黒 の 主 〜騎士団の章・二〜





  【55】



「ちょ……待ってくれ」

 やっとそこでかろうじてそう声を出したが、彼の剣がまたすぐ迫ってくる。そうすれば反射的に剣を受けて、だが押し込まれて彼の顔が近くに来る。
 彼は笑っていた。
 ステバンはその顔を睨んで怒鳴った。

「だから待てっ、まず話をきけっ」

 そこで急に彼の剣から力が抜けた。しかもそのまま体を引かれたから逆にステバンは前につんのめって転びそうになる始末だ。
 それを彼の手が伸びてきて支えてくれる。
 我ながらみっともない姿だと思いつつもほっとして、ステバンは体勢を直すと剣を腰にしまった。それを見て彼も剣を鞘に戻してくれたから、ステバンはやっと落ち着いて彼の顔を見て口を開いた。

「いきなり何だ、驚いたぞ」

 暗闇に溶け込むような黒髪の男は、そこで楽しそうに喉を鳴らす。

「あんたがなかなか用件を言わないからちょっと驚かしてみただけだ」
「まったく、危ない奴だな」
「ついでに現在のあんたの腕も見たかったしな。それに……ここで俺だけを呼び出したなら、それは『約束』のためにじゃないのか?」

 それには思わず言葉が詰まる。いや確かに状況からしてそう取られても仕方ないというのはステバン自身分かっている。だがそれは……もう少し時間が欲しかった。

「いやそれは……まだ……もう少し待って欲しい。まだ、君に勝てると思えない」

 セイネリアはそれに暫く黙っていて、ステバンは思わず顔が下を向いてしまう。なにせ約束を守れていないのは自分であるから、相手を失望させたのではないかと考える。

「なら、一冬待とう」
「え?」

 暫くの沈黙のあと彼の言ってきた言葉に、やはりステバンはすぐ理解出来なくて聞き返した。セイネリアは夜の中でも目立つ琥珀の瞳を細めて楽しそうに言ってくる。

「あんたも知ってる通り、俺達予備隊の前期組はもうすぐ後期組と交代する。そうしたら次に騎士団に復帰するのは春になる。だからその時までは待ってもいい。それでどうだ?」

 言われてステバンは、あぁそうか、と予備隊特有のその制度を思い出した。
 彼の言う通り、予備隊は前期組と後期組に担当期間で別けられている。
 これには事情があって、予備隊は名前の通り予備部隊だが騎士試験に受かった者が規定期間働くための部隊でもあり、平時は大した仕事はないがいざとなれば真っ先に戦地に送られる部隊でもある。つまり、危険がある訳なのだが……騎士になる為に騎士団に入った連中の中には大商人の息子や貴族扱いされないが貴族と縁のある者等、家に力があって危険に晒したくないような連中もいるのだ。そういう連中が安全に規定期間を過ごせるために、戦闘がまず起こらない冬場担当として後期組を作ったという経緯がある。ついでに言えば引退が近い年齢の者や、怪我等で戦場に出すのが難しい者もそちらの所属に回される事もあった。
 早い話、後期組は予備隊の中の更に予備みたいな連中であるのだが、冬になれば予備隊の前期組みの者達はその後期組と交代して長期休みに入る。そして言われれば確かに……その交代時期はもうすぐの筈だった。
 守備隊にはない制度だから忘れていたが、ここで彼にもう少し待ってもらうのなら彼は休暇期間に入ってしまう。

「春、までなら……」

 言えば彼はにっと唇の片端を上げる。

「なら決まりだ、まだ納得できるとこまで鍛えられてないというなら、この冬の間に仕上げてくれ」
「いや、だが、いいのか? トーラン砦に行ってる期間より長くなるぞ」
「砦のオツトメが思ったより早く終わっただけだ。当初予定ならおそらく向うに雪が降りだすまでで、そうなれば帰ってきたら即交代だ。どっちにしろ落ち着いて勝負などしてる時間はなかったろ」

 それはそうだろうとは思う。
 蛮族も雪が本格的に積もりだせば仕掛けてこないだろうから、それまでの交代要員として彼らは派遣されたのだろう。

「だから春まで待つのも最初から思っていた通りだ、気にする必要はない」
「あ、あぁ……」

 だがそれで彼がこちらの肩を叩いて立ち去ろうとしたから、ステバンは急いで振り返った。それから大声にならないように注意して彼を呼ぶ。

「いや……おいっ、セイネリアっ、待ってくれ、話がまだ……」

 彼が足を止める。そうしてこちらを振り返る。ステバンは頭で整理しきれないまま慌てて声に出した。

「君が隊のっ……他の者達と何か仲が悪くなったようだと聞いて……砦で何かあったのか?」

 自分でもその聞き方はどうなのかと思ったが、口に出してしまったのなら仕方がない。セイネリアは特に気にした様子もなく、暫くあとに割合軽く返してきた。

「あぁ……それは砦での事が原因じゃない。砦に飛ばされたのが俺のせいだと皆分かったからなだけだ」
「そ、それはその……ハリアット夫人、の……」
「あぁ、俺が夫人の愛人ごっこにつき合ったからだな」



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