黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【1】



 ワラントの娼館はこのところずっと静かだった。
 夜は仕事があるからそれなりに人の行き来はあるものの、実際客を入れるのは別館の方だけにして、ワラントのいる建物の方は極力静かになるようにしていた。
 その理由は当然、最近ずっと床に伏しているワラントのために皆気を使っているからで、この建物内が多少賑やかになるのはセイネリアが来る時くらいだった。
 その日もセイネリアがあいさつだけだと言って顔を出しに来て、ワラントはその時だけ起きて彼を迎えた。あいさつだけだと言っただけあって彼は酒も飲まずに仕事に行く報告だけをしてすぐ帰ったから、ワラントもすぐにまたベッドに戻る事が出来て周りの者達は胸を撫でおろしたのだが。

 セイネリアを見送ってすぐワラントのもとへ戻ってきたカリンは、ベッドで嬉しそうに笑っている老婆を見て安堵した。

「婆様、お加減はいかがですか?」
「気分はいいさ。体の方はガタガだがね」

 カリンはそれに眉を寄せる。彼女はセイネリアの前でだけは元気なふりをしようとするから、その反動に体調を崩すこともあってそれが怖かった。

「ご無理をしないでください」
「まぁね。でも、もしかしたら最後かもしれないじゃないか」
「婆様っ」

 カリンの悲痛な声にワラントは笑って、震える手を伸ばして頭を撫でてくる。

「おそらく、坊やも気づいてるんじゃないかね。だからわざわざ酒を断ったんだろうさ」

 今回の仕事は長くなると思っておいてくれ、と事前説明でセイネリアは言っていた。だからそれを聞いた時からカリンはずっと悩んでいた。

「ならやはり私は今回の仕事は……」
「だめだよ、ちゃんとあの男についてお行き」

 セイネリアはカリンに仕事に参加しなくてもいいとは言ってくれていた。普段ならそんなことを言わなくていいのにと言葉の無意味さに疑問を持つくらいではあるが、今回ばかりはその言葉はカリンの中に迷いを生んだ。

 ワラントの体調的に、もし仕事が長期になる事があれば……仕事の終わった後、彼女はもういないかもしれない。

「坊やの方も大変な仕事みたいだからね、あんたがいないと困るじゃないか。それに……あんたが残ると言ったら、きっと坊やも確信してしまうだろうからね」

 ワラントの意図は分かっている。だからカリンは結局、ワラントの前でひとしきり泣いた後、仕事に行くと彼女に告げるしかなかった。






『今回は少しばかり長くかかるかもしれない。俺が帰ってくるまでくたばるなよ』

 心配そうな顔ひとつせず、笑って軽口で言ってきた黒い青年の言葉を思い出すと、ワラントは目を細めて笑みを浮かべる。その後半分冗談で『行ってきますのキスはないのかい』と言ったら、『そうだったな』と返してあっさり頬にキスをくれたのには少し驚いたが。あの青年の女慣れぶりに呆れつつも、だからこそ彼ならここにいる女達を悪くは扱わないと確信出来る。

 娼館生まれで、師と呼べる人間の一人は娼婦だったとそう言える男が化け物のように強くなり、お高く留まってる貴族や役人達を手玉に取るのだから痛快以外の何物でもない。最後に笑顔で死ねるなら、どれだけ若いころに酷い生活をしていたとしても悪い人生じゃなかったなんて言えるものだとワラントは今更になって思ったものだ。

「マーゴット、リリス、グレド、パーラ、ログリン、ネルワ、ロゼイア」
「はい、婆様」

 長く自分に仕えてくれた娘達に声を掛ければ、彼女達は皆、泣く事もなく声をそろえて返事を返してきた。

「私の決定に文句があるやつはいるかい?」

 そこで仕事用に引き締めていた彼女達の表情が、途端笑みに変わる。

「まさか。皆婆様がどうするつもりかなんて最初から分かっていましたから」
「はい、誰も疑問さえ感じていません」

 ワラントもまた彼女達の言葉に笑みを浮かべ、それから裏街の女ボスらしく威厳のある声で言った。

「なら私が死んだ後は、お前たちのボスはあの男だ、分かったね」



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