黒 の 主 〜騎士団の章・一〜 【41】 「おぉぉっ」 掛け声と共にステバンは腕に力を込めて剣を右上へと振り上げる。力差があるからこれだけ反動をつけても向うは完全にこちらの剣を受けきって止めてしまう。だが今のは接近する事が本当の目的だ。そのまま足で相手の腹を蹴る、けれど勢いをつけて蹴った筈なのに相手が下がった歩数よりこちらが反動で弾かれた距離の方が大きい。どんな化け物だと思いながらも下がった勢いのまましゃがんで今度は相手の足を払う、だが蹴っても向うの足は動かない。 まったく嫌になるな……と思いながらもステバンの口元は楽し気に歪む。だめならすぐ別の手を考えろ、攻撃を止めてはならない、受け身に回ったらもう勝機はないと自分の体を叱咤する。 息が切れる、けれどそれを飲み込んで歯を食いしばる。 そうしてステバンは剣を地面に刺し、それを軸にして蹴った体勢から立ち上がった。 更に地面から剣を抜くついでに相手に向けて振り上げる。勿論それは避けられるが、左手で柄頭(ポンメル)を引いて剣先の軌道を曲げ、すぐ相手の腹目掛けて振り下ろす。相手はそれも避ける、ただそれだけではなく避けた後にこちらの剣を上から叩いてくる。手に返る衝撃に思わず剣を離しそうになるが、歯を食いしばってそれは耐えた。 「っそぉっ」 叫べば口から唾液が溢れる。顔を落ちる汗と混じって顎から滴る。 ステバンは下がった剣先を持ち上げて横に振り払った。強引に力を入れたせいで大振りになって、派手な空振りをしてしまった時点でマズイと判断する。だが体がすぐに戻せない、大きく踏み出し過ぎた足を引かなくてはならないのに動かない。そこでその足を引っかけられれば……今のステバンで体のバランスを保ち切れる筈はなかった。 視界が回る、倒れると思った時には肩が地面に叩かれて、けれどすぐ伸ばした足が向うの足に触れた。だから力一杯その足を蹴って、そのまま横に転がって立ち上がれば向うは数歩下がっていたらしく、2、3歩分の距離が空いていた。 息が整えられない。はぁはぁと自分の息継ぎの音が煩い。それでも唾を飲み込んで、荒い呼吸を少しでも押さえつけて意識を剣と腕に向ける。 ――次に倒れたら起き上がれないだろうな。 だからこれを最後と思え。 自分に言い聞かせてステバンは剣を握りなおした。力の入らない手にそれでも力を入れ、地面を蹴って剣を前にだす。剣は避けられ、更に横から叩かれて弾かれる。だが剣先が外へ逃げれば逆に柄頭が前に出る。ステバンはそのまま腕を押し込んで左手を離し、柄頭で相手の腕を殴りつけた。それには手ごたえが返って当たったのが分かる。 ――当たったか。 勿論、刀身が当たらなければポイントは入らない。 けれどやっと一撃を入れてやった。 だが即座に向うの剣がこちらの頭を兜の上から叩いてくる。そこで視界が揺れて頭も揺れる。それでもステバンは剣の柄を握り締める、足を踏みしめて倒れずに構えを取る。だが相手の姿は視界になかった。自分がどちらを向いているのかも分からなかった。揺れているのは地面なのか自分の体なのかそれさえも分からなかった。 けれどもただ、頭は体に命令する。 攻撃を止めるな、止めたら終わりだ、とにかく剣を振れ――と、それだけを考えて剣を前にだす。だが、次に腹が蹴られて目の前が光ったように思った直後、ぐぅっと苦しさがこみ上げてきてステバンの意識はそこで途切れた。 「ポイント1、青、ステバン・クロー・ズィード」 その声に観客は沸く、けれどもうステバンの足は体を支え切れない。剣を振った後前に倒れ込もうとした彼の体は、セイネリアの足に阻まれて前ではなく後ろへとふっ飛ばされた。場内の声は悲鳴一色に染まる。けれども人々はステバンの名を呼ぶ、立ってくれとその祈りを込めて彼の名を呼ぶ。 「ステバン、ステバン、ステバン……」 だが彼の体は動かない。彼にはもう、腕一つにさえ足掻く力は残っていない。そこで流石に審判役が中断の旗を上げた。神官達が急いで駆け付け、その場で治癒術がかけられる。その間も場内は彼の名を呼ぶ人々の声が止まらなかった。 暫くして、神官達が立ち上がる。傍にいた兵達がステバンの体を持ち上げて運ぼうとする。そこで彼が観客の声に気付いて手を上げれば、彼の名のコールは止まる。代わりに拍手と歓声が会場から去るまで彼を包んだ。 「赤、ステバン・クロー・ズィードは試合続行不可能と判断し、勝者は赤、セイネリア・クロッセス」 そこで一度途切れた歓声と拍手がまた起こる。セイネリアは黙って一度手を上げる、それから義務としてハリアット夫人に礼をした後、すぐに背を向けて会場をあとにした。 「2本目だが、勝ちはお前でも、ポイントを取ってたのは向うとは面白いな」 横を歩くバルドーが楽しそうにクククと笑いながら言ってくる。 「まぁな、向うが最後意地でだした剣が当たった。油断したのは確かだ」 彼の様子からこれはもう限界だろうと判断した。それで不用意に近づきすぎた。ついでに言えばあまりに弱い腕の動きだったからまさか当てようとしているとも思えなかったというのもある。どちらにしろミスはミスで、あれは彼の意地と執念が取ったポイントだ。 バルドーは横でまだ笑っている。 「しかし、すっかり悪役だったな。どうみても向うが主役って試合だった」 おそらくバルドーは揶揄うつもりでそう言ってきたのだろう。だがそれにセイネリアが返す言葉は決まっていた。 「なに、予定通りさ」 --------------------------------------------- |