黒 の 主 〜予感の章〜





  【23】



 首都の中でも色街に位置するワラントの館は、夜でも……いや、夜の方が騒がしい。魔法使いに金を積めば部屋の中の音を外に漏れないようにするだけでなく外の音も聞こえないようにする事も出来るが、セイネリアは別に色街特有のこの騒がしさは嫌いではなかった。
 外から聞こえるのは女の笑い声、客を誘う声。それに答える酔った男の声に、遠くから聞こえる怒鳴り声。それらの音に苛立つより落ち着く気がするのだから子供の頃の慣れというのは根深いものだ。

 薄暗い部屋の中、セイネリアはベッドに寝転がって目を閉じていた。
 今日は疲れたと言っておいたから、部屋には他に誰もいない。

 一応の生まれ故郷であるラドラグスの街へ行く理由は二つあった。
 一つはケンナと会って約束通り装備を作ってもらう事。とはいえ彼も気合を入れるだけあってすぐに出来はしない。この時期に行ってきたのは冬の間に作ってもらって春に受け取ればいいと思っていたからだ。
 そしてもう一つは人生最初の師でもある娼婦クーリカに騎士になったと報告に行く事だった。ただあの街を出て首都に出てきた時点でそれなりに高齢になっていた彼女は既に亡くなっていたから、代わりに昔馴染みの娼婦ベロアに会って彼女の最期を聞いてきた。幸い……というべきか、どうやらクーリカは生きている内に冒険者の噂話で自分の名を聞いたらしく、それにはとても喜んでいたらしい。彼女からの遺言でもある手紙も受け取ったから行っただけの意味はあったとは言える。
 それでもやはり、彼女にある程度の成果を上げてからこの姿を見せる事は義務だと思っていたから、それについてはセイネリアでさえ悔いる気持ちは残った。

 ちなみにラドラグスにはもう一人、長く世話になった師がいる。だが彼の前には二度と姿を現さない約束だったから、森に行く事も、今の彼がどうしているか調べる事もしなかった。

 ともかくそれであの街での用事は終わった。後は春になったらもう一度行って、ケンナから完成した鎧を受け取るだけだ。特に問題となる事もなかったし、用事は全て予定通り終わっていた。

 ただ今一つ気分的にすっきりしない靄が残っているのは、おそらく魔法使いケサランとした話のせいだと思われた。

 今回、ケサランにまた転送を頼んだのは、もちろん単に転送のためだけではなくカリンの件のほうが本命ではある。ただその他にも、トーラン砦の戦いで倒したあの甲羅付きの大トカゲの話をしようと思ったのもあった。
 なにせあれはどうみてもケサランが以前自分にけしかけてきた奴と同じ種族の化け物で、その習性についての確認と、もし知らなければ蛮族共からの聞いた話も教えておくのもいいかと思っていた。重要な話をする前の一クッションとして丁度いいというのもある。
 だから、用事があると呼び出して、ラドラグスからの帰りの時にまた転送を頼むという話についでそれを話した。

「まったくまたか。お前は俺を何だと思ってる」
「いいじゃないか、こちらに恩を売っておきたいんだろ、あんたも」

 そう返せば彼は思いきり図星という顔をして黙る。本当に嘘がつけない……この魔法使いをセイネリアが割合気に入っている理由だ。

「そういえば、あんたが俺に槍を呼ばせるために出した化け物だがな、蛮族共が育ててこっちにぶつけてきたぞ」

 そこで話題を変えて例の話を切り出せば、彼は魔法使いらしく興味深げに乗ってきた。

「そうか、貴様が行ったのはトーラン砦だったな。ふむ……確かにあの化け物は東の荒れ地住みだからケイジャスの領地に居てもおかしくはない」
「蛮族共がたらふく食わせてたらしくてな、あんたが出した奴の倍どころじゃないサイズのが出てきた」
「確かにあれはもっと大きくなるが……そこまで大きいのは俺もあまり見ないな。というか育てるといってもそんな大きくなったらどうやって飼うんだ。繋ごうにも、柵で囲って閉じ込めるのも奴らに出来る訳がない」
「いや、奴らでも出来る簡単な方法がある」
「なんだそれは?」
「穴の中で飼うんだそうだ。あれは高い壁を登れない」
「あぁ……」

 そこで間の抜けた顔をしたその反応はこちらの予想通りで、セイネリアは笑った。

「デカイだけじゃなく動作は遅くても尻尾を振り回してきてな、近づくのにかなり苦労したぞ。ただそうやってまともに戦うと相当ヤバイが、落とし穴であっさり捕まえられるそうだ」

 ケサランは更に眉を寄せて微妙そうな顔をした。

「……まぁ、言われればあの体格と重さだからな。穴に落ちたら何もできないか」
「蛮族共もなかなか頭がいい」
「こちらはへたに対抗手段がある程度あるからこそそういう単純なのに気付かなかったんだろうさ」
「だろうな。だから俺も馬鹿正直に戦った」

 今度はそれにケサランもにやりと笑う。

「貴様の場合は槍があるから勝てると思ったんだろ?」
「そういうことだ。……あんたもあれくらいバカでかいのを連れてきてたら俺も槍を呼ぶしかなかったぞ」

 冗談ではあるがそう言えば、ケサランは顔の笑みを消して眉を寄せる。
 それから何故か視線を外して、やけに言いたくなさそうに小さい声で言ってきた。

「デカイのは普通、群れのリーダーとして他の連中を守ってる。それを連れていったら群れが困るだろ。……それに俺はそもそもあの時お前を倒そうとした訳じゃないぞ、ちょっと脅して槍を使わせるだけで良かったんだ、そこまでヤバイのをけしかける必要がない」

 それには思わず、先程までとは違う意味でセイネリアには笑みが湧く。こういうところがこの魔法使いなら言葉を信じてやってもいいと思うところだった。セイネリアを殺すつもりでないから加減をしたというのは想像通りだが、化け物の群れの事まで考えている辺り、根は相当の善人なのだろう。
 魔法使いは嫌いだが、彼の話は信じる。だからセイネリアも彼が嘘を言わない限りは、自分も嘘を言わないつもりだった。




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