黒 の 主 〜傭兵団の章一〜





  【69】



 ゼーリエンの領主就任式と共に、メイゼリンを領主代理とする指名式が行われて、これでキドラサン領内の領主争いは完全に終結した。
 とはいえ私はここからが忙しくなるんだが――そう思いながら、メイゼリンは仕事の合間にため息をついて侍女に茶を入れるよう命じた。

「確かに私も疲れました。慣れない事ですから特に」

 弟のキディラもそこで背伸びをして、手に持っていた書類の束を横に置いた。彼は現在、メイゼリンの補佐をしている。

「それをいうなら私もだ。やはり事務仕事ばかりはストレスが溜まる。体を動かしていた方が楽だ」
「そうですね。なにせ我が家では子供の頃から考える暇があれば動け、と徹底的に鍛えられますから」
「あぁ、だから考えるより動いた方が楽だ」

 言いながら思わず椅子に掛けてあった杖を剣に見立てて構えてみせれば、気が利く末っ子は笑って言い返した。

「ですが姉上は我が兄弟の中では一番考える方も得意だと思いますよ」
「まぁそれはな、ここに嫁いでからはいろいろ見て、どうやって息子を守るかばかり考えていたからな」
「やはり姉上以外にこのキドラサンの領主代理が出来る人間はいません」
「ふん、お前はおだてるのがいつも上手い。だが本当に考える方も武の方もどちらも出来る人間には敵わないものだ」

 それには少し間があって、尋ねるように弟は聞いてくる。

「それは……あの男の事でしょうか?」
「あれは本当に化け物だった、この地にとどまってくれるならあいつに領主代理になってもらいたかったくらいだ」
「さすがに姉上、それは……」

 苦笑する弟からすれば、さすがにそれは冗談にしてくれといいたいのだろう。だがメイゼリンとしては本気だった。

「キディラ、あの男が一番おかしいところはな、あれで欲がない事なんだ。だからおそらく領主代理を受けてくれたなら……ここの混乱を全部片づけてこの地の有力者や周囲の領地に脅しをかけて地位を確立した上で、ゼーリエンが領主になったらあっさり身を引いて全部の権力を返してくれたと思うぞ」
「まさか、そんなあっさり?」
「そうだ、それはセウルズも言っていた。あの男の欲のなさはおかしいと。だが、信用は出来ると。私も同じ意見だ」

 セウルズとサウディンが領地から出て行く前に、メイゼリンは一度だけ会って彼等と話をしておいた。主に今後の事――こちらがどこまで支援出来て、彼等がどう生活していく予定かというのを確認するのが主だったが、話の流れであの男の名前が出た。

『結局私はあの男の事が最後まで理解できませんでした。悪寄りなのか善寄りなのかも判別出来なかった。ただ確実に言えるのは、こちらが誠意をもってやれるだけの事はやろうとするならあの男は頼もしく信用出来、逆に少しでも邪な思惑を持って接すれば破滅する、という事でしょうか』
『つまり、敵にだけはまわすな、という事だな』
『そうです。ゼーリエン様にもそれだけはお伝えください』
『あぁ、分かっている』

 そういって互いに苦笑してからセウルズに別れの言葉を告げた。それから隣でびくびくとしていたサウディンをメイゼリンは一度だけ抱きしめた。

『すまない……だがこれからは地位に縛られず自由に生きる事を私もゼーリエンも祈っている。どうか、幸せになって欲しい』

 サウディンが優秀である事も、母親の執着の犠牲者である事もメイゼリンは分かっていた。争いが起こる前にもっと穏便にどうにかする事も出来たかもしれないと後悔もしていた。ただそれでもメイゼリンにとって一番優先するべきは自分の息子の無事だった。エーシラが何度もゼーリエンの暗殺をもくろんでいたのもあって、あの女を殺すか、正式に争って勝ち取るしかないと決断するしかなかった。

『有難うございます……メイゼリン様。ゼーリエンにも、私が感謝していたとお伝え下さい』

 サウディンは泣いていた。胸に抱いたまま、メイゼリンは彼のその頭を撫でてやった。この少年の幸せを願っているというのは本心からの言葉である。
 セウルズの話では、これから首都へ行ってそこで治療師をやりながら、サウディンにはどこか好きな神官学校へ行かせるつもりらしい。もともと頭の良い子であるから、こちらに対して遺恨がなければセウルズのもとで普通に暮らして行けるだろう。彼が見ているなら曲がった人間になる事もないと思える。

「奥様、茶菓子はどちらにいたしましょうか?」

 侍女が茶をいれた後にそう言ってくると、ドアからノックの音がした。こうして彼女の執務室に見張り兵の声が掛からずノックだけをしてくる人物は一人しかいない。

「両方置いてくれ。それとお茶ももう一人分追加だ」

 そうして、許可を取らずにドアを開けるのも一人だけ――まったく、とため息をついてから、メイゼリンはわざと厳しい声を上げた。

「ゼーリエン、せめてドアの前で名乗りなさい」
「はい、すみませんでした、でもあの……名乗る前にドアを開けられてしまって……」

 確かにドアノブを持っているのは見張りの兵だ。彼は元々バミン家に仕えていた者でメイゼリンの事もよく知っているからかゼーリエンには甘いところがある。

「分かりました、反省をしているならいいです。ほら、来てこちらにお座りなさい。丁度お茶にするところでした」
「はい、母上」

 途端ぱっと顔を明るくしてやってくる息子には苦笑しながら、自分も大概甘いなとメイゼリンは自嘲する。ただ領主になって以後、ゼーリエンが勉強も剣の練習も前以上に真剣に取り組んでいるというのは先生達や兄オーランから聞いていた。
 それを兄が褒めたら、我が息子はこんな事を言っていたらしい。

『私が知っている中で、味方だと一番頼もしくて敵だと一番一番怖い人に目標を忘れず努力するように言われました。ですから私は皆から私が領主でよかったと言われるような領主になれるよう努力しなければなりません』

――どうやらわざわざ誰かが伝えなくても、我が息子はあの男だけは敵に回してはいけない事を分かっているらしい。

 メイゼリンは思い出して唇に笑みを引いた。




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