黒 の 主 〜騎士団の章・二〜





  【8】



 早朝にハリアット夫人と別れたセイネリアは、その足でそのままワラントの館へと向かっていた。今日は休日で他に貴族女との約束は入れていないため、久しぶりにワラントの館で一日過ごす事にしていた。ちなみに休日の前日である昨夜から団を出るには許可が必要だったのだが、それは我が隊の隊長様が手配してくれたので問題はなかった。

 ワラントの館はこのセニエティでは南東のブロックにある。この街では基本、北方面から南に行くにしたがって土地も低くなっているのもあって、北を上と呼び南を下と呼ぶのが通例となっていた。だから南東ブロックは東の下区と呼ばれる。更に言えば街を十字に区切っている大通り沿い一帯は中央区と呼ばれる事もあり、東の下区でも中央区に近い辺りは酒場や宿屋街で、ワラントの館がある色街は大通りから離れた南の端の方になる。勿論治安はいいと言えない地域だが、この街の貧民街に当たる西の下区からすればかなりマシだと言えた。なにせ娼館やいかがわしい要件専用の宿は大抵バックに裏街の組織がついていて腕のたつ用心棒を囲っている。彼らは互いにけん制し合いながらも、ここ専用のルールに乗っ取って治安を維持しているのだ。

 その中には一般客を守る事も含まれるから、ある意味ルールを守ってさえいれば表通りよりも安全と言えなくもなかった。

――しかし、ワラントの死後も思ったよりも揉めずに済んだな。

 この辺りを歩いていれば、こちらとは別のその系の組織の人間とすれ違う事がある。彼らは既にセイネリアがワラントの組織を継いだのを分かっているから、軽く礼をしたり、道を開けたりしてくる。

――悪名が役に立ったというところか。

 裏街でどこかの組織のトップが代わる時は、大抵はその不安定な時期を狙って他の組織が手を出してくるものだ。だが今回、ワラントを継ぐのがセイネリアという事で、他の組織は挨拶こそしてきても、乗っ取りや縄張りの横取りを狙った動きをする事はなかった。
 ……おそらく、冒険者としてのセイネリアの噂もあってヘタに手を出すべきではないと判断したのだろう。手を出してくる馬鹿がいれば逆に潰して取り込んでやろうと思っていたが、主要な組織は皆挨拶の親書を送ってきたのであっさり後はカリンに任せて騎士団に入ったというのもある。

――ワラントの婆さんには味方も多かったからな。そいつらが多少は手を回したらしい。

 ワラントの館が近づいてくるとセイネリアの歩く速度は少し遅くなる。いつも通りの黒一色の恰好を見て、館の外にいる娼婦が手を振ってきた。それには足を止める事なく手をあげるだけで通り過ぎる。

 ワラントの館、と言っても当然ワラントの下にあるのはその館だけという訳ではない。その周囲にある娼館や宿は基本ワラントの配下か庇護下にある。もともとが娼婦達を守るための組織であるから色街での勢力は圧倒的で、この辺りでセイネリアに危害を加えようなんて思う者はまずいない筈だった。

「あらボス、お久しぶりぃ〜」

 ワラントの館に着けば、入口に立っていたリリスがそう言って手を振って来る。
 セイネリアがここを継いだ直後はいかにも部下という態度を取っていた彼女だが、これからも前と同じでいいといえばあっさり元の言葉遣いに戻した。

「カリンは?」
「もっちろん待ってるわよぉ。そりゃぁもぉ、朝早くから準備してウキウキで」
「そうか」

 セイネリアは彼女を通り過ぎて館の中に入っていく。入ればすぐに他の警備役や娼婦達とすれ違う。

「はぁいボス、カリンがお待ちよ〜」
「ボス、終ったら私達とも遊んでいかなぁい?」

 娼婦達にも言葉遣いはそのままでいいと言ってあるから『坊や』が『ボス』になっただけで、態度も掛けてくる言葉も前と同じようなものだ。

「お帰りなさいませ、ボス」

 ただしいつもワラントの傍に仕えていたマーゴットは、その時のままのいかにも部下らしい態度でセイネリアに接してくる。勿論、カリンに対してもだ。

「カリン様がお待ちです、どうぞ」

 部屋の扉を開けて頭を下げてくる彼女に片手を上げ、セイネリアは部屋の中へと入った。入ればすぐ、部屋の奥にいたカリンが立ちあがって目が合うなり笑みを浮かべる。

「おかえりなさいませ、ボス」




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