行動の理由や事情を考えて……とにかく見る目って奴を養う事さ」 「そう、ですね。勉強します」 言えば老女は本当に嬉しそうに……優しそうに笑ってくれて、カリンもつられるように笑ってしまう。人とこうして笑いながら食べる食事なんてここにきてからが初めてで、食事を初めて『美味しい』と感じる事が出来た。 「その……もし、よろしければ、主はワラント婆様とどうしてお会いになったのか聞いてもいいでしょうか?」 主の話があった事もあって、カリンは思い切って前から気になっていた事を聞いてみることにした。老女はそれに少し考えるだけの間が空くものの、そこから唐突に声を出して笑いだした。 「あの……?」 「あぁすまないね、ちょっと思い出してしまっただけさ。あのコと初めてあった時の事をね。ほんとに、度胸と自信だけはある男だったからねぇ……」 「そう、なのですか?」 不安そうにカリンが聞くと、ワラントはそこで目を大きく開いて言ってくる。 「あぁそうさ、なにせあの坊やはね、このワラント婆様を『娼婦として買いたい』って言ってここに来たんだからねぇ」 最初その意味がよく分らなかったカリンも『娼婦として』の意味を理解して目を丸くする。その様を見たワラントの笑い声が更に大きくなる。 「どこからこの私の事を聞いて来たんだかねぇ……まぁ娼婦達からやけに自信家でおもしろい若造がいるって話は聞いちゃいたからね、こっちも顔を見てやりたいとは思っちゃいたんだが……まさかこのワラント婆を娼婦として買うなんて言い出すとはねぇ。確かに私も娼婦だったがまさか今の私にそう言ってくるとは思わないだろ。……まぁそれで面白いから乗ってやったのさ、どこまで本気か分からないからちゃんと寝室に通してやってねぇ」 「それでその……た、んですか?」 恐る恐るカリンが聞けば、ワラントはカカカっと更に豪快に笑いとばした。 「まさか。だがねぇ、私と寝る気かいって聞いたら、平然と『あんたが寝たいなら』って言ってきたからねぇ、いや肝が据わってると感心したのさ。そしたらあの男は母親が娼婦で娼館生まれだって事でね、『あんたも娼婦なら娼婦の誇りという奴があるだろ、客として買いたいといえば会ってくれると思っていた』とね。娼婦の誇り、なんて言葉にもちょっとくすぐられたとこもあるがね、あのクソ度胸に惚れこじまってねぇ……今じゃあの坊やが何をしでかすのか見ているのがおいぼれの楽しみになってしまったという訳さ」 寝なかったという言葉にはほっとしてしまったカリンだったが、主のその自信満々な姿に感心してしまったというのは納得してしまう。カリンもあの男のどこまでも自信のありそうな目について行きたいと思ってしまったのだから。 「そういう訳でね、もしあの坊やが望むならもうちょっといろいろ手伝ってやってもいいんだがね……あのコは滅多にこっちを頼りはしないのさ。そういうところも見どころがあって面白いんだが、それがあんたを頼むって置いていったんだから……そりゃーあんたにも期待するさね」 「期待、ですか?」 「そうさ、だからたくさん勉強するんだよ」 それには大真面目に、はい、と大きく返事をすれば、ワラントはやはり楽しそうに顔をくしゃくしゃにして笑う。その瞳の温かさは今まで向けられた事がないもので、だからカリンはこの老女との会話が大好きだった。 「さて……今日は夜まであんたがここに付くことになってるのは聞いてるかい?」 「はい、リリスさんから今朝言われました」 カリンが答えれば、老女はそこで軽くウインクをしてから笑う。 「今日最後の客は坊やだからね、久しぶりに会うご主人様に元気な姿を見せておあげ」 その言葉でカリンはそれから一日中、どの仕事をしても集中出来なくて困る事になってしまった。 --------------------------------------------- |