黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【9】




 相手は言って、おそらくリパ信徒なのだろう、首から掛けているリパの聖石と呼ばれる石があるだろう胸に手を置いた。
 この国の国教は多神教であるため、人々はさまざまな神を信奉している。信じている神によって信徒は神官程ではないが神殿魔法と呼ばれる術を使えるというのがあって、正式な勝負事の場合は事前に術を使うのをアリか無しか宣言するのがこの国での試合のルールだ。

「生憎、神様に頼るのは嫌いなんだ」

 セイネリアが言えば老人は苦笑する。距離を取るため背中をセイネリアに向けてはいても、その背に隙は見えなかった。

「そうか、勿体ないな。その体でアッテラの術でも使えれば更に面白い事になったろうに」

 言ってナスロウ卿はセイネリアにひらひらと手を振った。
 彼が言ったアッテラは戦神であり、戦士の為の神である。主に肉体強化系の術を使える事もあって、強くなりたいと思う者達に多く信徒がいた。

「ふん、自分の力でないものを使って勝ったところで面白くない。それに、術に頼った方が隙もできる」
「確かにな。なら俺も術はなしだ」

 貴族であるナスロウ卿なら、リパの信徒で間違いないと思われた。リパは三十月神教の主神であり、慈悲の神とも呼ばれて、神殿魔法は守護の術が多い。アッテラ程ではないが十分戦闘でも役に立つ術である。だからセイネリアは少し声に不機嫌さを入れて、ナスロウ卿の背中に向かって怒鳴った。

「ハンデはいらないぞ」
「ハンデじゃない、お前のいう通り、術を使わない相手に術を使うと隙が出来る」

 言いながら足を止めたナスロウ卿はくるりとセイネリアに振り返り、静かに剣を持ち上げて構えをとった。セイネリアもまた大斧を最初から胸の高さに持ち上げ、腰を下げて攻撃の構えを取る、そして。

「来いっ」

 という老人の声とほぼ同時に、セイネリアは走りだした。
 それに合わせて動いたナスロウ卿の踏み込みを見てすぐ、セイネリアは行動の速さではこちらは向うより相当に遅れる、という事を悟った。当然ながら使っている武器の差もあるのだが、長い鍛錬によって無駄を極限まで削ぎ落とされた行動の差は想定以上で、それを見越して動きを考え直さなくてはならなかった。こちらが向うを確実に上回っているのは一撃の威力と単純なパワーである為、それを最大限に生かすしか道はない。
 だから、最初の一撃は様子見で、斧の攻撃に相手がどう反応するかを見ようとしたのだが、いかんせん向うの方が間合いが長い。ナスロウ卿の獲物は両手武器の長剣である為、どうしてもこちらの方がリーチの分不利だった。斧を相手に振り下ろすよりも早く剣でけん制をされれば、セイネリアも一歩引いて間合いをあけるしかない。

「そんな重い得物の割には、なかなか素早しこい」

 避ける事しかできないセイネリアには、それは嫌味にしか聞こえなかった。
 だが相手も、剣をこちらの間合いにまで伸ばす危険を分かっている。剣はまさにけん制というに相応しく、突き出されてはすぐに引かれ、深くこちらに踏み込んで決定的な一撃を入れてくる事はない。なにせこちらが近づけないのがネックなら、向うは刃と刃をマトモに合わせないようにしなくてはならないのが問題だろう。
 セイネリアが攻撃をしようと大斧を振り回せばその隙に決定打を入れる事は可能だろうが、セイネリアは片手で斧の柄を持ち片手で刃の背を持った構えのまま、体裁きと斧の刃を当てるだけで剣を避けていた。本来ならそう易々と避けられるような速さの剣ではないのだが、向うとしても間合いが遠すぎてこちらに避けられるだけの猶予を与えていた。
 何度も同じ攻撃を繰り返していれば、どれだけの達人であってもその剣筋を見られるのは仕方ない。ただそうして膠着状態をつくっても、じれて崩れないのは流石というところだった。
 タイミングを見図る。
 撃ち込まれてもすぐに逃げる剣先を、追うように斧の刃を押し付けて当て、そのまま一気に踏み込む。
 それでも、歴戦の勇者である老人は流石に巧かった。セイネリアの押す力に合わせて後ろに飛びのき、刃をまともに合わせる愚を犯そうとはしない。
 一度距離が離れれば、互いに相手を見てその動きが止まる。
 ナスロウ卿が狙っているのは、セイネリアが斧を振った直後。いくら力に自信があっても、この大斧の質量では振り切れば必ず大きい隙が出来る。
 対してセイネリアの狙いは剣と斧の刃と刃を合わせる事。質量的にも単純なパワー的にも、押しきり、剣を弾くだけの自信がセイネリアにはあった。
 互いに、相手の狙いも、自分の不利な点も優位な点も分かっている。だが互いに相手の隙狙いでは埒が明かないことも分かっている。誘ってミスをする相手ではないと分かれば、勝負を決めるには待つだけでは無理と理解している。
 ならば次の段階は、どう仕掛けるか。
 見つめる相手の僅かな動きにさえ集中していれば、いつの間にか呼吸さえ重なる。相手に合わせようと構える内に相手と同化する、それだけの集中が二人にはあった。
 だからこそ、仕掛ける時も同時に。
 けれども同時であれば自分の方が遅い事はセイネリアには分かっていた。だがナスロウ卿もこれで決める気らしく、先ほどのようにこちらを近づかせない為に先制して剣を払う事はせず、誘うように懐へ入り込めるだけの道を開ける。確実に罠だと分かっていても、セイネリアは相手の近くまで一気に踏み込む。それから、斧を老人の腹に向けて、横から大きく振り払った。
 当然、それを狙っていたナスロウ卿の剣は、斧の刃が通過する直後の一番無防備なタイミングに合わせ、まっすぐセイネリアに向かって伸びてくる。それは間違いなく、確実に、セイネリアの腹に届く筈だった。
 だが次の瞬間、剣はセイネリアの横腹を掠めた後すぐに引かれ、その剣を持つナスロウ卿自身もその場から飛び退いた。
 セイネリアの大斧は、つい今までナスロウ卿がいた足元の地面に刺さっていた。つまるところ、セイネリアは振り払った後に強引にその軌道を曲げ、斧を引き返してナスロウ卿の足を狙ったのだ。



---------------------------------------------



Back   Next


Menu   Top